- 2019年10月29日 12:07
宇崎ちゃんポスターについて、オタクとフェミ相互理解のための補助線
2/2で、今回の宇崎ちゃんポスターである。
一方で、今回の宇崎ちゃんポスターのフェミ側(こういう種類分けもどうかと思うけど、のも)からの批判はこうだ。
・「この絵は不必要に煽情的に女性を描いており、公共の場にはふさわしくない。」
この煽情的にというのがまずは第一のポイントになる。要はこれがエロいかどうか。
ちなみに、これが宇崎ちゃんポスターがエロいかどうか、実はガチのマジで「オタクにはわからない」。
というのはオタクには自明の「あなたの地雷は誰かの萌え」という思想が行き届いているため、「俺にはエロで刺さるが、まぁ普通に服着てるから、一概にエロいとは言えないんじゃないの?」と、徹底的に判断を個人個人に委ねるためである。
まぁ全員に「おまえはどうなんだ?」聞いて回ったらだいたい「なんかエロい」で統一される気もする。ただこれは、別の絵を持って回っても答えは一緒だと思う。
(ちなみにフェミニストが「ジブリはオタクからエロ消費されてない」とか勘違いしているけど、あれこそロリコン監督が作った極致だぞ。)
それゆえオタクは怯えるのである。
「ちゃんと服着ている以上、これがエロいとなるとまぁ他もだいたいエロいし、どっちかというと小さい方がエロい気もしてるし、なら明確な「これが駄目」というラインが引けない。となると二次元表現はだいたい全部駄目になるな。」と考えるためである。
となると、ここでの後退戦はあり得ない。自らの好むものすべてを封殺される危機となり、徹底抗戦ラインが引かれてしまう。
一方のフェミは「ここまで自明なのに、エロいと思うことすらすっとぼけやがって。カマトトぶるなよ」となるわけである。
第2のポイントとして「エロいのは駄目なのか?」
ラディカルフェミニストからすれば自明の「エロ=女性の性的消費=性的搾取であり悪」という理論、オタクには浸透していない。
「え?仮にエロいとしても、なぜダメなの?わいせつ物該当でもあるまいし。。。これがエロいとなると、本物の巨乳女性はいるだけでエロいって思われている?」となる。
「別に巨乳がエロいわけじゃなく、それをエロく書いて性的消費しているのが悪い。それが証拠に乳袋が」とかなんか表現各論に入ると
「いやコスつくるとき立体裁断したら乳袋出るし…え、でも巨乳はエロくないんだよね…?」と途方に暮れてしまうのである。
また、当然ながら現代人のオタクはリベラル・フェミニストでもあったりする。というか大抵そう。そうなると反転可能性テストをして
「お前らもいろんなもんで男を性的消費してるやないかい!知ってるんやぞ!カマトトぶりやがって!」となるわけである。だって主語が女性だから。
ただこれも今度はラディカルフェミニストには刺さらない。何故ならこれは抑圧をされていない男性側の言い分だから。
(もちろん徹底的にすべてのエロを潰すべきって人もいる。)
これについては、下で別被害をまとめる。
第3のポイント。公共の場とは?
フェミとオタクが平和に暮らすなら、エロいものは公共の場には出さないゾーニングというという考え方も出来る。
今回のポスターは、本当に公的な表現としてふさわしかったか?
論点整理しやすそうなこのポイントも、面倒くさいオタクにかかると自明のものにはならない。
まずは、赤十字が公的団体か。実は違う。日本赤十字社法によって設立された認可法人であり社団法人類似組織となる。
これにより公的機関の「広報ガイドライン」に従う必要はない。
次に、本当にゾーニングで守れるか?
これについては、実は発火点の太田弁護士が「真空パックAVで検索したら吐き気がするものに出会った。ただちにやめるべき」
という、お前なんでそんな検索ワードでセーフサーチオフにして検索してるんかいというボケをかましており
「ゾーニングは突破口であり意味がない」との認識もオタにある。(ちなみにボケじゃなくて太田弁護士の表現抑圧作戦だと僕は思った)
また、このポスター絵、実は本屋で販売されている宇崎ちゃん3巻と同じであり、公共の本屋も危なくなる(つまり18禁に追いやられかねない。そうなると、売り上げの問題で結局排除と同様になる)
それに「公共の場」ルールが出てくる。まさにあいちトリエンナーレで叫ばれたあれだ。
つまり「表現の自由を行使すれば、それは誰かを必ず傷つけるが、それはある程度受忍しなければ」と言われてたのどこにいった?となる。
つまり、ガタガタいろんな想定をするオタクは、素朴な「見えないところでやれ」というフェミ側の意見も飲めなくなってしまうのである。
・「この絵は不必要に煽情的に女性を描いており、公共の場にはふさわしくない。」
このたった一文ですら、どの立場から見るかで世界が違うのである。
今回、補助線を引きたかっただけなので、世界の見方についてこれ以上どうこういうつもりも必要もなかったのだけど蛇足をつける。しかも2つも。
・オタク止まれ
「宇崎ちゃんはエロく描いてあるけど、アメコミは巨乳描いてもエロくない」といった人を「おかしいやろ」とpixivまで追い詰めるのやめれ。
確かにアメコミもエロいと思うけど、タピオカの風刺画を描いた女性を追い詰めたフェミと同じ真似やぞ。そこは表現の自由を守ろう。
・あいちトリエンナーレありかた検証委員会委員 岩渕潤子氏は巨乳女性への差別をやめろ
さっきの2つ目のポイントで
「これがエロいとなると、本物の巨乳女性はいるだけでエロいって思われている?」と議論混同するって話をしたが、これを完全に混同してしまったのがなぜだかフェミニストの岩渕氏であり、実在の女性に対して、宇崎ちゃんと同じ大きさの乳は奇形であり障害と言い切ったうえ、「胸が大きいばかりにバカ女の役しか得られない女優さんのドキュメントもあった」と乳房緊縮手術を勧めている。
私の体は自分自身が決めるというフェミニズムの原点すら放棄しており、女性の体をパーツに分けモノ化している。明確に女性否定であり支離滅裂な差別である。
(後にアニメで巨乳に描くのは奇形であり障害と、大して変わらない訂正をした。)
あー、ここで留めるつもりだったけどちょっと筆が滑る。こっから本気の蛇足。
ラディカル・フェミニズムは私的領域たる内面の自由に干渉する。
それは必然的に。何故なら「あなたの選択は真の男女平等にならない」から。
つまり、自由より大事な「正義」がある。
一方で(形式的には、かもしれないけど)自由で平等たる現代社会は内心の自由を尊重する。
何故なら正義は演算できないし証明できないから。だから自由でいる。
だってロールズだって結局証明できなかったんだぞ。
その証明できない「正義」がまずもってあるというのは、実は憎むべき家父長制と親和性が高い。
というか、大して変わらない。
「女は俺の言うことが正解だから言うことを聞け」の「俺」が父親からにラディカル・フェミニズムに変わっただけである。
実際、ラディカルフェミニストたる岩淵氏が、目の前で「父権的保守」に合流し、「巨乳はアホに見られるから乳を小さくする手術を受けろ」と言う様を見せられると「自らの正義を信じる人って怖いなぁ」と思う。



