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【読書感想】極限メシ!: あの人が生き抜くために食べたもの

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(178)極限メシ!: あの人が生き抜くために食べたもの (ポプラ新書)

内容紹介
光のない北極、命がけの紛争地帯、
水も食糧も尽きた太平洋上、-40℃のシベリア……
死ぬ気で食わなきゃ、ほんとに死ぬ!

あらゆる「極限」を嘗め尽くした者たちに、
「何を食べ、どのように生き抜いたか」を聞くことを通して、
生きることと食べることの意味を問い直す。

災害やテロなど、いつ極限に陥るかも知れない私たちにとって、
彼らの経験を読み、追体験することは有益なはずだ。
想像を絶するサバイバル・インタビュー集が誕生!

 自ら選んで、あるいは、自分ではどうしようもないさまざまな事情(シベリア抑留や海での遭難など)で、「極限状態」に置かれた人たちが語る、「そのとき、何を食べていたのか」。
 「内容紹介」には、「災害やテロなどで、極限状態に陥ったときの参考として」などと書いてあるのですが、僕などは、「そうは言っても、もう50歳が見えてきた自分が、海難事故で遭難したり、マグロ漁船に乗り込んだり、極地を旅することはないだろうし……」とも思うんですよ。
 それでも、こういう「極限状態での人間の行動」というのは非常に興味深いし、読むと、「こういう世界があるのか……」という驚きに満ちているのです。
 
 探検家・角幡唯介さんの回より。

 そんな角幡さんも、常に順調に食料を手にできたわけではない。これまでの旅を振り返ってみても、何度か飢え死にしそうになった経験を持つ。

「2012年に出した『アグルーカの行方』のときは、1日5000キロカロリーを摂取していたんですが、やっぱり痩せてしまいました。ギリギリの状態ではあったけど、2009~10年にチベット奥地のツアンボー渓谷に行ったときのような飢えではなかったですね(『空白の五マイル』に収録)。あのときは行動食が底をついて、アルファ米しかなくなってしまったんです。それで、やむをえず行動中にアルファ米を食べるんですけど、そうするとそれまで動かなかった体が、動くんですよ。『あーダメだ、腹が減って動けねえ』となりつつも、いざ胃の中に入れると、30分ぐらいで動けるようになる。まさに摂取したカロリー分だけ、動く。それで、しばらく経つとまたエネルギーが切れて、また『あー、足が上がらねえ』って感じになるんです。まるでガス欠の車状態でしたね」

 彼はこのとき、寒波で三日間、洞窟に閉じ込められた末、食料がまったく足らない状態に陥っていた。飢えて衰弱し、最悪、死を覚悟したという。生きることと食べること。そして、その食べ物はどこから与えられるものなのか──。角幡さんの探検は、私たちに、日常ではまず考えないような問いを突きつけているように思える。

 言われてみれば当たり前のことではあるのですが、人間の身体って、エネルギーが無くなったら、車のガソリンが切れたときと同じように、動かなくなってしまうんですね……
 僕自身は「お腹空いたな」と思うことはしばしばあれど、ここまで深刻な「飢え」を実感したことはないのです。

 「飢え」や「渇き」に直面した極限状態で、人間はどう行動するのか、について、この本ではいくつかの証言がされています。

 1991年、参加していた外洋ヨットレースで、ヨットが転覆し、6人で太平洋を漂流、仲間たちが命を落としていったなかで27日後に、ただひとり救助された佐野三治さんの回より。

 仲間のクルーが亡くなるたび、佐野さんはひとりひとりを水葬していったそうだ。彼らの無念さは、いかばかりであっただろう。

「誰しもが『生きて帰ろう』と強く願って頑張っていましたし、生きるということに対して最後まで諦めていませんでした。狭いラフト内で食べ物や水を奪い合ったり、暴力を振ったりすることも一切ありませんでした。それどころか、弱った者がいればいたわり、励まし……。彼らは最後の最後まで、立派なシーマンだったと思っています」

 佐野さんが今回のインタビューにこたえてくれた理由のひとつとして、仲間たちが最後の最後まで、立派な振る舞いをしたことを、ひとり生き残った者として、伝えなければならないという使命感があったのではないか。そんなことを思った。

 シベリア抑留を経験した中島裕さんは、こんな話をされています。

「シベリアの経験にしろ、戦後の経験にしろ、私の人生において無駄だったと思う体験はひとつもありません。ソ連の仕打ちは確かに許せないけど、旧ソ連の人々が嫌いかと言ったらそんなことはない。彼らのよさも十分に知っているつもりです。

 ラーゲリでやらされた仕事も過酷でしたが、それでも労働は誠心誠意やったし、現地ではハラショーラボータ(勤労賞)を二度もらったほどです。労働は神聖なものですからね。一生懸命やれば誰かが見ていますよ。

”地獄の底”のような体験をしたかって? それは考え方次第でしょう。

 三キロのパンを二十等分するときに、端っこを取り合いになったことがあります。パンって、焼き皮のあるほうが香ばしくて食べ応えがありますから。これを食べないと死ぬとなったとき、他の人にあげますか? あげる人ばかりだったら、戦争は起きないわけです。みんな自分のことを先に考える。戦争はなくならないし、誰かがそのことを言わなければならない。

 でも、だからこそ思うんですよ、語らずに死ねるか、と」

 ヨットで一緒に遭難したのが立派な人ばかりで、シベリアに抑留された仲間は自己中心的だった、というわけではないと思うんですよ。
 同じ「人間」が、極限状態で「飢え」に直面している状況であっても、わずかな食べ物を譲り合ったり、取り合ったりするのです。

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