生活困窮者を支援している「認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」は、年間約4000件もの相談を受け、時には公的な制度を使えるように役所の窓口に同行している。その理事長の大西連氏が、生活に苦しむ人たちの人生に寄り添う中で見えてきた、「貧困」の現場とは——。
※本稿は、大西連『絶望しないための貧困学』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

■ある日突然獄中から届いた一通の手紙
クロダさんから初めて手紙をもらったのはおよそ半年前。2011年9月のことだった。
彼はその時、日本の北端近くにある刑務所に入っていた。罪状は、覚せい剤の所持および使用。元暴力団員で前科もたくさんあった。彼は当時、出所を控えていたのだが、当然、僕と面識があるわけではなかった。
クロダさんが僕に手紙を送ってきたのには理由があった。同じ罪状で捕まっていた彼の舎弟の元妻が、シャバに出てからの生活に困っていて、たまたま僕が生活保護の申請同行を手伝ったのである。そんな縁もあり、彼女と親交のあったクロダさんは僕に手紙をよこしてきたのだった。
刑務所から手紙をもらったのは初めてだったので、最初は戸惑った。便箋の一枚一枚に検閲済みの証である桜のマークが押されていた。まるで刑事ドラマの世界の話のようで、あまり現実感がなかったのを覚えている。
手紙には、簡潔にこれまでの自分の人生と、罪を犯した理由、そして、暴力団から脱会し生活を再建したいのだが、住む場所どころか出所後に行くあてもないことなどが綴(つづ)られていた。
その後、何度か文通をし、出所後、直接話を聞くことになった。
■期待に応えようとがむしゃらに働いた結果……
「こんにちは、クロダです。無事に昨日シャバに戻ってきました。これからは心機一転やっていきたいと思っています。よろしくお願いいたします」
50代のクロダさんは、大きな体躯でハキハキと丁寧にものを言う。
彼は北関東の生まれで、高校を出てから食品加工の会社に正社員で就職した。
就職した会社は都内にいくつか販売拠点のテナントを持っていて、最初は仕分けなどの裏方の仕事に従事していたものの、持ち前の実直さを発揮して4~5年のうちには店舗を任される立場になったという。
彼はその期待に応えようとするために、がむしゃらに働いた。いや、働きすぎてしまったのかもしれない。
気がつけば仕事のストレスを酒でまぎらすようになり、毎晩1本だった缶ビールが2本、3本と増えていった。この頃から繁華街で飲み歩くようになり、悪い遊び仲間も増えていった。仕事でもささいなミスを連発するようになってしまい、どんどんうまくいかなくなってしまった。
もともと実直さがウリだったはずなのに、飲酒の影響か不眠の影響か、ついに決定的な失敗をしてしまい、北関東にある本社に呼び戻されることになったのだった。
「いま思えば素直に本社に戻って一から鍛え直してもらえばよかった。でも、変なプライドが邪魔をしたといいますか」
本社へ呼び戻されるのが不服で、25歳で会社を退職したクロダさん。しばらくハローワークなどに通ったものの、そう簡単に次の仕事は見つからなかった。
■「度重なる受刑で精神的にも限界」
そんな時、常連になっていた居酒屋で、隣に座った男性と諍いを起こし、ついにはケンカになってしまった。
この時の相手が、のちにクロダさんの兄貴になるわけだが、クロダさんにとっては、まさしく運命の出会いだった。
「人生が一変しました。あの日、兄貴に打ち負かされたことで、酒に溺れて壊れかけていた心が蘇(よみがえ)ったんです」
クロダさんが正式に盃を交わしたのは27歳の時だ。全国でもトップクラスの大きな暴力団の構成員としての人生がスタートした。組で彼が何をしていたのかは聞かなかった。両手の小指は欠損し、右手に関しては薬指もなくなっている。そして、度重なる受刑歴。何より、服役中に診断された覚せい剤依存という診断がすべてを物語っている。
でも、クロダさんはこうして暴力団を脱会し、刑期を終えてシャバに戻ってきた。脱会を決意したのは年齢もあるし、もう無理ができない身体になっていることも大きい。それに、度重なる受刑で精神的にも限界だったのだと話していた。
■現役の暴力団員は生活保護を使えない
「ええと……ご存じだと思いますが、暴力団の人は生活保護、ダメですよ?」
その翌日、G区のフクシ(福祉事務所)に僕たちは来ていた。
「いや、ですから、説明しているじゃないですか。クロダさんはもうすでに脱会しているんです。元暴力団員であって、いまはもう違いますよ」
「大西さん、そうかもしれませんが、本当に脱会をしたのか、その確認をしないと難しいですよ。いま警察署に確認していますが担当者が不在とかで、今日中には難しいかもしれないという話でした。だいたい、急にうちに来られても困りますよ。ちゃんと書類とかをね、そろえてから来てもらわないと……」
暴力団の人たちは、この国では必ずしも生存権が担保されているとは言えない。テレビなどで生活保護のお金がヤクザに流れているといった報道がワイドショー的に流れることがあるが、基本的に現役の暴力団員は生活保護を利用できないことになっている。もちろん、救急搬送などの場合に一部適用されることはあるが、生活保護を使って日々の生活費を援助してもらえることはない。
これは、暴力団員だから生活保護はダメ、ということではない。暴力団員は違法な方法で収入や資産を得ている疑いがあるため、その状況を逐一チェックすることができず、本当に生活保護の基準以下の生活であるのかどうかを判断できない、というのが却下される理由だ。
暴力団員を辞めるとなった場合、警察に暴力団構成員の名簿があるので、すみやかに脱会届を提出し、正式に抜けないと、必要な支援を受けることはできない。不正受給対策の観点からも暴力団排除の流れからも、各自治体の窓口はかなりナーバスになっているのだ。
■元暴力団員に対するあからさまな嫌悪
「クロダさんは服役の際、きちんと脱会しています。それに、出所してきてまだ1週間ですよ。行くあてもないし、北海道から東京に戻ってきた時点で刑務作業で得たお金も尽きてしまった。住所とお金がなければ仕事には就けません。そんなこと、フクシのみなさんだってご存じのはずです」
G区の相談員のKさんは、一見人のよさそうな中年の女性だ。でも、クロダさんが元暴力団員とわかってからは、あからさまに嫌悪の感情をあらわにしている。
「そうは言いましてもね。この方が嘘(うそ)を言っていて、私たちがだまされたとなったら大変なことですよ。大事な税金がもし仮に暴力団に流れてしまったらと思うと……。とても怖いですわ」
クロダさんがこれまで何度も法を犯してきたのは事実だ。Kさんの気持ちもわからなくはない。ただ、ここまで露骨な言い方をしなくても……。
暴力団員であったこと、過去に罪を犯していることが、その人を差別する大義名分になっているかのようだ。
■役所は「警察からの返事を待ってから」の一点張り
「脱会届の確認が今日中にできないかもしれないことはわかりました。警察にはすでに依頼をしていただいている、だから返事待ちだということも。とはいえ、実際問題クロダさんは所持金も住むところもなく、いますぐに支援が必要な状況にあるんです。その点、G区としてはどのように対応するのですか?」
「だから、私たちとしては警察からの返事を待ってから、としか……」
「Kさん、わかりました。ただ、上司の方と相談してください。ご存じだとは思いますが、生活保護の申請自体は、仮に暴力団員であっても可能です。もちろん、暴力団員だったら申請を受けつけたあとに却下ということになるわけですが。そして現状、警察の返事があるまでは生活保護の決定も却下もできないわけです。それはよくわかります。でも、それとは別に、クロダさんが今晩泊まる場所もお金もないという問題があるんです。これについてG区はどうするのですか?」
「いや……ですから、警察からの連絡待ちで。それまではご自身でなんとかしてもらうしか……」
「そうですか。しつこいようですがKさん、これは大切なことなんです。警察からの返事はいつになるかわかりません。明日の朝かもしれなければ、3日後、場合によっては1週間かかるかもしれません。もし、僕もKさんもクロダさんにだまされていたとして、本当に彼が現役の暴力団員だったら1週間路上で待たせたとしても問題はないでしょう。でも仮にクロダさんがすでに脱会している状態だったとあとから判明したら。KさんとG区の判断は、生活保護が必要な人を1週間も路上で生活させたことになります。その場合の責任をどうとるのか、これはそういう判断なんです」
性善説か性悪説か。答えなんて出ない。でも、はっきり言えるのは、目の前に今日食べる物や寝床もままならない、困っている人がいるということ。
そして、それを支援するのがいまの僕の役割だ。