- 2019年10月12日 20:00
「表現の不自由展」を題材に考える日本国憲法下における文化芸術活動に対する公的な援助のあり方について
2/2愛知県トリエンナーレにおける援助金取消しの問題点は、政府外の専門家の判断に委ねて一度支給を決定した援助金を再度専門家に諮問することもなく行政が取消し、また、受給する側に反論の機会を、手続き上の瑕疵があればそれを訂正する機会を与えないという意味で現行法の想定した「芸術文化支援のための内容や業績の評価を政府外の専門家に判断を委ね、政府は直接には芸術文化の内容には関与しない」という枠組みを逸脱する対応であり、悪しき前例になるだろうというのが、私の考え方です。
文化芸術基本法2条1項において「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。」とありますが、この条文の名宛人は政府であり、政府に文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重する義務を課する条文です。
文化芸術基本法の前文にも、政府を名宛人として文化芸術の振興のための政策のための基本的な姿勢として「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨」とすることが定められ、第1条(目的)にも「文化芸術に関する活動(以下「文化芸術活動」という。)を行う者(文化芸術活動を行う団体を含む。以下同じ。)の自主的な活動の促進を旨として」と明記され、第5条の2にも「文化芸術団体は(中略)自主的かつ主体的に、文化芸術活動の充実を図る」と明記されています。
※主体=チュチェではありません。為念。
また。文化芸術基本法の制定に際し、衆参両院共に「文化芸術活動を行う者の自主性及び創造性を十分に尊重し,その活動内容に不当に干渉することないようにすること。」とその付帯決議において明記しましたが、文化芸術活動へ不当に干渉する主体として想定されているのは政府なので、この付帯決議の名宛人も政府です。
政府は国民の多数決(民意)に基づき形成されるものであり、文化芸術基本法前文、第2条1項も付帯決議も国民の民意に基づいて「文化芸術活動を行う者の自主性及び創造性」が不当に干渉されることを懸念し、その防止を求めるものです。
確かに、文化芸術基本法2条9項には「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者その他広く国民の意見が反映されるよう十分配慮されなければならない。」とあります。
しかしながら、同条文は「文化芸術活動を行う者その他広く国民の意見」とあり、その他以下は「文化芸術活動を行う者」に準ずる者を想定していると読むのが法文上素直であること、第2条の「基本理念」において「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。」が一番最初に書かれていること、文化芸術基本法前文、第1条、第2条1項、第5条の2も付帯決議も文化芸術活動を行う者の自主性を尊重するように定めていること、特定の展示に対する否定的な国民感情が「芸術文化支援のための内容や業績の評価を政府外の専門家に判断を委ね、政府は直接には芸術文化の内容には関与しない」という枠組みを逸脱することを正当化する根拠として認めれば、「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。」と第2条の「基本理念」において規定した意味がなくなってしまうこと(民意から文化芸術活動を行う者の自主性を守る方法がなくなる)、文化芸術基本法の解釈の指針となる付帯決議においては、衆参両院共に「文化芸術活動を行う者の自主性及び創造性を十分に尊重し,その活動内容に不当に干渉することないようにすること。」と明記していることに鑑みれば、
特定の展示に対する否定的な国民感情の存在は、政府外の専門家の判断に委ねて一度支給を決定した援助金を再度専門家に諮問することもなく行政が取消し、また、受給する側に反論の機会を、手続き上の瑕疵があればそれを訂正する機会を与えないという意味で現行法の想定した「芸術文化支援のための内容や業績の評価を政府外の専門家に判断を委ね、政府は直接には芸術文化の内容には関与しない」という枠組みを逸脱する対応を正当化する根拠にはならないと解するのが現行の制度と整合的でしょう。
文化芸術基本法の条文も付帯決議も国民の民意に基づいて「文化芸術活動を行う者の自主性及び創造性」が不当に干渉されることを懸念し、その防止を求めるものですが、その懸念は、残念ながら、文化芸術基本法成立(全会一致)から2年後に現実化した様です。
追記;
文化芸術基本法2条9項には「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者その他広く国民の意見が反映されるよう十分配慮されなければならない。」とありますが、国民の意見をどのように認定するのかは、この問題だけではなく、民主制につきものの、永遠の課題です。
「表現の不自由展」が典型例ですが、ある表現に対し否定的な評価をする者は、展示がされている実情、展示について公の援助金が支給されている現状を変えたい訳ですから、現状維持(status quo)を求める者よりも大騒ぎをするのは当然で、その声が大きく聞こえるのは当然です。
逆に、展示を支持する側は、反対派が声を上げるまではン体の声を上げる動機はなく、声を上げ始めるのは、表現を中止させたい側の声が大きくなってからとなるのが自然だし、大騒ぎにすることで表現行為への悪影響を避けたいという思惑も当然あって、基本的には後手、防戦に回る構造があります。
表現に反対する側の声が目立つのは当たり前だし、意見表明の方法や手段について公正さを保つことを目的にしたルールはない以上(脅迫や業務妨害は当然ダメですが)、一部の人が繰り返し意見を表明したり、目立ったりすることもありえるし、SNSで複数のアカウントを使うこともあり得るし、反対の声が多いこと、目立つことを根拠に、文化芸術活動の自由の本質に関わる非常にデリケートな問題について、「その他広く国民の意見」が展示に反対だと軽々に判断して良いかは甚だ疑問です。



