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遅れる比残留日系人2世の国籍取得

「生あるうちに、日本人の証を」
なお1000人以上が無国籍状態
政府・国会が一歩、踏み出すとき


戦前から終戦にかけ日本人の父親の子として生まれ、戦後、フィリピン人の母親とともに現地に残されたフィリピン残留日系人2世が日本国籍の取得を求め家庭裁判所に「就籍」の申し立てを始めてから15年近くが経過した。しかし就籍の審判で日本国籍を取得できた残留2世は計240人に留まり、なお1000人以上が無国籍状態にある。当の残留2世は終戦の年に生まれた最も若い2世でも来年は後期高齢者の仲間入りをする。

▼現状の就籍手続き 年20人程度

戦後の厳しい反日感情の中で、父親との関係を示す資料を捨てるなど「日本人の子」であることを隠して生きざるを得なかった残留2世も多い。戦後の長い空白期間を経て、証拠を重視する司法の場で親子関係を立証するのは難しく、就籍手続きで日本国籍を取得できた残留2世は多い年で年間20人程度に留まる。このままでは「生あるうち」に「日本人の証」を手にするのは難しい。

残留2世問題は国の名で行われた戦争の結果、生まれた。そうである以上、残留2世の国籍問題も国の名で解決される必要がある。しかも彼らが求めているのは損害補償や慰謝料ではなく、日本人の父親から生まれた人間として当然、認められるべき日本国籍である。残された時間は少ない。政府、国会が早期解決に向け早急に一歩踏み出すよう求めたい。

残留2世の国籍取得に取り組む「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)
によると、これまでに判明した残留2世は3806人。うち父親の身元が分かり日本国籍を持つ2世は1181人(うち死亡433人)、身元は判明しているものの日本国籍を取得できていない2世1738人(同885人)、身元が未判明で日本国籍がない2世887人(同563人)。日本国籍を取得できていない生存中の2世は1177人に上る計算だ。

▼比・外務長官の呟き

関連して近年、フィリピン政府が残留2世の「無国籍認定」に前向きに取り組む動きが出ている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が世界で1000万人に上ると推定される無国籍者をゼロにする方針を打ち出したのを受けた動きで、8月には残留2世103人がフィリピン法務省に無国籍認定を申請した。

残留2世は納税も行い選挙権も持つが国籍はなく身分は不安定、パスポートを取得できず海外にも出られない。無国籍と認定されればフィリピンに居住する権利が正式に認められ、渡航証の発行手続きなどを経て出国の機会も保障される。日本政府による残留2世の日本国籍認定が遅々として進まない現状を前に、まずは残留2世の立場を安定させ、日本政府に早期の対策を促す狙いも込められている。

そんな中、フィリピン外務省のテオドロ・ロクシン外務長官が残留2世問題に関連して9月19日付けのツイッターに記した呟きが関係者の間でひとしきり話題となっている。「私たちはフィリピン国籍をいつでも提供するよう用意があるし、登録手続きはいつでも始められる。とはいえ、彼らの願いは日本人になることである。ところが日本の国会はどうやらその声を聴こうとはしていない。そんな状況にあってもなお、彼らは近代の日本の侍の末裔たちなのである。不思議な国である」という内容だ。

歴史的経過を見ても、残留2世が日本人の子であるのは明らか。何故、日本政府や国会は前向きに対応しようとしないのか、「侍」の国として潔さを欠くのではないか、といったフィリピン政府担当者としての“問い掛け”が込められている気もする。

それではフィリピン法務省が無国籍認定をする場合、その理由をどうするかー。「(残留2世が)日本国籍を持っている」と書くのは無理として、フィリピン政府の見解として「彼らは自分が日本人であると信じるが故に長い間、フィリピン国籍ではなく日本国籍を求めてきた」といった表現がされるとすれば、少なくとも就籍の審判の疎明資料にはなる。残留2世と同じように戦地に取り残された「中国残留孤児」の場合は、日中両国政府の合意の下に作成された「孤児名簿」が就籍を加速する決め手となった。

ただし中国残留孤児の肉親捜しは1972年の日中国交正常化を機に大きく前進した。これに対しフィリピン残留2世関係は、外務省の実態調査自体がそれより20年以上遅く、就籍の申し立てが始まるまでに、さらに10年近くを要している。30年の差はあまりに大きく、同じ手法で残留2世の国籍取得が実現するには残された時間が少なすぎる。何としても政治の後押しが必要と考える所以だ。時間切れで残留2世が無国籍状態のまま人生を終えるような事態は何としても避けるべきである。

▼「民」の力だけで解決するには限界

一足早く対策が進んだ中国残留孤児が満蒙開拓団など国策によって中国に渡った両親とも日本人の子であるのに対し、残留2世は自由意志でフィリピンに渡った日本人男性と現地の女性との間にできた子、といった違いを指摘する声もあるが、父親が日本人の子は日本国籍を持つとされた当時の戸籍法からも何らの違いはない。

残留2世の日本国籍取得はこれまで、日本財団の支援を受けたPNLSCの活動を中心に進められてきた。しかし「民」の活動だけで現状を大きく前進させるのは限りがある。現在、この問題を外務省、厚生労働省、法務のどこが主務するのかさえ、はっきりしない。早期解決には特別立法など、政府や国会の取り組みが欠かせない。こんな事情を受け10月末には「フィリピン日系人会連合会」のイネス・マリヤリ会長ら6人が来日、日本、フィリピン双方で集めた4万人余の著名を添え、国会に早期解決を求める請願書を提出した。

同行者の一人、カルロス寺岡・連合会前会長(88)は1930年、ルソン島バギオで山口県出身の父(1941年病死)とフィリピン人の母の3男として生まれ、長兄はスパイ容疑で日本の憲兵隊に銃殺され、次兄はフィリピンゲリラに殺害された。さらに米軍の攻撃を逃れ山中に避難していた1945年春、母と妹、弟を米軍の砲撃で失い、結局、もう1人の妹と2人が残された。

2000年から12年まで日系人連合会の会長を努め、2006年だったか、初めて会った際、残留2世問題を知る日本人が極めて少ない現状に「われわれは棄民なのか?」の怒りの言葉を漏らされた。戦後処理は敗戦に伴い海外から引き揚げる日本兵や邦人対策など極めて膨大。本来なら専門の省なり組織が欠かせない。旧厚生省(現厚生労働省)の援護局を中心にした戦後処理は徹底を欠き、遺骨取集など、なお残された課題は多い。「棄民」の一言に戦後処理から長く取り残された残留2世の無念を聞く思いがした。

▼天皇陛下の言葉に涙した残留2世

一夜、東京都内の宿泊先に寺岡氏を訪ねると、残留2世の国籍問題が日本国民に広く知られるようになった現状を「隔世の感がある」としながらも、日本政府や国会のあと一歩の後押しがほしいと語った。同時に一番の思い出として16年1月、国交正常化60周年を記念してフィリピンを訪問された天皇・皇后両陛下(当時)の思い出を語った。

両陛下は当初、日系人協会の関係者ら数人の代表と会われる予定だったが、宿舎となったホテルには80人を超す残留2世が詰め掛け、両陛下は日本国籍の有無とは無関係に、「苦労されたことでしょう」、「皆さんを誇りに思います」と声を掛けられ、多くの残留2世が涙を流した。寺岡氏は両陛下から直接声を掛けられた当時の写真を見せながら「両陛下が声を掛けてくださり涙が止まらなかった」と語る。当日の情景は、両陛下が政府より一足早く、残留2世を等しく「日本人」と認められた姿でもあった。あらためて政府の勇断を期待するー。

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