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いまのネットには「忘れられる仕組み」が必要だ

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昔の哲学書は「読むたびに新たな発見ができる」

【深谷】とても興味深いです。どういうことでしょうか。

【岡本】まず昔の哲学者の本は、基本的にはそういうかたち、つまりじっくり根気強く読まれるようにできているということがあります。要するに中身が非常に深いので、何回読んでもそのたびに違った理解ができ、新たな発見があるということです。ですので記憶の質が高まり、何回も読むなかで記憶と想起が繰り返され、想起の確度が高まるようになるのではないでしょうか。そのためには時間も必要で、記憶は時間と切り離しては成り立たないものなのです。

ところが最近の本は、情報量をたくさん入れることに注力するので、非常に賢く見えるのだけれども、中身が時間の吟味に耐えうるかというとそうではないものが多いようです。

若き天才と言われるマルクス・ガブリエルも、たしかにあの若さであれだけたくさんの本を書いているという評価はあるいっぽうで、たとえば彼の著書『なぜ世界は存在しないのか』(2013年)を読むと、最初の1章と2章ぐらいで著者の発想はほとんど語り終えてしまっていて、あとの章は同じことを何回も手を替え品を替え繰り返しているだけという印象です。

哲学においても、情報量の増大に対して人間の情報処理能力が追いつかないという問題が、テキストの読み方や論文の書き方やその評価の仕方を大きく変えてしまっているわけです。情報量が膨大になれば、一つひとつの情報は当然、断片化されて重みはなくなり、表層化し、非常に些細(ささい)なものになる。だからたぶん、いまの本はおもしろくないのだと思います。

【深谷】この本も読むたびに違った理解や、新たな発見があるといいですね。

人は忘れるのに、ネットは忘れてくれない

【深谷】人間のほうはどんどん忘れていくのに、ネット上には過去の記録は全部残ります。人はみな意見が変わっていくのが普通なのに、技術が記憶をひたすら蓄積していくので、過去をいくらでもさらうことができて、過去といまで意見が変わったことが糾弾されることも多くなっています。一貫性がないということで、政治家が批判の矢面に立たされることがあります。政治家ならば、変わることについてその背景をきちんと説明できないといけない、ということなのだと思うのですが。

【岡本】そうですね。わたしたちの記憶を記録して保存してくれたり管理してくれたりする有難い技術が、気がつけば自分たちをがんじがらめにしている。その不自由さはおそらく21世紀に人間がはじめて体験するものかもしれません。だからというわけではありませんが、わたしはSNSなどはいまのところやったことがありません。

アイデンティティの構築に「記憶の管理」が必要

【岡本】「情報圏」という概念を提示したルチアーノ・フロリディは、「記憶と相互作用」についてこのように言っています。

記憶は、パーソナル・アイデンティティの構築において重大な役割を果たす。

……最近まで、楽観的な見方として、ICTはパーソナル・アイデンティティを形成する力を人々に与えるとされていた。しかし、未来は微妙に異なっているようである。記録された記憶は、その対象の性質を不変のものにし、強化する。多くの記憶を蓄積し外部化するほど、パーソナル・アイデンティティの構築と発達に対するナラティブが、より多くの制約を受けることになる。

記憶の増加はさらに、我々自身を再定義する自由度を低下させる。忘却とは、自己構築の過程の一部なのである。来るべき世代にとって、可能性のある解決策としては、自己の性質を結晶化して固定する傾向のあるさまざまなものにいっそうつましくなり、新しく磨きのかかった自己構築スキルを使いこなすことに習熟するべきであろう。

自分の記憶を個人的、公共的に消費するために、獲得し、編集、保存、管理することは、……情報プライバシーの保護の観点からだけではなく、健全なパーソナル・アイデンティティの構築という観点からも、重要性をさらに増すであろう。

(『第四の革命』新曜社、2017年、99~100頁)

データを「忘れる」装置の開発

【深谷】記憶装置とともに、データの断捨離や忘却のための装置も開発されていくべきなのですね。

岡本裕一朗・深谷信介『ほんとうの「哲学」の話をしよう』(中央公論新社)

【岡本】ではそのとき、どういうかたちで忘却するように設計するか、が問題になります。人間はその点では無意識的に忘却という作業をやっているわけですから気楽ですが、機械は何をもって「忘れていい」「捨てていい」と判断するか、これは相当に難しい問題です。わたしたちのように、自分に都合のいいように覚えていたり忘れてしまったりという塩梅(あんばい)ができるようになるかどうか。

【深谷】人間を真似(まね)ていけば、忘却の仕方も真似られるんじゃないかと思うんですけど。

【岡本】そうだと思います。だから、インターネットにも記憶の墓場が必要になってくるのですね。そのとき、わたしたちは、忘れるということがこんなすごい能力なんだということを知ることになるのだと思います。

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岡本 裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
玉川大学文学部名誉教授
1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。他の著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシア出版)など多数。
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深谷 信介(ふかや・しんすけ)
博報堂 博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表
スマート×都市デザイン研究所所長。名古屋大学未来社会創造機構客員准教授、富山市政策参与他。1963年石川県生まれ。慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修了。博報堂では、事業戦略・新商品開発などのマーケティング/コンサルティング業務・クリエイティブ業務やプラットフォーム型ビジネス開発に携わり、都市やまちのイノベーションに関しても研究・実践をおこなっている。著書に『未来につなげる地方創生』(共著、日経BP社)、『スマートシティはどうつくる?』(共著、工作舎)などがある。
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(玉川大学文学部名誉教授 岡本 裕一朗、博報堂 博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表 深谷 信介)

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