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アニメと時代劇どこが違う? 横行する「危うい正義」その1

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16世紀末に、かのシェイクスピアが世に出た当初など、主としてキリスト教会から、

「こんな血生臭い芝居を次から次に書くとは、一体なにを考えているのだ」

といった非難にさらされていたことは、本誌の読者であれば多くがご存じだろう。

▲写真 ウィリアム・シェイクスピア 出典:パブリックドメイン

彼が唐突に著作活動をやめて田舎に引きこもってしまったのは、こうした「逆風」に耐えかね、心が折れてしまったのではないか、と考える英文学者も、少なからずいる。

単に、安楽な老後を過ごせるだけのカネができたからだろう、と見る向きもあって、どちらが正しいかなど分かろうはずもないが、近年の日本に例を求めると、スラップスティックな作風で知られる筒井康隆氏が、世間の「良識」からの批判に、

「あたしゃキレました。プッツンします」

と述べて断筆を宣言したことがある。

古今東西、こうした例は枚挙にいとまがない。

どうしてそのようなことになるのかと言えば、世の中に、

「正義の姿を借りた、無内容な正論」

がまかり通っているからである。

簡単に言えば、こういうことだ。

悪がまかり通る世の中では、たしかに安心して暮らせないし、

「暴力はいけません」

と言われたならば、誰も正面切っての反論などできない。

だからこそ私は言いたいのだが、ここにはある矛盾がはらまれているのではないだろうか。たとえばイジメという救いがたい悪に対して、まあ「非暴力・不服従」という思想もあるけれども、やはり一般的には「無法な暴力を正義の力で制圧する」ような行為が賞賛されるのではないだろうか。他者を尊重できない人間は懲らしめられて当然、というのが普通の人たちの発想だろう。

言うまでもないことだが、なにが正義でなにが悪なのか、というのは、きわめて難しい問題である。しかしながら、いや、そうであるからこそアニメのアンパンチに対して、暴力反対という議論を持ち出す人は、いささか単純に過ぎると、私には思えてならない。

たとえば高齢者に根強い人気のあった『水戸黄門』などは、ある意味で「国家権力の横暴」であるし、間もなく映画やドラマが放送されるであろう(早いもので、もうそんな季節か笑)時代劇の定番『忠臣蔵』に至っては、もはやテロ行為ではないか。

▲写真 里見浩太朗が演じる「水戸黄門」(5代目)出典:photo by Jnn

日本人は師走になると、失業の憂き目を見た個人的な恨みから、元高級官僚とは言えリタイアした高齢者の自宅を襲撃し惨殺するというドラマを見て喜んでいるのである……などと私が書いたら、どう思われるだろうか。万一そんな議論が「周辺諸国」から発信されたら、たちまち大炎上するに違いない。

かなり話が回り道をした、と言うか第1回はほとんど前置きだけで終わってしまったが、本シリーズで取り上げるのは正義」という概念の危うさである。

なんでもかんでも「暴力はいけません」で片付けてしまうのも、住みにくい世の中にしてしまうという意味で、一種の危険思想だと私は思うが、だからといって、そこに正義がある限り、本来は法が許さない行為でも正当化されてしまうという発想は、もっと危険だ。

そして、残念ながら現在のネット社会では、後者の考え方がむしろ支配的になってきている。本当に、いやな世の中になったものだ。

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