【乾いた泥の砂ぼこりが舞う】
家の前には運び出した泥だらけの家財道具が次々と積み上げられた。老若男女、力を合わせて重い畳や電化製品を運ぶ。道路に残る泥は滑り、長靴をはいていても足を取られそうになる。あちらこちらに「災害ごみ」の山が出来た。こうして泥まみれの家財道具を家の外に運び出して置いておけば行政が回収してくれるのか、自分で運ばなければならないのか。誰も何も分からない。でも、片付けない事には前に進まない。身体を動かしていないと気が滅入ってしまうのか、1人として動きを止めない。汗ばむような陽気で泥が少しずつ乾き、風で舞い上がる。手にしたカメラやメガネのレンズにも細かい砂が付着した。マスクをしていないと、少し歩いただけで喉の奥が砂っぽく感じられるほどだ。見かねた住民が「ほら、これを使いなさい。吸い込んじゃうよ」とマスクを差し出してくれた。
避難所となった芳賀地域公民館には、水門町をはじめ約130人が避難生活を続けている。「もう4日目ね。酷い状況を目の当たりにするのが怖くて自宅には一度も帰ってないの。昼間は息子が帰宅して片付けてる。夜になると戻って来るよ」とお年寄りの女性。「8・5水害」の後に水門町に転居。これまでも何度か避難指示に従って避難をしたが、自宅が水で損壊したのは初めてという。いつまで公民館で朝を迎えるのか、先は見えない。「なんとなく胸騒ぎがして、亡くなった主人の位牌を持ち出したのよ。それだけは本当に良かった」と小さなリュックを指差した。
郡山駅から北に15分。逢瀬川近くの福島交通郡山支社も、社屋の1階が濁流で全滅。社員食堂も宿直室も、そして敷地内に停車されていたバスも全てが泥水に浸かった。市内のいたるところが通行止めになっている事もあり、郡山駅を発着する路線バスは全て運休。社員総出で後片付けに追われた。
「ほとんど天井まで水に浸かった」と社員。社屋の外側にある階段には、2メートルほどの高さの場所に、水の跡が白い線で残されていた。いつか見た光景。震災後に取材で訪れた宮城県石巻市や東松島市で目にした光景だった。今回は地震では無く台風だが、まさに〝陸の津波〟が住民に襲いかかったのだった。





②避難住民にはパンが支給されている。「1人1個」の注意書きも=郡山市芳賀
③郡山市社会福祉協議会は15日午後、災害ボランティアセンターを開設してボランティアの受け入れを始めた
④社屋の1階が濁流で全滅した福島交通郡山支社。社員総出で後片付けに追われた
⑤福島交通郡山支社の外階段には、水の高さを示すように地上から2メートルほどの位置に白い線が残っている=郡山市向河原町
【「二階、俺たちの前で言ってみろ」】
これだけの惨状が広範囲で広がっているにもかかわらず、永田町の権力者には伝わっていないらしい。自民党の二階幹事長は13日午後に党本部で開いた緊急役員会で次のように語ったのだ。「予測されていろいろ言われていた事から比べると、まずまずに収まったという感じだが、それでも相当の被害が広範に及んでいるので対策を早急に打たなければならない」
「まずまずに収まった」どころか、多くの人が安住のわが家を失い、命を奪われた人もいる。14日から顧客の安否確認も兼ねて配達を再開したというヤクルトレディは「これは酷い発言ですよね。『まずまず』って何ですか。私は2011年の震災を思い出してしまいました。この状況は、まるで津波被害ですよ。そんな事も理解しないで」と憤った。
水門町でも、住民からは「結局、東京しか見ていないから『予想したほどでは無かった』なんて発言するのでしょう。東京もこれほどの被害を受けたら分かるんじゃないですか」、「現場に来もしないで馬鹿な事を言うなと言いたい。ここに来て、俺たちの前で言ってみろって。大変な事になるぞ」など、怒りの声が相次いだ。
共同通信やNHKなどによると、二階幹事長は「被災地の皆様に誤解を与えたとすれば、表現が不適切だった」、「発言には気を付けたい。災害復旧に全力を尽くしたい」と記者団に述べたが、とても「撤回した」とは言い難い。頭を下げるでもなく、手元のペーパーを棒読みしただけだった。芳賀公民館では「そのぐらい図太くないと偉くなれないんだろ?」と苦笑する男性もいたが、目に涙を浮かべながら激しく怒りをあらわにする女性もいた。
「政治家は選挙の時だけ頭を下げて、当選したらふんぞり返る。冗談じゃないよ。『震災が東北で良かった』なんて言った大臣もいたじゃないか。現場に来て、状況を理解して、被災者のために働いて欲しいよ」
二階幹事長は、郡山の人々にも「誤解を与えた」と言うのだろうか。
(了)