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「つくられた自然」の何が悪いのか――「自然再生事業」の倫理学 - 吉永明弘 / 環境倫理学

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今年の夏もひどく暑かった。この暑さと人が排出したCO2の蓄積との因果関係などについては私には判断がつかないが、都市部の暑さの原因には人為的な要素が明らかにある。舗装道路の照り返し、エアコンの排熱、緑地の少なさなどは、少なくとも体感レベルには大きな影響を与えていると思う。地球規模の話をしなくとも、現在のこのような環境は人間が生み出している部分があることは否定できないだろう。

私の専門分野は環境倫理学であり、特に「都市の環境倫理」について考えている。現在、多くの人々は都市に住んでおり、都市環境とは我々にとっての住み場所としての環境である。都市は自然と対立させられ、都市=自然がない地域と表象されることもあるが、それは誤りである。都市部にも自然が存在する。そして都市部の自然こそこれから維持していかなければならないものなのだ。

このような問題意識を背景にして、『現代思想』(青土社)の9月号の「特集=倫理学の論点23」に「人新世下のウィルダネスと「都市の環境倫理」」という論文を寄稿した。要点は以下の二つである。(1)アメリカの環境倫理学の前提をなしていたウィルダネス(原生自然)の保存という考え方はさまざまな批判にさらされており、人新世(もはや人の手が入っていない自然は存在しない)という考え方はそのダメ押しをした。(2)しかし、人間にとってウィルダネス経験をするということは重要だ、という論点は生き残っており、それならば都市においてこそウォルダネス経験の場を残すべきだ。具体的にはコンセプトにまみれていない雑木林や空き地をウィルダネスとしてそのまま残しておくべきだ。

詳細については『現代思想』所収の拙論を読んでいただきたいが、ここでは、それに関わる話題として、「自然再生事業」について環境倫理学の立場からコメントしてみたい。

環境倫理学における「自然再生」に関する議論

従来の環境倫理学において「自然再生」は批判の対象であった。1982 年に環境倫理学者のエリオットが論文「自然偽造」(Faking Nature)を著し、それを引き継ぐ形で、1992 年にカッツが「大嘘――自然の人間的再生」(Big Lie)を著した。そこで彼らは、人間が再生させた自然は「偽物の自然」であり、それを自然というのは「大いなる嘘」である、と主張した。これらの議論の背景には人の手が加わっていないウィルダネスこそが本物の自然であるという考えがあった。

近年ではアンドリュー・ライトが彼らの議論を批判して、自然再生事業を支持している。その理由は、第一に、再生された自然は、自然が自律的に復原していくことの支援になりうる。第二に、本当の自然との類似性をもっているので、それとかかわる機会は、再生されていない自然に対して、配慮しなければならないという人々の思いを強化する。第三に、再生活動を通して、人間が自然に与えた損傷がいかに複雑なものかを知ることができる。(以上は、丸山徳次「自然再生の哲学〔序説〕」『里山から見える世界 2006年度報告書』龍谷大学里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センターのまとめによる)。

ライトがこのような考えを持ち得たのは、彼がウィルダネスこそが価値ある自然だという考えから逃れていたからである。また彼はウィルダネス概念と、原野・農村・都市という地域区分が結びついて、都市という環境が不当に貶められることを批判して、「都市の環境倫理」の必要性を提唱した人物でもあった。

人がつくった自然を賛美する

近年では、ウィルダネスこそが本物の自然であり賞賛に値するという主張はかなり旗色が悪くなっている。エマ・マリスのように、ウォルダネスを幻想して退け、世界を人間の「庭」(多自然型ガーデン)として作り上げることを称揚する議論も現れている。マリスによれば、自然保護の目標は、生物多様性の豊かな世界を人間の手で実現することにある(エマ・マリス『「自然」という幻想』草思社)。

訳者の岸由二によれば、この本は自然保護の新時代到来を告げた本であるというが、考えてみれば、人がつくった自然を賛美することは、けっして目新しいことではない。例えば「美林」は美しい人工林を称える言葉で、原生林に対しては用いられない(井原俊一『日本の美林』岩波新書)。また、フランスの作家ジャン・ジオノの『木を植えた人』を読んで感銘を受けるのは、主人公が植えた木々があたかも自然の森のようになって、主人公が植えたことに他の人々が気づかないという点にある。これを読んで、人がつくった森なんて偽物だよ、という感想を抱く人はまれであろう。むしろ、人間の営みが自然の営みのように錯覚されるに至る点に感銘を受けるのである。

「好意的再生」と「悪意のある再生」

以上のことから、自然再生には特に悪いところがない、つくられた自然は悪くない、と言えそうである。だが、それにもかかわらず、ある種の自然再生事業には依然として胡散臭さがつきまとっており、それはそれで理由がある。

アンドリュー・ライトは、自然再生を、「好意的再生」(benevolent restoration)と「悪意のある再生」(malicious restoration)に区別する。先にライトが推奨した自然再生は、「好意的再生」の場合に限られる。ライトによれば、「悪意のある再生」とは、例えば川床の再生が山頂採掘を許すための口実として使われる場合であり、これは批判されるべきだという。これこそが、自然再生事業が悪く思われる大きな要因であろう。開発を進めて森を切り拓くけれども、その代わりに植林をするから問題はない、という態度は、もともとあった森を残したい住民たちにとっては欺瞞的に映る。開発を進める側は森を代替可能と見なしているが、残したい住民たちにとってはその森は代替不可能なものだからである。しかしこのように自然再生を代償的に用いるというやり方は、環境政策に埋め込まれているものである。

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