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「普通」を求める人には、恋なんてノイズみたいなもの

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恋より取引

 さきほど私は、「女子の求める普通」に書かれているリストは婚活に似ている、と書いた。人間を検品し、値踏みし、交際可能かどうか判断するのは、売買する商品を検品し、値踏みし、販売可能かどうかを判断する商人のソレに似ている。「彼女が欲しい」の男性も、自分が男女交際にふさわしいかどうかを検品し、商品としての自分に足りないところがあれば補い、商品たろうとつとめている。
 
 男性も女性も、お互いのことを商品だと理解し、商品として売れるのか、買うに値するのかを考えているとしたら、それらは恋ではなく、売買として理解するのがふさわしい。
 
 

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 上掲書の時代からこのかた、恋がなければ男女交際や結婚ができないわけではない。
 
 恋というロマンではなく、取引のためのリストとして考えるなら、くだんの「女子の求める普通」は非常にわかりやすい。商品を検品するまなざしで男性を選んではいけない道理などどこにもない。婚活も、就活も、人間の交換価値や生産価値をディスプレイしあい、合意に基づいた取引を行っているようなものだから、私たちがお互いを商品や生産手段としてまなざすこと自体が批判されるいわれはない。
 
 ただ、それを恋と呼ぶのはどこか違うし、取引のロジックの内側にいて恋が始まらないとぼやくのは筋違いではないかとは思う。
 
 

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 恋が恋たるためには、取引のロジックの外側にあるプラスアルファが必要だ。  

恋は取引に敗れた

 それにしても、恋はどこへ行ってしまったのだろう?

 1990年代ぐらいまで、恋は特別に価値のある体験とみなされていた。恋に恋する人も少なくなく、結婚は、恋愛をとおしてするのが常識だと思っている人も多かった。

 今はたぶんそうではない。
 
 表向き、人々はまだ恋という言葉をありがたがっている。けれどもその内実として、いったいどれだけロマンやパトス、代替不可能性といったものをすかし見ることができるだろうか。内実としては、今日の男女交際はますます取引の度合いを深め、私たちはお互いを値踏みする習慣にますます慣れている。就活も婚活もそうだ。それが当たり前で、コストとベネフィットとリスクにかなった方法だと理解している。
 
 恋より取引。
 
 みんな利口になったともいえるし、みんな余裕が無くなったとも言えるのかもしれない。いずれにせよ、恋が形骸化し、取引のロジックにもとづいた男女交際が行き着く先は、全員が婚活アプリに登録し、全員がAIによって交換価値や生産価値を算定され、自動的にマッチングがなされる未来だろう。それが一番効率的で、一番経済的で、一番公平だろうからだ。そして男性も女性も、今日の就活よろしく、全員が婚活アプリにかなった交換価値や生産価値を身に付けるようになっていく。この趨勢が続くなら、そういう未来が来てもちっともおかしくない。
 
 恋は取引に敗れつつある。
 いや、もう敗れたのだろう。
 
 取引のロジック、資本主義のロジックが透徹したこの時代には、ロマンやパトスなんて、社会適応のノイズみたいなものなのかもしれない。  

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