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姫野和樹強くした苦節時代…家賃4万円、6畳2間で5人生活

(写真:アフロ)

「無遅刻無欠席で、いつも真剣でした。そこには“家族のために”という思いがあったようです。ラグビーで推薦をもらって、高校へ行く。そして大学に行って独立しようと頑張っていましたから」と語るのは、姫野和樹選手(25)が通っていた名古屋市立御田中学校時代の恩師・松浦要司さんだ。

ラグビー日本代表としてワールドカップで活躍し、次期キャプテンとも評される姫野。ラグビー部監督を務めた松浦さんによると、当時から規格外の身体能力を見せていたという。そして見せてくれたのは、中1時代の部員名簿。彼のプロフィールには、すでにこう書かれていた。

《将来の夢 プロに入ること》

なぜ始めたばかりのラグビーにそこまで覚悟を持って打ち込めたのか。その裏には、彼が歩んできた“苦節の少年時代”が隠されていた――。

姫野が生まれ育ったのは、名古屋市にある古い文化住宅だった。70年代に建てられた物件で、家賃は約4万円。間取りは、6畳2間とダイニングキッチンのみ。そこに両親、姉妹と5人で肩を寄せ合って暮らしていたという。近所の住民はこう語る。

「お父さんはすごく背が高くて、しっかりとした方。顔つきも今の和樹くんにそっくりです。お母さんも明るい方でね。いつも向こうから挨拶してくれて、手作りのデザートをおすそ分けしてくれる。そんな気さくな人です。3人の子を育てるのは、たいへんだったのでしょう。お父さんはずっと鉄工所で働いていました。お母さんも子育てのかたわら、介護関係の資格を取って働いていました」

両親の手を煩わせまいと、和樹くんも子どもながらに考えていたようだ。

「小さいころはいつも泣いてお母さんの足にしがみついているような子でしたが、小学校を卒業するころにはすっかり自立していました。朝も自分で起きていましたし、ご飯も一人で食べてから学校に行っていました」(前出・近所の住民)

近くで駄菓子店を営むAさんも当時の姫野についてこう語る。

「友達と駄菓子を買いに来るのですが、姫野くんだけお金を持っていなくて。友達が食べ終わるのを、じっと待っているんです。でも、たまに10円玉を握りしめて店に来ることがありました。頑張ってためたそのお金で、彼はくじ付きのお菓子を1つ買うんです。でも、なぜかいつも“はずれ”で。そのたびに『ああ残念』とうなだれて帰っていました。裕福ではなかったと思います。でも、常に明るく元気なので応援したくなるような子でした」

そんな姫野は中学でラグビーと出合う。両親に一刻も早く楽をさせてあげたい。その思いが姫野を突き動かしたのだろう。「プロになる」と誓った彼は、めきめきと頭角を現していった。そして、実際に少年時代の夢をかなえたのだ。その雄姿を誰よりも喜んでいるのは、姫野のお母さんだろう。前出のAさんが明かす。

「もう言ってもいいかな……。中学生のころ、姫野くんは『親には絶対、試合を見に来させないようにしているんだ。だって集中できないから』と言っていました。でも、お母さんはいつも内緒で観戦していたんです。私が彼女に『私も応援に行くし、気にせず見に行こう』と誘ったことがあったのですが、そのとき『実は……ずっと見に行っていました』と明かしてくれました。姫野くんは知らないかもしれませんが、お母さんは彼に陰ながらエールを送り続けていたんですよ」

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