最近、BLOGOSでネット上での選挙運動を解禁しようという内容の記事をよく見かけるようになった。(*1)
記事を読むに、やはりネット選挙運動が、市民の政治参加を推し進め、政治と生活者の距離が縮まることを期待しているようだ。
しかし僕は今のところは、ネットでの選挙運動に反対の立場である。
僕の懸念は、「ネット選挙が解禁されれば、活発な議論や、政治活動に対するいろいろな見方などが飛び交い、政治的に豊かなネット環境になるのだ」と、皆さん期待しすぎていませんか? という点である。
ネットでメールやFacebookやTwitterなどのPUSHメディアを解禁しようとするならば、現実社会でも候補者やその支持団体が、個人の郵便箱や電話にアクセスすることも認めたらどうだろうか?
それを解禁した途端に、郵便箱には敵対候補を誹謗中傷する怪文書がばらまかれ、電話には投票依頼が殺到するだろう。市民も候補に対して見返りを望み、買収が当たり前になる。
ネットはあくまでも現実の延長であり、現実と異なる理想郷などではありえない。そのことを理解していれば、現実でやれば問題が起こるであろうことを、わざわざネットで解禁しようとは思わないはずである。
僕がネットでの選挙運動を認めるとすれば、メールやSNSなどで、直接ユーザーに主張を送りつけるPUSH方式はアウト、候補者自身のウェブサイトを更新するだけというPULL方式であればセーフという、極めて消極的なものになる。
主張も説明会のお知らせも、全部自らのサイトに掲載すればいい。そして、候補者の情報を望む人が自らの意志でアクセスすればいい。それで何か問題があるだろうか? なんでわざわざFacebookやTwitterで発信しなければならないのか。
Twitterの情報が、その候補者をフォローしている人だけに届くのならいいよ。でも、その候補者の支持者は、それを絶対RTするでしょ。公式RTならいいけど、絶対非公式RTで、無関係のハッシュタグつけまくったり、下手するとこっち宛てに@つけて送りつけてくるでしょ。選挙期間中、延々知らない候補者のツイートが送りつけられてくるなんて、考えるだけでも嫌だ。
主張だけならまだしも、他の候補者の悪口や陰謀論、そして「あの候補者は朝鮮人だ!」とか、そんなクソのようなツイートが、今でさえ目にしてしまうのに、選挙期間中はTLにそうしたくだらないツイートがあふれるかと思うと、本当に辟易させられる。
また、アフィリエイト収入を狙ったまとめサイトが、あることないことを書いて煽り立てることも目に見えている。一般の人が候補者の情報を調べようとしてネットを検索をしたら、トップの方にこうしたまとめサイトが出てしまい、個々の政策ではなく、醜聞が市民の目を曇らせるのでは、目も当てられない。
そうして、ネット上には対立候補を貶めるための過激な言葉ばかりがばらまかれ、個々の政策に踏み込んだ細やかな議論は広大なネットの海の底に埋没してしまうに違いない。僕には、ネット選挙解禁後のインターネットは、低レベルな政治的書き込みに汚染された気持ちの悪いネット環境に変わるとしか、イメージできないのである。
僕達が3・11以降に学んだのは、市民の意見を総合すれば正しい問題解決に行き着くというわけでは、決して無いということではないだろうか。
市民の意見は、科学的だったり経済的だったりの考え方を無視して、ただ「とにかく放射能は危ないのだ」という感情論に乗って突き進んでしまった。そうして復興は遅れ、被災地への差別感情が喚起され、農作物に対する偏見が大きな経済的な悪影響を与えている。少なくとも僕は、そうした世論形成にネットが一役買ってしまったことを知っている。
もはや、ネットに安易な夢を見たり、市民無謬論にうつつを抜かすことは許されない。市民が使うツールが暴走することの恐ろしさを、最低限、視野に入れてから、ネット選挙解禁の善し悪しを論じるべきではないだろうか。
ネットは決して一部のネット利用が得意な政治家のための道具ではない。露骨な政治的メッセージから、インターネットを守るためにも、今はネット選挙運動を解禁するべきではないと、僕は考えざるをえないのだ。
*1:ネット選挙運動 - BLOGOS(ブロゴス)
プロフィール

1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「若者を見殺しにする国 (朝日文庫)」など。
・@T_akagi - Twitter