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はじまりは花札から「任天堂ゲーム130年史」を語り尽くそう

 1889(明治22)年、京都で産声を上げた「任天堂」。花札やトランプといった、手軽なカードゲームを作っていた同社は、「ファミコン」の爆発的ブームを経て、いまや世界の「NINTENDO」となった。誰もが子供時代に遊んだゲーム機を軸に、130年の歴史を振り返る!

「ゲーム会社は商品の売り上げで株価の浮き沈みがありますが、任天堂は1983年の東証一部上場以来、借入金ゼロ。キャッシュが合わせて1兆円近くあるといわれます。日本でもっとも安定した優良企業のひとつです」(証券会社幹部)

 世界に向けてゲーム機、ゲームソフトを発信し続ける任天堂。その創業の第一歩は、意外なものだった。

現在も中身は同じデザインで販売されている花札

「今から130年前、1889年に創業した当時は、任天堂は職人が手作りした花札を売る商店でした」(経済誌記者)

 その後、2代目の山内積良社長が1947(昭和22)年、京都市内に「株式会社丸福」を設立。1953(昭和28)年には日本初のプラスチック製のトランプ製造に成功し、1959(昭和34)年にはカルタ製造を自動化するなど、日本のカードゲーム界に新しい風を送り込んできた。

 このころから、独創的なアイデアで製品を世に送り出す、現在の任天堂の企業イメージにも通じる姿を見せていたようだ。

 そして1963(昭和38)年、現在の「任天堂株式会社」に社名を変更。ボードゲーム、麻雀牌などのファミリー向けゲームを多数、発売するようになる。さらには複写機「コピラス」のような事務機器やベビーカーの販売など、遊び以外の事業にも進出した。

 この時期の任天堂に、現在に連なる大きな流れが2つ生まれた。ひとつは、アーケードゲーム機の事業。1973(昭和48)年に業務用のレジャー・システム「レーザークレー射撃システム」を開発したのだ。

 そしてもうひとつは、家庭向けエレクトロニクス玩具だ。電子楽器「エレコンガ」、愛情度を計測する「ラブテスター」、ガンマンのフィギュアなどをターゲットに射撃をおこなう「光線銃」シリーズなどが発売された。

 さらには、無線クリーナー「チリトリー」という、ルンバを先取りしたかのようなガジェットまで開発しているのが驚きだ。

対戦可のゲームを内蔵した「カラーテレビゲーム15」

「この時期のアーケードゲーム展開とエレクトロニクス玩具開発の流れが、のちの『ゲーム&ウオッチ』や『ファミリーコンピュータ』の元祖ともいえる『カラーテレビゲーム』の誕生につながっていったのではないでしょうか」(ゲーム誌編集者)

「カラーテレビゲーム」とは、1977(昭和52)年に任天堂が発売した、15ものゲームを内蔵したテレビゲーム機。そのスタイルは、のちのファミリーコンピュータの姿を彷彿とさせるものとなっている。

マルチスクリーンのゲーム&ウオッチ「マリオブラザーズ」

●「ゲーム&ウオッチ」から始まる携帯型ゲーム機で、男子の心を鷲掴み!

「『ゲーム&ウオッチ』は推定で、全世界累計4340万台を販売したといわれています」(ゲーム誌編集者)

「カラーテレビゲーム15」でコンピュータゲームに光明を見出した任天堂が、現在まで続く「携帯型ゲーム機」という製品群の元祖として生み出したのが、1980(昭和55)年に発売された「ゲーム&ウオッチ」だ。デジタル時計とゲームが融合したこの商品は、50種類以上が発売される人気商品となった。

 左右2個のボタン操作で楽しめるシンプルな商品が多かったが、画面サイズが大きなものや、のちの「ニンテンドーDS」にもつながる折り畳み式のダブル液晶画面など、多数のバージョンが登場している。

 その後も、任天堂の携帯型ゲーム機は進化を重ねていく。「ゲームボーイ」「ゲームボーイカラー」「ゲームボーイアドバンス」と、携帯型ゲーム機もモノクロ液晶画面から、反射型TFTカラー液晶を採用、32bitのCPUを搭載し進化を続けた。後継機で旧ソフトもプレイ可能で、子供たちには嬉しかった。

 ゲームボーイシリーズの思想を受け継ぎつつ、2つの液晶画面に、下画面ではタッチペンを使用することで、直感的なまったく新しいゲーム体験を提供したのが「ニンテンドーDS」。さらに、後継機となる「ニンテンドー3DS」では、なんと裸眼での3Dゲーム画面を実現し話題になった。

ファミコン本体(上)とディスクシステム

●「ファミコン」から据え置き型ゲームが大ヒット、携帯型ゲーム機とも融合

 東京証券取引所に株式を上場した1983(昭和58)年、任天堂はついに、「ファミリーコンピュータ(通称・ファミコン)」を発売する。

「ROMカセットを交換するだけで、違うゲームが遊べるという、任天堂の『ワンハード=マルチソフト』の思想は、家庭用ゲーム機の基本として現在まで受け継がれています」(ゲーム誌編集者)

 国内で1900万台以上、全世界で約6100万台が販売され、品薄による行列など、社会現象も巻き起こし、当時の玩具としては驚異的な商品寿命を誇った。なんと本体は、2003年まで製造が続けられたのだ。

 そして、その後継機となる「スーパーファミコン(通称・スーファミ)」は1990年に登場した。2万5000円の価格で、家をゲーセンにしてしまった記念碑的ゲーム機で、多重スクロールなどを家庭用ゲーム機で実現させ、すべての面でファミコンよりパワーアップ。ボタンが4個増えて6個になったことで、複雑な操作も可能となった。

「背景の多重スクロールなども実現し『ゲームセンターが我が家に来た』とまでいわれました」(同前)

 スーパーファミコンの後継機として1996年に登場したのが「NINTENDO64」。その名のとおり、スーファミの16bitから、64bitへとCPUが進化を遂げた。それまでドット画で描かれていたゲーム画面が、3Dコンピュータグラフィックスで描かれるように。

 コントローラーに搭載された「3D(サンディ)スティック」をグリグリ動かすことで、これまでにない新しい操作感を味わえて、全世界で3293万台が販売された。

 2001年には、「ニンテンドー ゲームキューブ」が登場。任天堂のゲーム機としては、初めてROMカセットでなくDVDベースの光ディスクをソフトに採用。取っ手がついて、持ち運べるシンプルな本体デザインも話題になった。コントローラーにはアナログスティックやアナログトリガーも実装され、より多彩な操作が可能に。

 なお、このハードから、本格的にオンラインプレイに対応するようになり、ゲームボーイアドバンスをつないで、1本のソフトで4人同時プレイができるタイトルもあった。

 2006年発売の「Wii」は、コントローラーを握ってのボタン操作が当たり前だった時代から、体を動かして遊ぶジャイロセンサーを取り入れたコントローラーを標準装備。

 ボタンを押すだけでなく、体を動かし「Wii リモコン」で直感的な操作をするというスタイルで、ゲーム初心者にもゲームの楽しさや手軽さをアピールした。周辺機器も含め、フィットネスやスポーツを楽しめるゲームも多い。

 さらに、2012年に発売された「WiiU」では、コントローラーにもモニターをつけた「WiiU Game Pad」で、テレビと合わせて2つのモニターで新しいゲームのプレイスタイルを提唱した。コントローラーのみで遊ぶことが可能となり、これまでの据え置き機の概念を変えた。また、外づけUSBハードディスクを使用可能に。

 そして2017年には「Nintendo Switch」が登場。従来の据え置き型ゲーム機としても使え、外に持ち出して携帯型ゲーム機としても遊ぶことができるなど、シーンにあわせてカタチを変えられる斬新なコンセプトの商品として、話題を呼んだ。「Joy-Con(コントローラー)」に内蔵された「HD振動」で臨場感が体験できる。

取材協力&資料提供・山崎功

(週刊FLASH 2019年10月8日号)

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