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- 2019年10月10日 08:04
Q 選択制を当事者に委ねてしまうと大きい声の方に流されてしまうというのであれば、家庭裁判所が関与して判断すればいいのではないしょうか。
Q 選択制を当事者に委ねてしまうと大きい声の方に流されてしまうというのであれば、家庭裁判所が関与して判断すればいいのではないしょうか。
A 当事者任せにしたら弊害が出るのは明らかなため、家裁に関与させればいいという主張ですが、家庭裁判所に関与させたとしても現実に弊害案件を排除できるかは疑問です。
離婚後、共同親権にする場合に家裁の関与が必要ということになれば(単独親権とする場合も家裁の関与を求める趣旨かは不明です。弊害があり得るのが共同親権ですから、こちらに限定する趣旨で理解しています)、かなりの件数が家裁が関与せざるを得ず、未成年者のある夫婦の離婚では事実上、協議離婚はできないということになってしまいます。圧倒的多数が協議離婚という実情の中で、そのようなことが実現可能とは思えません。

形式的に当事者の意向を確認するだけではもちろん足りません。
家裁の調査といっても、実際に離婚後の共同親権がどのような意味を持つのか、その弊害はどのようなものなのかは、こうした問題に精通していなければ説明を聞いたくらいでは実感しないので、単純な意思確認だけでは足りないのは自明です。
国家がお墨付きを与える以上は、共同親権にしてよいかどうかの実質的な調査が不可欠になります。
その調査にも問題があります。実際に家裁が関与して共同親権としてよいかどうかを判断するにしても、現実には現在の面会交流原則実施論の弊害と同じように、単独親権を主張する側が、客観証拠によって弊害を「立証」しない限りは共同親権とされてしまう運用では、原則、共同親権とすることと同じになってしまいます。
これは離婚後の共同親権とすることに問題がある場合には単独親権とするという見解にも共通する問題です。
問題がある場合には単独親権とするという案は、原則共同親権だが弊害がある場合には単独親権とするものです。原則・例外で制度化するものですが、共同親権が理想であり、ただ夫婦の関係によってはそれが無理な場合があり、そうした場合は例外的に単独親権とすればいいというものです。これは一見すると、理に適っているようにも見えます。
しかし、これも結局のところ、その弊害がある場合というのをどのように認定するのかという問題を抜きでは単なる机上の空論です。前述したとおり、面会交流については家裁は、面会交流原則実施論の立場に立っており、面会したことによる弊害を客観証拠によって「立証」できない限り面会を命じる運用ですが、そうなると共同親権としたことによる弊害を客観証拠によって「立証」しない限りは共同親権となってしまいます。
これでは家裁の関与と言っても実際には形式な関与でしかなく、むしろ家裁のお墨付きを与えるという点で問題ある非監護親側の行動を正当化する要素になりかねません。
A 当事者任せにしたら弊害が出るのは明らかなため、家裁に関与させればいいという主張ですが、家庭裁判所に関与させたとしても現実に弊害案件を排除できるかは疑問です。
離婚後、共同親権にする場合に家裁の関与が必要ということになれば(単独親権とする場合も家裁の関与を求める趣旨かは不明です。弊害があり得るのが共同親権ですから、こちらに限定する趣旨で理解しています)、かなりの件数が家裁が関与せざるを得ず、未成年者のある夫婦の離婚では事実上、協議離婚はできないということになってしまいます。圧倒的多数が協議離婚という実情の中で、そのようなことが実現可能とは思えません。

家裁の調査といっても、実際に離婚後の共同親権がどのような意味を持つのか、その弊害はどのようなものなのかは、こうした問題に精通していなければ説明を聞いたくらいでは実感しないので、単純な意思確認だけでは足りないのは自明です。
国家がお墨付きを与える以上は、共同親権にしてよいかどうかの実質的な調査が不可欠になります。
その調査にも問題があります。実際に家裁が関与して共同親権としてよいかどうかを判断するにしても、現実には現在の面会交流原則実施論の弊害と同じように、単独親権を主張する側が、客観証拠によって弊害を「立証」しない限りは共同親権とされてしまう運用では、原則、共同親権とすることと同じになってしまいます。
これは離婚後の共同親権とすることに問題がある場合には単独親権とするという見解にも共通する問題です。
問題がある場合には単独親権とするという案は、原則共同親権だが弊害がある場合には単独親権とするものです。原則・例外で制度化するものですが、共同親権が理想であり、ただ夫婦の関係によってはそれが無理な場合があり、そうした場合は例外的に単独親権とすればいいというものです。これは一見すると、理に適っているようにも見えます。
しかし、これも結局のところ、その弊害がある場合というのをどのように認定するのかという問題を抜きでは単なる机上の空論です。前述したとおり、面会交流については家裁は、面会交流原則実施論の立場に立っており、面会したことによる弊害を客観証拠によって「立証」できない限り面会を命じる運用ですが、そうなると共同親権としたことによる弊害を客観証拠によって「立証」しない限りは共同親権となってしまいます。
これでは家裁の関与と言っても実際には形式な関与でしかなく、むしろ家裁のお墨付きを与えるという点で問題ある非監護親側の行動を正当化する要素になりかねません。