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「アンパンチで暴力的に?」のネット騒動と、アンパンマンから学ぶこと - 泉美木蘭

アンパンチが暴力的かどうかが燃えていた8月

子供に大人気のアニメ『それいけ! アンパンマン』で、ヒーローのアンパンマンが悪役のバイキンマンを「アンパンチ」という技で退治する場面について、「暴力シーンだ」「子どもがアンパンチをまねして暴力的になる」「暴力で物事を解決するのは問題だ」などと言って心配する親がいると聞き、驚いた。

今年8月11日のYahoo!ニュースでは「『アンパンチ』で暴力的に?心配する親もメディアの暴力シーンは乳幼児にどう影響?」というタイトルの記事が配信され、専門家の「暴力的になる可能性がある」といったコメントまで掲載されたため、ネット上での論争に発展。そこからワイドショーやラジオ番組などで取り上げられるようになり、コメンテーターやタレント、漫画家などが自身の見解を発言するという広がりを見せた。

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『それいけ! アンパンマン』は、保育園や幼稚園に通う年齢の子供たちから根強い人気があり、すでに30年以上の長寿番組となっている。私も当時3歳の息子がテレビの前で正座をして一生懸命見ていた後ろ姿が今も目に焼き付いており、一緒に夢中になって見ていたのでわりと詳しい。

アンパンチとは、バイキンマンが暴れまわるなどの悪さをした時、アンパンマンがこらしめるために繰り出すパンチだ。アンパンチを受けたバイキンマンは、「バイバイキ~ン!」と言いながらくるくると回転して空のかなたへと飛んでゆく。

これが「暴力シーン」? 広い意味ではそういうことになってしまうのかもしれないが、そもそも「いいもん」と「わるもん」が登場する子ども向けのヒーローアニメで、わるもん退治を問題視されたら作品として成り立たないし、悪さをこらしめることと、いきなり理不尽な暴力をふるうのとでは、話も違う。

もしも子どもがまねをして誰かをケガさせそうな様子があったのなら、その子の親がきちんと教えてやらなければならないのであって、それを「アンパンマンのせいだ」と言うのは、責任のすり替えではないかと思う。

アンパンチのワンシーンが切り取られ、話題になるSNS

それに、暴力性というものは、アニメなどの作品を見たことによって、はじめて人間の心に芽生えたり、植え付けられたりするものなのだろうか?

手足を振り回して感情を出す、暴れまわる、思わず反撃したり防衛したりする、実際にはやらなくてもそういう想像を頭の中でする、人に対して攻撃する勇気がないので自分にそれを向けてしまうなど、性別に関わらず、程度の差こそあれ、攻撃性、暴力性は、もともと人間の中に眠っているものではないかという気がするし、それが発揮されるのは「まねして試しにやってみた」以外にもなにか理由があるのではないかと思うのだが。

だいたい、「人間と暴力性」という観点で見れば、どこまででも歴史はさかのぼっていく。戦国時代がはじまったのは、武将たちが子どものころに暴力シーンのある和歌や書物を読まされてまねしたというわけではないと思うし、古代の豪族が争いを起こしていたのは、別に子どものころ暴力シーンの描かれた壁画を見てまねしたというわけではないと思う。

それに、そもそも『それいけ! アンパンマン』の世界には、アンパンチだけでなく、友情や助け合いや喜怒哀楽などいろんな要素が描かれているわけで、その中で子どもがアンパンチだけに着目して暴力性を帯びると考え、問題視するのは、あまりにも視野狭窄だろう。どうしてこうなってしまうのか。

自己相対化できない人が増長し、量産されやすいネット空間

ほんのちょっとの刺激に過剰反応して、全体像を見たり思慮を深めたりすることができず、簡単に騒いでしまう理由のひとつに、その人が自分を相対化することができていないという部分があると思う。

自分を相対化するとは、「自分がたった一人で存在しているのではなく、他人や社会との関係で成り立っている」という視点を持って、大勢のなかにおける自分の位置づけを、客観的に理解することだ。

これができないと、自分の考えは絶対的で正しいと思い込み、全能感を持ったり、周囲が唖然とするようなエゴ丸出しの言動に出てしまったりする。ちょうど、まだ未成熟な乳幼児が、母親は自分の思い通りになんでもしてくれるものだという感覚で、自己中心的にふるまうように。そう、つまりは幼稚で未成熟な大人なのである。

「モンスターペアレント」という言葉が定着して久しいが、自分のことしか見えない、考えられない幼稚な人が急増しているのは、自分を相対化する機会が失われていること、つまり、他人との関わりが激減してしまったことに関係があるのではないかと思う。

『サザエさん』の時代にあったような大家族は姿を消し、近所づきあいは減り、核家族化して、少ない家族のなかでも、さらに一人一人がスマホやネットの世界のなかへと個別に吸い込まれている時代である。すぐそばにいても、人と人との関係は疎遠な状態で、それぞれがSNSなどで自分にとって気分のいい見解や、居心地のいい世界に囲まれている。エゴ丸出しであっても、それを認めてくれる「いいね!」が集まっていたりして、自分のエゴに気が付くことができないばかりか、ますます増長してしまう。これでは未成熟なままの人は、自分を相対化したり、成長して思慮を深めたりすることがなかなかできないだろう。

『それいけ! アンパンマン』には、アンパンマン、バイキンマンのほかに、ドキンちゃん、ジャムおじさん、バタコさん、しょくぱんまん、カレーパンマン、メロンパンナちゃん、ロールパンナちゃんなど多種多様なキャラクターが登場する。弱気な人、強気な人、優しい人、勇気のある人、おっちょこちょいな人、胸に孤独を抱えた人など、性格や生い立ちの設定も豊富で、その大勢のキャラクターが、バイキンマンをめぐって、それぞれの感情や関係性を見せたり、なにがいけないのか、なぜいけないのか、人間関係の超基本的なことを超わかりやすく体現していく。

アンパンマンは、バイキンマンが悪さをしたからと言って、問答無用でいきなりぶっ飛ばしたりはしない。まずは言葉で説得を試みて、手に負えないような事態に発展した場合は、アンパンチで退治するのだが、絶対にとどめは刺さない。剣で首を斬ったりしないし、実弾で撃ったりもしないし、バールのようなもので殴ったりもしない。とっ捕まえて閉じ込めたりもしない。ただ「それはだめだ」と一時的にこらしめるだけなのだ。

作者のやなせたかし氏は、『アンパンマン大研究』(フレーベル館・1998)の中でこう語っている。

「アンパンマンとバイキンマンは、光と影、陰と陽、あるいはプラスとマイナスのような関係です。どちらか一人だけでは存在できません。お互いそのことをよく知っているのでしょう」

どちらか一人だけでは存在できない。つまり、バイキンマンは、アンパンマンたちのような食物がなければ存在できず、時に繁殖しすぎて巨大化し、迷惑をかける大事件を起こしはするが、アンパンマンにしても、パン酵母(イースト菌)のような菌が存在しなければ、パンとして焼きあがらない。

人間の体のなかにも善玉菌と悪玉菌がバランスをとっているように、どちらも必要な存在で、たまたま光の当たるアンパンマンになるか、影の存在であるバイキンマンになるかの差があるだけなのだ。影の存在だからと言って、バイキンマンを排除して、世界を完全に除菌してしまったら、その時はアンパンマンも存在できなくなる。いや、アンパンマンだけではない。しょくぱんまんも、カレーパンマンも、メロンパンナちゃんも、除菌世界では存在できないのである。おお、なんと深い!

似た者同士で「いいね!」と言い合うSNSで世界が完結しやすい今、自分を相対化する目を養うには、もってこいのアニメかもしれない。アンパンマンに文句を言う前に、せっかくだからしっかりアンパンマンを見て、世の中を学んでみてはどうだろう。そんなことを言いたくなってしまうのだった。

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