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愛知トリエンナーレ現地ルポ(表現の不自由展再開)

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3●メディアにぜひ気をつけて欲しいたった一つの単純なこと

さて、ここからがこの「問題」の考察に入るんですが、「単純なこと」と「深い議論が必要なこと」の2つを書きたいと思っています。

まず「単純なこと」として、メディア関係者やSNSで議論する時に、どうしても一個気をつけて欲しいことがあるんですよ。

それは、

「不自由展に対して世間の反発が大きかった理由について述べる時に、少女像の話だけじゃなくて天皇の写真を焼く展示の話も必ずする」

ってことです。コレ、単純なようで凄い大事なことだと思います。

と、言うのも、

会場前で「再開反対」している人たちのプラカードの中に、少女像の話は一言もない

からです。

むしろ人々が怒っているのは天皇の写真を燃やす展示の方で、もちろんその是非について正々堂々と論じるのは当然やるべきことですが、今はほとんどのメディアがこのニュースを報じる時に、ほぼほぼ少女像の話しかしていないのは、かなり悪質な情報操作と言われても仕方がないんじゃないでしょうか。

むしろ紛糾している天皇の写真問題を正々堂々と論じるならば、例の「シャルリ・エブド事件」のような問題とも関わってきて、「表現の自由問題」について国際的に最先端に重要な議論ができたはず。

外国メディアとの関わりの中でも、ちゃんとこの「天皇の写真問題」をメインに、いや少なくとも同等レベルに扱って議論するならば、もちろん天皇の写真だろうとなんだろうと焼くアートも認められるべきだ・・・という立場を主張するにしても、日本のナショナリストさんをコントロール不能な過激化に追い込むことのない「フェアな議論」ができるはずです。

これを読んでいる日本の保守主義的ネットユーザーさんへの呼びかけなんですが、メディアでの取り上げ方が

・「天皇像の話を全然しないで少女像のことだけ話している」
とか、
・ニュースのアイキャッチ画像に使われているのが少女像だけである
というような報道を見つけたら、あなたがたがあらゆる手段で徹底的に抗議をするだけの「価値」があるように思います。

単に日本のナショナリスト側の要求というだけでなく、リベラルな理想から見たフェアな議論という観点から見ても、この「単純なこと」を守らないのは物凄くアンフェアなことだと思いますから、そういう熱意のあるネットユーザーさんが「徹底的に」やるだけの価値というか正義がここにはあると私は考えています。

そりゃあメディアによって「論調」てのはあるし「角度」だってつけてもいいと思いますし、必ずしも両論併記でなくては的な最近の風潮も良くないと私は思っています。

が、この怒ってプラカードを用意しに来ている人たちが「何に怒っているのか」をちゃんと正確に報道することなく、最初から印象操作をしかけているのは明らかにアンフェアですし、「そういう態度」が逆に日本の保守派を過激な行動に駆り立てていることに関しては真剣にメディア側の自覚が必要でしょう。

そういう基礎情報はちゃんと伝えた上で、それでも表現の自由が、アッラーや天皇といったアイコンですら侮辱することが許されることなのか、そもそもそういう仕組みは何のために整えられたのか?について、正々堂々と論じ合うことができれば、今回のこの狂騒があっただけの価値があったと言えるでしょう。

4●最後に、より深いこの問題の本質について

この問題については「普通の議論の範囲」だけをなぞっていても平行線なままで解決できません。

ただ、もしここまでの私の記事を読んで、あなたの「今までの普通」とは違う議論を聞いてみてもいいな、と思うのであれば、以下の重大な問いについて考えてみて欲しいと思っています。

中国という「欧米とは違う理想像」が厳然として存在する時代に、リベラルがあくまで理想をあきらめたくないならどうすればいいか?

今は、人類のGDPの大半が欧米諸国が独占している時代ではなく、中国という巨大な「別の理想像」が存在しており、多くの新興国が中国のような開発独裁を理想としはじめており、「民主主義なんてオワコン」と思ってる中国人が10億人以上いる時代なわけです。

そんな時代に、中国人に「もう民主主義とかやめちゃいなよ!」って言われても、いーや、諦めたくないの!!!とあくまで「リベラルの理想」を追求したいなら、単に「欧米的理想ではこうなっているのにお前らはそうなってないから間違っている」と上から目線で殴りにいくだけでは足りなくなってきてるんですよ。

むしろ、「いかにこういう理想を社会に通用させることが、あなたがたの大事に思っている社会の価値にとっても重要なんですよ」とちゃんと「相手に伝わる言葉」を考えなくちゃいけない。

そりゃ「公式見解を大声で言い続ける役」だって必要だけど、「それ」だけで収まるはずがない。

表現の不自由展が批判されている潜在的な理由は、

「21世紀の今」の本質をちゃんと切り取るならば、そういう「欧米的価値観すら相対化されていってしまう時代に、理想を諦めないためにはどうしたらいいのか?」みたいな切実な問題にぶち当たるはず


なのに、

全然そんなこと考えもしない感じで20世紀的にアナクロな”権力批判”をして、案の定帰ってくるリアクションに”弾圧された!”と騒いでいる・・・”ヤクザの当たり屋商売みたいな精神”


というのが、

本当に「21世紀の今を生きるアートとして誠実に物事に向き合っていると言えるのか?」

ってところにあるんじゃないでしょうか。

「不自由展以外のアート」は一個ずつ、「普通の見方では見えないアート的な気づき」が凄くある「あたらしさ」があったけど、表現の不自由展にあるアートは、むしろ「そんなにもここ何十年間言い尽くされまくってる」ことって、「日常のベタベタな価値観」から一歩も出ていないのでは?という問題がある。

そりゃね、戦後すぐの1946年に「朕はタラフク食っているぞ、ナンジ人民飢えて死ね」っていうプラカードが問題になったらしいですが、それはもう物凄いアートだったと思いますよ。感服するような超凄いアート。

そういう「時代の精神と真剣に向き合ってる」迫力があれば、本当の「保守派」の良識ある人なら、そりゃ不愉快になるかもしれないけど、そのプラカードについては「日本が天皇を頂く国家である以上、真剣に受け止めねばならない問題である」ぐらいは言うものだと思います。

そういうレベルの「それぞれの時代の”今”の切実さ」から考えると、表現の不自由展に関しては。

本当にあなたの考える「今の時代の切実なアート」とか「今の時代の切実な知性」というのが、「ソレ」でいいの?

というのは私はどうしても考えてしまう疑問としてありますね。

そういうところのいらだちが、グレタさんふうに「how dare you!」みたいな反応を保守派から巻き起こしているのではないでしょうか。

この「本質的問題」については、もっと深く掘り下げて、記事にしてあるページがありますので、ここまでの文章に少しでも「感じる」ものがあったかたは、ぜひ以下の記事↓をお読みください。

東アジアの混乱の先にある「アジアの時代」の希望について

↑今までにない大きな視点の転換が味わえると評判です。よく言われる「ドイツの場合の戦後処理」というのにどこに問題があるのかや、日本語のできる韓国人や中国人の方へのメッセージもあります。

紛糾する日韓問題や香港問題といった「東アジアの混乱」は、もう「この地平」にまで突き抜けるしか決して解決しない・・・と私は考えていますし、私なりに「今の時代の本当の切実さ」に迫る「アート」であり「知」のあり方を込めたつもりです。



それでは、また次の記事でお会いしましょう。更新は不定期なので、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々ご確認いただければと思います。


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