- 2019年11月07日 11:15
「治る見込みのない子ども」は見捨てるべきか
2/2「器械で維持」されていた女児の命
最後の可能性は膜型人工肺(ECMO=エクモ)です。心臓は自分の力で動いていますから、人工心肺から心臓の働きだけを除いたECMOをやるしかないと思ったのです。女児をICUに移送し、局所麻酔をかけて首を切開しました。1本のカテーテル(管)は頸静脈から心臓に入れて、血液を体外に出します。人工肺を通って血液は酸素化されます。もう1本のカテーテルは頸動脈に入っていますので、ここから酸素化された血液が全身を循環します。
ECMOを回し始めると女児の全身は桜色に色調を取り戻しました。勝負は1週間です。ECMOはいつまでも使用できません。体外循環の最も怖いところは、回路の中で血液が固まってしまうことです。このため、循環血液の中にはヘパリンという血液凝固阻止剤が入っています。ただでさえ、抗がん剤の副作用で血小板が減少しているのに、ヘパリンを使うと脳内出血を起こす可能性があるのです。
しかし、ECMO開始から1週間を過ぎても女児の肺の状態はまったく改善しませんでした。人工呼吸器をつけてすでに2週間が経過しています。血圧は低下し、しだいに除脈になっていきます。不整脈も頻発します。ペンライトを当ててみても瞳孔は開いたままで反応がありません。気管内の痰を吸引しても、咳のような反射はまったくありませんでした。脳内出血を起こしていることは、明らかでした。
毎日面会に見える両親の顔にも悲しみと疲れが滲むようになっていました。ECMOと呼吸器が動いているだけで、女児の命は器械によって維持されているだけという状態です。
このままだと、子どもにも両親にも残酷すぎる
その日、夕方に両親が面会に来ることになっていました。心拍数はさらに一段と低下し、不整脈も注射薬では抑えられない状態でした。
私が考えたことは、もはやこの子を助けることではありませんでした。両親の面会に合わせて、両親が見守る中で逝かせてあげようと考え始めていました。ICUの入り口に両親の姿が見えたら、私はECMOのダイヤルを絞って体外循環の流量を落とそうと考えていたのです。
しかし、そんなことをやってもいいのだろうか。それは「治療の差し控え」だろうか、「治療の停止」だろうか。それとも「積極的安楽死」に相当するのだろうか。私はこの子の命を軽んじているだろうか。それはない。このままだと、この子にも両親にもあまりにも残酷に過ぎるのではないだろうか。
私がダイヤルに向かってためらいながら右手を伸ばしたとき、入り口に両親が姿を現しました。その瞬間、アラームが鳴って心電図の線がフラットになりました。
「早く!」
私は叫びました。両親がICUの中を走ってきて、女児にそばにはりつきます。
「手を握ってあげてください」
私は心臓マッサージをしませんでした。そして腕時計に目をやり、その時刻を告げました。
「一人の人間」として、子どもと丁寧に向き合う
私がECMOのダイヤルを絞ろうとしたことは、今でも自分の胸の中に澱のように暗い記憶として残っています。心臓マッサージをしなかったことは、あの子の命に線を引こうとしたことになるのではないかと考えます。こうした自分の態度が倫理的に正しいのか、今でも分かりません。
では、重度心身障害児の中でも、とりわけ脳の障害が重い子に対して手術をしないという判断を私は批判できるでしょうか? この問いに対しても答えを出すことができません。
ただ、一つだけ確実に言えることがあります。それは、どんな子どもにも人権があるということです。病気が重篤で治る見込みが皆無でも、重い障害が一生消えないとしても、子どもには人権があります。子どもの命は子ども自身のもので、医者がその命の期限を決めるというのは、やはり危うさがあると思います。
子どもの人権を尊重し、子どもを一人の人間として丁寧に向き合っていくことが、医療者には求められるのではないでしょうか。それは大病院の医者でも、開業医でも同じことです。私はそういう思いを大事にしながら、現在、診療を行っています。
----------松永 正訓(まつなが・ただし) 医師 1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『子どもの危険な病気のサインがわかる本』(講談社)、『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『子どもの病気 常識のウソ』(中公新書ラクレ)などがある。 ----------
(医師 松永 正訓)
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