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- 2012年06月08日 15:00
バンドと客を食い物にする音楽業界からの脱却~元ビジュアル系バンドマンインタビュー
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「音楽活動をすればするほど、
自分もバンドマンもお客さんも不幸になっていく。
音楽って人を幸せにするものではなかったのか?
このままではみんなおかしくなってしまう。
そう気づいて、既存のビジュアル系音楽業界での活動をやめました」
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そう語るのは約6年間、ビジュアル系バンドとして活動していた、金子友也さん(25歳)だ。
既存の音楽業界のビジネスモデルはすでに崩壊しているが、 一度できあがったシステムにがんじがらめになった業界は、 今もなお、バンドと客を食い物に生きながらえている。 その実態を実体験をもとに話を聞いた。 (取材日:2012年5月)
高校生の時に組んでいたバンドでは、 あるミュージックフェスティバルで奨励賞を受賞。 Zepp東京でライブをするなど、 音楽の力を評価された金子さんは、 「音楽で成功するぞ!」と目を輝かせ、 バンドメンバーとともに栃木から上京した。
はじめは無我夢中だった。 既存の音楽業界の成功手法を信じて、 自分たちも業界にのめりこんで突っ走ってきた。
しかし何かがおかしい。 ライブハウスの多くはライブをしたいバンドマンに、 ノルマを押し付け、バンドから金をとって儲けるので、 バンドをお客さんと思い、ライブを見に来る客を客と思わない。
一方、バンドや音楽事務所などはファンを食い物にし、 バンドを宗教の教祖のようにあがめさせ、 洗脳し、神格化することで、 一部の熱狂的かつ少し頭の弱いファンから、 お金を貢がせることばかりに熱心になっていた。
ファンの中にはバンドが貧乏であることを知って、 札束の入った封筒を手渡すような、 そんな行為も日常となっていた。
バンドはライブをするにも金がかかる。 CDを出すにも金がかかる。 音楽雑誌に取り上げてもらうにも金がかかる。 ツアーをするにも金がかかる。 いや、それでも昔はライブやCDに投資することで、 売れるかもしれないというリターンがあった。 でも今はもうそれがない。
「従来の音楽活動を続けたのではハイリスク・ノーリターン。 でも音楽業界は既存のビジネスモデルにしがみつき、 バンドマンもそれにしがみついて、 借金してまでCD出したりしている」と金子さんは言う。
それでもバンドが多少人気になってくれば、 事務所が全国ツアー代を持ってくれることもある。 でもバンドマンにとっては無報酬の営業活動に過ぎず、 実入りは少なく、時間もとられる。 結果、アルバイトをする時間もなく、生活は困窮していく。
それでも夢にすがりつくバンドマン。 そこにしがみつく一部の熱狂的ファン。 そうした音楽の夢をエサに、 崩壊したビジネスモデルの中で、 なんとか稼ごうとする音楽事務所。
こんな状態が続けば、バンドマンの生活は困窮し、 借金まみれになって夜逃げするとか、 生活がたちいかなくなって自殺するとか、 そんなことが起きるようになっていた。
金子さん自身も組んでいたバンドのメンバーが、 音楽活動のために借金まみれになり、 突如、窃盗で逮捕されるという事件を経験した。 メンバーがツアー中に失踪することもあった。
そんな状態でいい音楽を作れるわけがなく、 ひたすらライブでは派手なパフォーマンスに終始し、 熱狂的なファンをつなぎとめようと試みる。 ファンも次第におかしくなり、 ファンも貢ぐために借金抱えて風俗で働いたり、 自殺したりといったことも、 ビジュアル系音楽業界では結構あったという。
「僕自身もボロボロになるまでやっていた。 ライブ中にひたいをわって血を流すだとか、 観客のケータイ電話をぶん投げるとか、 今から考えればおかしな行動だけど、 常識外のパフォーマンスをすることが、 客を熱狂させる、唯一のの手段になっていた」
17歳から23歳までビジュアル系バンド活動に明け暮れた。 最後の方は自分自身の心も体もボロボロだった。 このままでは死んでしまう。 自分もメンバーもファンも誰一人幸せになっていない。 やればやるほどみんなが不幸になっていく。
「音楽って人を幸せにするためのものではないのか?」
金子さんは23歳で、 このおかしなビジュアル系バンド業界から離れる決意をした。
音楽の勉強をきちんとしようと、 バンド活動をしながら音大にも通っていたが、 学校で行う授業の意味のなさを感じていた。 あと1年通えば卒業できるのに大学をやめた。 「意味がないといいながら卒業するって自己矛盾じゃないですか。 意味がないならやめるべきだと思った」
戻ってきた1年分の授業料。 それを生活費に、今後の人生どうしたらよいのか、 音楽とどう向き合っていけばよいのか、 しばらく充電期間にしようと考えた。
そんな矢先に東日本大震災が起きた。 知り合いに誘われ、 4月上旬に被災地(宮城県石巻市)を訪れることになった。 バイト先も親も危険だからと被災地に行くことを反対した。
でもそこで3日間、ボランティアをして、 被災地を見て、被災者と出会うことで、 大きな気づきがあった。
「こんなにも大きな被害にあっているのに、 被災地で助け合うのが当たり前という光景を見て、 人と人との関わり方はこうあるべきだと気づきました」
長らく身を置いたビジュアル系バンド業界は、 事務所もライブハウスもバンドマンもファンも、 助け合いでともに成長していくのではなく、 限られたパイを奪い合って共倒れしていく、 すさんだ関係だった。 それが当たり前となっていた業界に見切りをつけ、 でもどうやって音楽と関わっていけばいいのか、 わからなくなった彼にとって、 被災地での助け合いの関係は、 あまりにもシンプルな人と人との関わり方だった。
「その時に“翼”という考えに思いが至ったんです。 お互いがお互いの翼になる。 自分が誰かを助けることで、他の人が飛べるようになる翼になる。 それと同時に、相乗効果で他の人が自分の翼にもなってくれる。 先行きのない業界で共倒れしていくような、 そんなところで懸命にお金と時間と労力を使うのではなく、 この先、広がりが感じられる方向に、 お金と時間と労力を使うべきではないかと思いました」
2011年4月に訪れた石巻の保育所の人とつながりを持つようになり、 2011年6月にも再び訪れ、お手伝いをした。 親しくなった保育所の先生に、 以前、音楽活動をしていたことを話したら、 「今度、子供たちのために音楽やってよ」と言われた。
それを機に思った。 また違った形で音楽をやりたいなと。 みんなが不幸になる音楽ではなく、 ともに助け合い、ともに互いの翼になれるような、 音楽活動をしていこうと。
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そう語るのは約6年間、ビジュアル系バンドとして活動していた、金子友也さん(25歳)だ。
既存の音楽業界のビジネスモデルはすでに崩壊しているが、 一度できあがったシステムにがんじがらめになった業界は、 今もなお、バンドと客を食い物に生きながらえている。 その実態を実体験をもとに話を聞いた。 (取材日:2012年5月)
高校生の時に組んでいたバンドでは、 あるミュージックフェスティバルで奨励賞を受賞。 Zepp東京でライブをするなど、 音楽の力を評価された金子さんは、 「音楽で成功するぞ!」と目を輝かせ、 バンドメンバーとともに栃木から上京した。
はじめは無我夢中だった。 既存の音楽業界の成功手法を信じて、 自分たちも業界にのめりこんで突っ走ってきた。
しかし何かがおかしい。 ライブハウスの多くはライブをしたいバンドマンに、 ノルマを押し付け、バンドから金をとって儲けるので、 バンドをお客さんと思い、ライブを見に来る客を客と思わない。
一方、バンドや音楽事務所などはファンを食い物にし、 バンドを宗教の教祖のようにあがめさせ、 洗脳し、神格化することで、 一部の熱狂的かつ少し頭の弱いファンから、 お金を貢がせることばかりに熱心になっていた。
ファンの中にはバンドが貧乏であることを知って、 札束の入った封筒を手渡すような、 そんな行為も日常となっていた。
バンドはライブをするにも金がかかる。 CDを出すにも金がかかる。 音楽雑誌に取り上げてもらうにも金がかかる。 ツアーをするにも金がかかる。 いや、それでも昔はライブやCDに投資することで、 売れるかもしれないというリターンがあった。 でも今はもうそれがない。
「従来の音楽活動を続けたのではハイリスク・ノーリターン。 でも音楽業界は既存のビジネスモデルにしがみつき、 バンドマンもそれにしがみついて、 借金してまでCD出したりしている」と金子さんは言う。
それでもバンドが多少人気になってくれば、 事務所が全国ツアー代を持ってくれることもある。 でもバンドマンにとっては無報酬の営業活動に過ぎず、 実入りは少なく、時間もとられる。 結果、アルバイトをする時間もなく、生活は困窮していく。
それでも夢にすがりつくバンドマン。 そこにしがみつく一部の熱狂的ファン。 そうした音楽の夢をエサに、 崩壊したビジネスモデルの中で、 なんとか稼ごうとする音楽事務所。
こんな状態が続けば、バンドマンの生活は困窮し、 借金まみれになって夜逃げするとか、 生活がたちいかなくなって自殺するとか、 そんなことが起きるようになっていた。
金子さん自身も組んでいたバンドのメンバーが、 音楽活動のために借金まみれになり、 突如、窃盗で逮捕されるという事件を経験した。 メンバーがツアー中に失踪することもあった。
そんな状態でいい音楽を作れるわけがなく、 ひたすらライブでは派手なパフォーマンスに終始し、 熱狂的なファンをつなぎとめようと試みる。 ファンも次第におかしくなり、 ファンも貢ぐために借金抱えて風俗で働いたり、 自殺したりといったことも、 ビジュアル系音楽業界では結構あったという。
「僕自身もボロボロになるまでやっていた。 ライブ中にひたいをわって血を流すだとか、 観客のケータイ電話をぶん投げるとか、 今から考えればおかしな行動だけど、 常識外のパフォーマンスをすることが、 客を熱狂させる、唯一のの手段になっていた」
17歳から23歳までビジュアル系バンド活動に明け暮れた。 最後の方は自分自身の心も体もボロボロだった。 このままでは死んでしまう。 自分もメンバーもファンも誰一人幸せになっていない。 やればやるほどみんなが不幸になっていく。
「音楽って人を幸せにするためのものではないのか?」
金子さんは23歳で、 このおかしなビジュアル系バンド業界から離れる決意をした。
音楽の勉強をきちんとしようと、 バンド活動をしながら音大にも通っていたが、 学校で行う授業の意味のなさを感じていた。 あと1年通えば卒業できるのに大学をやめた。 「意味がないといいながら卒業するって自己矛盾じゃないですか。 意味がないならやめるべきだと思った」
戻ってきた1年分の授業料。 それを生活費に、今後の人生どうしたらよいのか、 音楽とどう向き合っていけばよいのか、 しばらく充電期間にしようと考えた。
そんな矢先に東日本大震災が起きた。 知り合いに誘われ、 4月上旬に被災地(宮城県石巻市)を訪れることになった。 バイト先も親も危険だからと被災地に行くことを反対した。
でもそこで3日間、ボランティアをして、 被災地を見て、被災者と出会うことで、 大きな気づきがあった。
「こんなにも大きな被害にあっているのに、 被災地で助け合うのが当たり前という光景を見て、 人と人との関わり方はこうあるべきだと気づきました」
長らく身を置いたビジュアル系バンド業界は、 事務所もライブハウスもバンドマンもファンも、 助け合いでともに成長していくのではなく、 限られたパイを奪い合って共倒れしていく、 すさんだ関係だった。 それが当たり前となっていた業界に見切りをつけ、 でもどうやって音楽と関わっていけばいいのか、 わからなくなった彼にとって、 被災地での助け合いの関係は、 あまりにもシンプルな人と人との関わり方だった。
「その時に“翼”という考えに思いが至ったんです。 お互いがお互いの翼になる。 自分が誰かを助けることで、他の人が飛べるようになる翼になる。 それと同時に、相乗効果で他の人が自分の翼にもなってくれる。 先行きのない業界で共倒れしていくような、 そんなところで懸命にお金と時間と労力を使うのではなく、 この先、広がりが感じられる方向に、 お金と時間と労力を使うべきではないかと思いました」
2011年4月に訪れた石巻の保育所の人とつながりを持つようになり、 2011年6月にも再び訪れ、お手伝いをした。 親しくなった保育所の先生に、 以前、音楽活動をしていたことを話したら、 「今度、子供たちのために音楽やってよ」と言われた。
それを機に思った。 また違った形で音楽をやりたいなと。 みんなが不幸になる音楽ではなく、 ともに助け合い、ともに互いの翼になれるような、 音楽活動をしていこうと。



