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死は敗北ではない。死を学ぶことによって医学は進歩してきた - 「賢人論。」第102回海堂尊氏(後編)


現役の医師として死亡時画像診断、すなわちオートプシー・イメージング(Ai)の社会導入に奔走しながら、「チーム・バチスタ」シリーズをはじめとする多くの小説を世に送り出した海堂尊氏。「小説を書くのは趣味で、本業は医業」と語る兼業作家だったが、現在は趣味と本業が逆転して専業作家になりつつあるという。そんな海堂氏の目に、少子高齢化が進む日本の社会はどのように見えているのか?

取材・文/ボブ内藤 撮影/丸山剛史

地域包括ケアシステムを支えているのは現場の人たち

みんなの介護 現在、日本の少子高齢化に対応する策として、地域包括ケアシステムが構築され、「医療と介護の連携」や「在宅医療の推進」などが進みつつあります。そんな状況を海堂さんは、どう見ていますか?

海堂 そのことについて専門的な知識があるわけではないので、無責任に批判することはできませんけど、それが完璧なシステムかどうかというと疑問がありますね。

なので、実体験の話からすることにしましょう。5年ほど前、僕の母が介護を必要とする身となったのです。

始めは通いのサービスを利用していたんですが、場合によっては泊まりでサービスを受けられる施設があって、非常に助かりました。現状の介護業界には、必要に応じていろいろなサービスを選べるほどの充実度があることを知りました。

みんなの介護 地域包括ケアシステムが有効に働いている、ということでしょうか?

海堂 いえ、それはわかりません。サービスを利用するには、どんなサービスがあるのかを探さなければいけませんが、僕の場合、たまたま運がよかったのかもしれませんしね。

みんなの介護 サービスを利用する人にとって自分に合ったサービスを「探す」というコストは、依然としてあるというわけですね。

海堂 その通りです。

それから、「在宅医療の推進」ということで言うと、そのことでオートプシー・イメージング(以下、Ai)の必要性が指摘されてもいいはずなんだけど、そうなってはいませんよね。

在宅医療が進めば、自宅での看取りを希望する人が今よりも多くなるはずです。そのときに重要になってくるのが、Aiによる迅速で確かな死亡診断。ですから、在宅死とAiの普及は本来、セットで進めなければならないんです。

自宅での看取りとCTやMRIの装置のある医療機関などをどう結びつけていくのか、あるいは火葬場に装置を設置して手間をはぶくことができないのか──、そうした具体的な議論がなされなくてはいけないはずなのに、まったく聞こえてきません。

みんなの介護 確かにそうですね。

海堂 結局のところ、地域包括ケアシステムなどの制度やシステムは器に過ぎないんです。

僕の母が元気で楽しく暮らしているのは、介護の現場で働いている人たちのおかげです。 もちろん、そうした人たちは地域包括ケアシステムの中で働いているわけです。

その器は、在宅医療以外の部分でも不具合がたくさんあるんだと思いますが、システムがうまく回っているのは、現場の人たちの頑張りが大きいのだと思います。


自分の死をコントロールすることはできない

みんなの介護 ところで、海堂さんはご自身が要介護の身になったとき、どんなことをして欲しいと思いますか?

海堂 もし、「こうして欲しい」という願望を持っていたところで、それを実行できるのは自分ではありませんから、できるだけ望みを持たないようにしています。こればかりは、人任せにするしかありませんからね。

そのとき、日本の社会に「爺捨て山」のようなシステムができていて、ボロ雑巾のように捨てられることになったとしても、泣きながら受け入れるしかないのでしょうね。

みんなの介護 終末期についてはどう思われますか?

海堂 終末期医療についてはシステムが乱立しているように見えますが、いずれにせよ、「死ぬ権利」はあって良いと思います。その人にとって、胃ろうが自然なことなのであれば他人がとやかく言うものではないでしょうし。

私自身のことで言えば、無理やり願望を言うならば、たくさんの美女に囲まれ、嫉妬や憎しみが渦巻く中で静かに息を引き取りたい(笑)。そんなことになれば幸せだと思いますけど、これも自分ではどうにもできません。

要するに、自分の死をどうするかということは考えるだけ無駄で、おいしいものを食べられるうちは思う存分それを味わって、楽しく生きていくのが一番だと思っています。

人は死との闘いをやめることはできない

みんなの介護 医師の中には、「死は医療の敗北」と言う方もいるそうですね。

海堂 僕はそうは思いません。そういうふうに考えると医療は『必敗』ですよ。医療は生を徹底することですが、そもそも生は必ず終わるもの。もちろん、手術で元気にできるはずの人を救えなかったとしたら、それは敗北です。しかし、それはごく一部のこと。

死を敗北と捉えたら医師は負け続ける運命なわけですから、その医師はどこかで歪んでしまうでしょう。これからの若い医師には、そういうふうに考えないでもらいたい。

みんなの介護 特に病理医は死から始まりますものね。

海堂 だからこそ、「メメント・モリ(死を想え)」という言葉があるように、死が医学の進歩を促してきたのです。要するに「死から学べ」ということ。そう考えてみると、死は敗北ではなく、死を財産にする学問が医学なのだと言えます。

死は敵ではない。そのことは、決して忘れてはいけないことだと思います。

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