- 2019年10月10日 16:36
「地下言説」を弄ぶトランプ:「ウクライナ疑惑」もう1つの闇 - 杉田弘毅
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ドナルド・トランプ米大統領に対する下院の弾劾調査が始まった。
ウォロディミル・ゼレンスキー・ウクライナ大統領との電話会談で、民主党のジョー・バイデン前副大統領と息子のハンター氏についての捜査を要求したことが弾劾相当と、民主党は追及している。その後トランプ大統領は中国にもバイデン氏の捜査を促しており、その行動は世界を驚かせている。ここでは、日本のメディアもほとんど取り上げていないが、ウクライナ大統領との電話会談でのもう1つの重要発言も精査したい。
それは、「地下言説」とも呼ぶべき根拠のない世界に、トランプ大統領がどっぷり浸っている事実を浮き彫りにするものである。
元首席戦略官のスティーブン・バノン氏らが率いる「右派ポピュリスト」(もう1つの右翼と呼ばれる「オルト・ライト」とも)の影響下にトランプ大統領は今も置かれ、2020年大統領選では、支持基盤である彼らの言説やフェイクニュースを徹底的に使っていく戦略が見えてくる。
「クラウドストライク」という企業
トランプ大統領は7月25日、ウクライナのゼレンスキー大統領との電話会談で、2つの要求を行った。1つは、弾劾事案とされるバイデン親子への捜査要求である。そしてもう1つ、「クラウドストライク」(以下、CS社)という企業の名前を挙げて、ロシア疑惑の発端についてウクライナ政府に捜査を要求したのだ。
CS社は2011年に創設された、米カリフォルニア州のシリコンバレーを本拠地とするサイバーセキュリティー企業である。そのソフトウェアの「ファルコン」は、「ゴールドマン・サックス」や「アマゾン」など多くの大企業が契約している。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長のパロディ映画を製作した「ソニー・ピクチャーズ」がハッキングされた際、米連邦捜査局(FBI)とソニー・ピクチャーズはCS社に調査を依頼してハッキングの鑑識調査を行い、北朝鮮の犯行であると断定し名前を上げた。
では、トランプ大統領は電話会談でCS社にどう触れたのだろうか。ホワイトハウスの公表した電話会談録を訳してみよう。
〈あなた(ゼレンスキー大統領)には、ウクライナに関するこの全体状況に関して何が起きたのかを突き止めてほしいのだ。彼らはクラウドストライクと言っている。ウクライナには富裕な人がいるだろう。彼らはあのサーバーはウクライナにあると語っているのだ〉
この発言を解説するとこうなる。
2016年大統領選では民主党全国委員会(DNC)のサーバーがハッキングされ、ヒラリー・クリントン陣営の内情などが流出。しばらくして内部告発サイト『ウィキリークス』にその内容が掲載された。このハッキングについてはFBIや米中央情報局(CIA)などが、ロシアのハッカーの犯行であると結論づけ、ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)幹部ら12人が起訴された。
CS社は、このDNCのサーバーへのハッキングを最初に調査し、ロシアの犯行であると断定した。FBIやロシア疑惑をめぐるロバート・モラー特別検察官の捜査も、CS社の調査結果を確認した。
ちなみに米国では、サイバー犯罪の捜査を民間企業が助けることが多い。中国人民解放軍の米企業へのハッキングも、民間企業「マンディアント」が、人民解放軍総参謀部第3部の犯行であると突き止め、起訴に持ち込んだことがある。
荒唐無稽な「邪悪な企て」論
ロシア疑惑とは、トランプ陣営がこのロシアのハッカーたちに、クリントンを陥れるためにあら捜しを依頼したのではないか、というものだ。つまりトランプ陣営とロシアによる、クリントン陥れの共謀ということである。
モラー特別検察官は2年近い捜査の結果、今年5月に「共謀は証拠不十分」と結論づけた。これを受け、ロシア疑惑をめぐる騒動は一段落し、トランプ大統領は「潔白が証明された。事件は終わった」と胸を張った。
それから2カ月後のゼレンスキー大統領との電話会談で、トランプ大統領はCS社を持ち出し、サーバー、つまりハッキングされたDNCサーバーがウクライナにあるとの見立てを語ったのだ。
荒唐無稽と誰もが思う。
だが、DNCへのハッキングはロシアではなく実はウクライナが行ったという言説が、当時から右派ポピュリストのサイトでは流れているのだ。その言説によれば、ロシア疑惑とはトランプ氏の大統領当選を無効にする民主党の邪悪な企みであり、DNCへのハッキングは実はウクライナと民主党の共同作戦だ、というものだ。ロシア犯行説をでっちあげるためにCS社も動員され、ハッキングの最重要証拠であるDNCのサーバーをウクライナに持ちこみ、ウクライナと民主党の犯行の発覚を防いだ、という展開である。
先述した電話会談録にあるように、トランプ大統領は「ウクライナの富裕な人」という表現をした。これは、CS社がウクライナの政商に操られているという思い込みから発想したものだ。CS社の創設者の1人はロシア生まれの米国人であるのだが、ウクライナ・民主党による邪悪な企て論を補強するために、思い込みが事実に勝ってしまったのだろう。