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戦後、国土のほとんどが焼け野原になった状況のなかで、社会保障の理想と理念がはじまった -「賢人論。」第104回(前編)香取照幸氏

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香取照幸氏は、1980年に厚生省(現・厚生労働省)に入局。人口減少と高齢化という深刻な社会問題と真っ向から対峙し、「介護保険法」や「子ども・子育て支援法」など、数々の重要法案の策定に尽力してきた。また、内閣官房内閣審議官として「社会保障と税の一体改革」を取りまとめた人物の一人である。2016年に厚労省を退官し、現在、駐アゼルバイジャン日本国特命全権大使をつとめる香取氏に、日本の社会保障を支えた舞台裏の出来事について、あれこれ聞いてみた。

取材・文/ボブ内藤 撮影/公家勇人

世の中に、何か意味のある仕事をしたかった

みんなの介護 東大法学部を卒業して官僚の道に進むというのは、王道中の王道だと思いますが、香取さんはなぜ、そのなかで厚生省(現厚生労働省)を選んだのでしょう?

香取 世の中に何か意味のある仕事をしたいと思って厚生省に進む道を選びました。

みんなの介護 世の中に意味のある仕事…というと?

香取 国家公務員試験に合格した後、採用志望を提出する前に志望者はいろいろな官庁をまわるんです。今でも同じだと思いますが、「官庁訪問」と言われているものです。

世の中のためではなく自分のために仕事をしている人が集まっていそうな雰囲気のところもあったりして、どこを選ぶか迷いましたが、唯一、肌が合いそうだなと思ったのが厚生省でした。

これは入ってみてわかったことですけど、厚生省には家族にハンディキャップを持つ人、単親家庭で育った人、兄弟に難病患者のいる人など、いろんなバックグラウンドを持つ人がいて、社会のいろいろな問題を解決したいというモチベーションを持ってこの職場を選んだ人がたくさんいるということがわかりました。

自分の選択は間違っていなかったと思いましたね。

金をばらまくのは、もっとも簡単で稚拙な政策

みんなの介護 1980年というと、高齢化率(65歳以上人口割合)が9.1%です。現在、27.7%であることを考えると、当時は今とは別世界だったでしょうね。

香取 私が最初に配属された部署は国民健康保険課というところでしたが、そこで見習いとしてたずさわった仕事は、老人保健法を制定するための準備業務でした。

老人保健法は1982年に制定されますが、この法律は、1973年施行の老人福祉法で無料化された老人医療費に「一部負担」を導入する、そして老人医療費を医療保険者が持ち寄りで賄う制度に変える、というものでした。

しかしこれが、大変に困難な仕事だったわけです。

みんなの介護 1973年の老人医療費の無料化は、ポピュリズム政策の産物として語られ、評判がよくないですね。選挙に当選するため、政治家が財政を無視した公約を掲げて空約束をしたわけですから。

香取 無料(ただ)で配るというのは、政策手段としてはもっとも簡単、というか安易な手法なんです。老人医療の問題を解決するためにやらなければならないことはいろいろあるのに、金を配るだけで大したことをしたように見せてしまう。そのことで本当に取り組まなければいけないことから政治家も国民も目をそらしてしまう。その意味では安易という以上に稚拙で間違った政策選択です。

実際、全国に先駆けて無料化を実施した東京都の病院は高齢者のサロンと化し、医療は不効率で不公平なものとなり、財政も逼迫しました。

この問題を解決し、あるべき姿に戻すために制定されたのが老人保健法です。1973年から10年をかけて、ようやく「一部負担」を入れることができた。その後、1割の「定率負担」が実現したのは2002年10月のことですが、それまでには30年もかかったことになります。

一度、無料化したことで、日本の高齢者の医療行政はかなりの遠回りを強いられたと言えるでしょうね。

「自助・共助・公助」の考え方が戦後、すでに存在していた

みんなの介護 先ほど、社会保障の「あるべき姿」という話が出ましたが、香取さんの著書『教養としての社会保障』(東洋経済新報社)には、1950年の社会保障制度審議会勧告の中ですでにそのことが明確化されていたと書かれています。

香取 そうです。1950年というのはまだ連合国の占領下で、国民皆保険制度など影も形もなかった時代ですが、社会保障制度について、こんにちでもよく言われる「自助・共助・公助の組み合わせ」という原則がすでにこの審議会勧告のなかに盛り込まれているのです。

今の言葉で教科書的に要約すると、次のようになります。

すべての国民が社会的、経済的、精神的な自立を図る観点から、

(1)自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本とし、

(2)これを生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完し、

(3)そのうえで、自助や共助では対応できない状況を「公助」で保障する。

要するに、大前提としてあるのは「国民の自立」を実現すること。その自立を支えるのが「自助」であって、自立した人同士がリスクを分散するための制度が「共助」です。現行の制度では、医療保険や介護保険、年金保険、雇用保険などが「共助」の機能を果たしています。

みんなの介護 つまり、何でもかんでも無料化して税金でまかなう「公助」のシステムでなく、お互いの将来のリスクを共有する「共助」のシステムを並行して動かして行こうというわけですね。

香取 起源をたどれば日本でも無尽講(むじんこう)、頼母子講(たのもしこう)など、昔から行われていたことです。

社会保障は「お上の施し」ではありません。一人ひとりが自立して主体的に生きていけるよう、社会生活の中で直面する不確実性=リスクを共同でヘッジしていく仕組み、私たち自身が参加しお互いを支え合う制度。それが社会保障の基本です。

戦後、国土のほとんどが焼け野原になった状況の中、そうした社会保障の理想的な理念がスタートしたわけです。

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