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TPP12と日米貿易協定のバランス

 日米貿易協定が合意されました。多くの論点があり、それらは今、書いている通商に関する近著にすべて纏めています。まだ、脱稿していないのでエラそうな事は言えませんが、結構力の入った本になると思います。予め言っておくと、「TPPや自由貿易に賛成の立場を取る人が読んでも、反対の立場を取る人が読んでも、それなりに納得、それなりに不満な内容」となっています。

 さて、日米貿易協定に関するテーマで一番大きな「この協定は結局、どう見たらいいのか。」という事について順序を追って書いていきます。

 まず、日米が元々合意していたのはTPP12でした。安倍総理はTPP12について次のように評価しています。

【平成28年12月08日参議院TPP特別委員会】
○内閣総理大臣(安倍晋三君) (略)日本がかなり主導的な役割、ルールメーキングにおいては初めてと言ってもいいと思うんですが、日本が主導的な役割を担いつつ、バランスの取れたこの新しい自由貿易のルールを作り上げることができたと、このように思っております。

 その時点でTPP12は「バランスの取れた」協定だとしています。私も概ねこの安倍総理の評価を共有します。TPP12は内容的には結構、頑張っています。説明や影響試算に小手先の嘘が多かった事は極めて残念でしたが、中身そのものは評価し得るものだと思います。まず、ここからスタートです。

 しかし、トランプ大統領はTPP12の枠組みに加わらない事を宣言します。そして、日本との間での二国間交渉に乗り出します。交渉開始時の共同声明は以下のようになっています。

【平成30年9月26日日米共同声明】

5 上記協定は,双方の利益となることを目指すものであり、交渉を行うに当たっては,日米両国は以下の他方の政府の立場を尊重する。

- 日本としては農林水産品について、過去の経済連携協定で約束した市場アクセスの譲許内容が最大限であること。
- 米国としては自動車について、市場アクセスの交渉結果が米国の自動車産業の製造及び雇用の増加を目指すものであること。

 まず、ここで安倍総理の言う「バランス」が崩れます。よく読めば分かりますが、日本はTPP12での譲歩まではやれると言っています。逆にアメリカは、そういうコミットメントがないだけでなく、そもそも何を企図しているかすら分かりません。トランプ大統領は、TPP12に拘束されないと言っているわけですから、TPP12を前提としたコミットメントをしないのは当然ですが、日本はTPP12での譲歩まではやる用意がある事をここで既に約束します。

 つまり、交渉の土俵作りの段階で既にTPP12で得られたバランスは崩れており、しかも、相手が何を企図しているのか分からない状態で交渉に突入したというのが、この日米貿易交渉でした。過去、日本は半導体協議で「20%」という数字を出したら数値目標化して苦しんだとか、保険協議で「激変緩和措置」という言葉を使ったら、それを「日本の生損保子会社のがん保険への参入不可」と読み替えられたとかいった経験があります。アメリカとの関係ではこういう曖昧模糊とした表現が危険な事が、日本の交渉担当官のDNAに刻まれていないのではないかと不安になります。

 そして、今年9月の国連総会時に合意します。日米貿易交渉の結果は、今出ている情報だけであれば、たしかに昨年9月の共同声明の範疇に収まっています。しかし、問題はそこではないのです。

 日本は「TPP12の譲歩からちょっと下がっただけ」ですが、アメリカは違います。アメリカの「市場アクセスの交渉結果が米国の自動車産業の製造及び雇用の増加を目指すもの」という言葉は「自動車及び部品で一切の譲歩をしない事」を指していたのです。TPP12との関係で言うと「何も無し」という事です。言い換えると、アメリカは日本の立場をちょっとだけ尊重したけど、日本はアメリカの立場を過度に尊重した、そんな感じです。

 繰り返しますが、今回の結果は昨年9月の共同声明の範疇に収まっています。ただし、共同声明自体がTPP12で得られたバランスが崩れた状態です。かつ、そのバランスが崩れた土俵で戦った結果、更にバランスが崩れた、という事で、二重にバランスが崩れているのが今回の交渉結果だと見る事が出来るでしょう。

 多分、こういうふうに言うと、「制裁関税回避」という新しいファクターがあって、それを逃れた事が良かったという反論があるでしょう。仮にそれが事実だとしても、政権としてTPP12で確保したバランスが二重に崩れている事には変わりはありません。

 そして、制裁関税は全然回避されていません。今年9月の合意時の共同声明では以下のように書いてあります。

【令和元年9月25日日米共同声明】

4 日米両国は、信頼関係に基づき、日米貿易協定及び日米デジタル貿易協定を誠実に履行する。日米両国は、これらの協定が誠実に履行されている間、両協定及び本共同声明の精神に反する行動を取らない。

 何処にも制裁関税を打たないとは書いてありません。「制裁関税を打たないという趣旨だ」、「ライトハイザー通商代表はやらないと言っている」、色々な反論があるでしょう。単にそれは、ライトハイザー通商代表が言った通り、「At this point(現時点で)」やらないだけです。明日、一か月後、半年後にやらないとは誰も言っていません。そもそも、安倍総理はTPP合意時に「交渉は色々あったが、合意文書に書いてあることがすべて。」と言い続けました(情報公開を拒むための方便でしたけど)。そうなのです、紙に書いてあることがすべてなのです。それ以上でも、それ以下でもありません。

 また、ここには「誠実に(faithfully)」という言葉が出て来ます。ここで言う「誠実に」は何を意味しているかは分かりにくいですが、恐らく、貿易赤字が減らなければ誠実に履行していない、だから制裁関税だ、と吹っ掛けてくるためのヘッジでしょう。そして、日米貿易協定ではアメリカの対日貿易赤字は絶対に減りません。つまり、日本は制裁関税のリスクを常に抱え続ける状態です。

 結局、日米貿易協定はとても日本にとって不利なものだったという事です。大体、よく考えても見てください。トランプ大統領が交渉したNAFTA見直しは、現在、連邦議会で侃々諤々議論されており、(ウクライナ・ゲート問題等も相俟って)議会を通過する見通しがありません。結構、カナダ、メキシコからそれなりの成果を得ているのですが、それでも連邦議会では様々な問題指摘があっています。一方、日米貿易協定はあまりにアメリカの譲歩が無いので、連邦議会は関心すら持っていません。議会審議すらしないで発効させそうです。その事実を以てしても、如何にこの協定が日本にとってバランスの悪いものとなっているかを裏付けているでしょう。

 こうやって整理してみると、この日米貿易交渉の日本側対処方針として「TPP12の結果から見た得喪でバランスを取る」という事は無かったんだろうな、という結論に到達しました。とすると、どういう対処方針で臨んだのか、何が指針だったのか、何との関係でバランスを測ろうとしたのか、という事にとても関心があります。多分、政権は「昨年9月の共同声明が交渉の指針。そして、その範囲に収めた。」と言うでしょう。ただ、その昨年9月の共同声明自体がバランスが崩れている物である以上、説得的ではないのです。

 残念ですけどね。

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