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映画「ジョーカー」に見る無敵の人の時代

ベルリン映画祭で金獅子賞(最高賞)、アカデミー賞有力候補作、ということで早くも傑作との評価も高い映画「ジョーカー」だが、評論家筋の評価にはどこか微妙な戸惑いが感じられる。

この悪魔(主人公)に同情することは、自警団を正当化することになるだろうか?それともフェニックス(主人公を演じる俳優)とフィリップス(監督)は、今日の社会に悲しく鳴り響く明白な事実、すなわち犠牲者が加害者へと変貌する経緯をさらに掘り下げようとしているのか?
(ローリングストーン誌 ピーター・トラヴァーズ リンク
アーサー(主人公)はカオスとアナーキーを巻き起こす。しかし、映像は彼をまるで革命を引き起こす革命家のようにとらえる。彼の革命は富裕層が打倒され、貧困層は自分たちが必要とするものを手に入れるのを可能にするように見える。日常生活では無力で悲しい男は殺人鬼のヒーローとなる。ここにはどこかゆがんだジョークが見え隠れする。不幸なことに、我々はそういった世界のただなかにいるのだ。
(タイム誌 ステファニー・ザカレック リンク
フィリップス(監督)は光と影をあわせ持ち、この気が狂った世界で唯一まとも(だと思っている)スーパーヒーローという設定を余儀なくされる。この映画は(見るものによって印象を変える)ロールシャッハテストというより、(生と死の間に突き落とされる)シュレディンガーの猫に近い。・・・ジョーカーは世界をひっくり返し、その過程で我々見るものをヒステリー状態にさせる。良いか悪いかはわからないが、それこそがジョーカーが望んだ世界そのものだ。
(インディワイアー誌 デビッド・アーリッチ リンク
ジョーカーこと主人公アーサーは、自ら道を選んで悪の轍を踏んだわけではない。そこにはダークヒーローなどといった気取ったワードとは無縁の、逃れられない運命の帰結として悪が存在する。人生に選択の余地を与えぬ、容赦ない哀しみの腐臭を放ちながら。・・・「狂っているのは僕か?それとも世間か?」ドーランを血に代えた、悲哀を極める悪の誕生を見た後では、ジョーカーへの同情が意識を遮断し、もはやバットマンに肩入れすることなどできない。なんと恐ろしい作品だろう。
(映画.com 尾崎一男 リンク

以上、引用。カッコ内は筆者による注釈。

不定期雇用の派遣労働者で母親と同居、友達も恋人もいない精神疾患を抱える中年男がひょんなことから武器を手に入れ、殺りくに走る。

彼のおかす殺りくはしかし、無差別ではない。
彼を馬鹿にするエリートサラリーマン、保身のためにうそをついてだます同僚・家族、富裕者層を相手に貧者をネタに笑いをとる大物司会者。

これらは殺害の対象だが、殺害現場に立ち会った小人症の道化は対象外。
彼には殺害現場を見られたから殺す、といった保身を動機とする暴力はない。

2013年に起きた「黒子のバスケ脅迫事件」で加害者が使ったフレーズ「無敵の人」は、もともと(国家から家族まで)あらゆる社会的信用から疎外されているので、失うものが何もない状態の人、と解釈され、その後のいくつかの事件でも加害者のプロファイルで取りざたされたが、「ジョーカー」は世界規模でこの「無敵の人」を浮上させた趣がある。

「ジョーカー」は日本で取りざたされた「無敵の人」とは違い、無差別で人々に害をなすことはしない。
彼は世間のルール(法)や価値観を笑い飛ばし、自分のルールで世界を裁く。
いわば、自分のアイデンティティをしっかり保持した「進化版無敵の人」とでも定義できようか。

クライマックスのテレビの生放送で、大物司会者を射殺するシーン。
「ジョーカー」は今までの殺人を告白し、大物司会者がそれを正論でもって非難する。
「不満があるからと言って殺してよいわけではないだろう」云々。

おそらく、司会者の言うことは大多数の常識人が思うことで、常識的には反論の余地はない。
しかし、「ジョーカー」は司会者を躊躇なく射殺する。
「ジョーカー」はこの世界のゲームそのものに対して拒絶しているので、そこで通用するルール(を支える常識)は何も響かない。

この会話からの(上流層的な常識人)の殺害により、「ジョーカー」はこの世界から零れ落ちてしまった人間、見捨てられ忘れ去られた人間のアイコンとなる。

「ジョーカー」が拒絶する世界は、テレビの司会者や大富豪が弱者をいたわるようなフリをしながら、事実上軽蔑し、隔離する世界であり(しかも、司会者や大富豪はその事実に気が付かない)、それはおそらくある程度現実とリンクしている。

年金制度のモデルケースや人事院勧告の民間給与実態調査の取り上げ方を見るまでもなく、「表の世界」から零れ落ちた人達は高度にシステム化された日本社会でも少なくない。

まして、政府の統治機能が日本より劣る(あるいはもっと厳格に制御された)国々では、「表の世界」の欺瞞とその常識が逆転する、逆転を欲する事態は差し迫った恐怖(あるいは解放)として、よりリアリティをもつのではないか。

「ジョーカー」をヒーローに祭り上げる人たちは何を求めるのだろうか。
彼らは「格差社会からの解放」といったようなイデオロギーを信じているわけではない。
彼らは社会への違和感とそこからの解放を実行しているだけだ。

そこには何の知性も思想も底意もない。
だからこそ、そこには酩酊するような不気味な魅惑が存在してしまうのだろう。

テレビの生放送前に舞台のそで裏で、「ジョーカー」がダンスをするように身体をゆっくり傾けていく。
少し離れた場所で二人のテレビクルーが背を向けて仕事をしている。
「ジョーカー」の狂気と喜びと解放、「表の世界」のシステマチックな冷たさと退屈が同じ画像に映り込む。
映画史上の名シーンといって良い。

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