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「不自由展」以外の"あいトリ"に問題はないのか

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国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった問題で、文化庁が7800万円の補助金を不交付とするなど、事態が揺れている。現地を視察した観光学者の井出明氏は「たしかに問題点もあるが、『ダークツーリズム』の観点からは画期的な展示も多い」と評価する――。(第1回、全5回)

■ダークツーリズムで観るあいちトリエンナーレ

筆者は観光学を専門としており、特にその中でもダークツーリズムと呼ばれる特殊な領域を集中的に研究している。ダークツーリズムとは、戦争や災害を始めとする人類の悲劇の記憶をめぐる旅である。

井出明『ダークツーリズム拡張 近代の再構築』(美術出版社)

今回、ダークツーリズムの観点から「あいちトリエンナーレ2019」を探訪する紀行の依頼を頂いたわけだが、これは当然のことながら展示中止となった「表現の不自由展・その後」に関する騒動が美術史における悲劇であるという観点から企画されたわけではない。

ダークツーリズムは元々、効率性重視や科学万能主義と言った近代の価値規範が限界に来ているという問題意識から生み出された新しい旅の概念であり、いわゆる近代を乗り越えようとする“ポストモダン”の思想運動と密接に関わっている。

20世紀以降の近代戦争は科学の力によって大量殺戮を伴うようになったし、人間が作り出した巨大文明が災害に遭遇することは、単に「神の意志」として語れるものではなく、前近代とは全く異なった意味合いを持つようになっている。

あいちトリエンナーレの展示では、こうしたモダンへの懐疑を有している作品が数多くあり、それは文明の中に身を置く我々の魂を揺さぶる。今回はこういった問題意識からあいちトリエンナーレを巡ってみる。

■美術館のある公園一帯は「芸術と科学の杜」というが…

名古屋は紛れもない工業都市であり、今回の芸術祭の会場の一つである豊田に至っては、企業城下町と言って良い。このような街で芸術祭を開くことは特別な意味を持っている。

まず、名古屋市美術館について考えてみよう。美術館のある白川公園一帯は「芸術と科学の杜」と位置づけられており、名古屋市科学館も同じ敷地内にあるのだが、その規模は科学館のほうが美術館よりはるかに大きい。つまり「芸術と科学の杜」といっても、現実に重点が置かれているのは科学である。

名古屋市科学館の全景。 - 撮影=井出明

ダークツーリズムは科学技術文明論も扱うため、私は名古屋市内の科学技術系博物館を複数回訪れたことがある。その中でも、名古屋市科学館は圧巻で、6階建ての建物の中には、理学系の理論的な展示から工学系の産業応用に至るまで、子供が楽しめるアトラクションが所狭しと並べられている。

しかし、同時に問題も感じた。科学技術が人類に対してどのような厄災をもたらし、また潜在的にいかに大きな危険性を有しているという点について全く言及がないのだ。これは上野の国立科学博物館も似ていて、展示の軸はあくまでも「もとより頭脳優秀な日本人が、近代以降に西洋から知識を輸入し、科学技術大国を作った」であり、そこでは原爆の悲劇や水俣病の悲惨さは語られない。

近代(モダン)の科学文明を手放しで礼賛する科学技術者に対して、あいちトリエンナーレに集められた現代アートはポストモダンの視点から批判の目を向ける。

■「産業立県」である愛知の人々に警鐘を鳴らす

たとえば名古屋市美術館で展示されている青木美紅の「1996」は、人工授精によって生まれてきた自身のアイデンティティを問い直す秀作だ。碓井ゆいによる「ガラスの中で」は生命の神秘の中にバイオ技術が入り込みつつある現状への違和感を表現している。これらの作品が展示されている美術館の目と鼻の先の科学館には、バイオ関係を含めた生命工学を称賛する説明がある。

あいちトリエンナーレ2019の展示風景。ジェームズ・ブライドル《ドローンの影》2019 - Photo: Ito Tetsuo

メイン会場の愛知県芸術文化センターでは、こうした「科学技術への懐疑」を扱った作品はかなりの数に上る。日本にいるとドローンという新しい技術は、空中写真を撮ったり、農薬を散布したりするために使われる民需品だと思われがちだが、世界的にはサウジアラビアの油田破壊にも使われたように、将来が嘱望される軍事技術として認識されている。

ジェームズ・ブライドルは「ドローンの影」という作品で、科学技術文明が進んでいく漠然とした不安感を表現した。ブライドルは高等教育を受けた科学者であり、高度科学技術社会が有する潜在的な危険性を大衆に得心させようとする試みは見事に成功している。これは「産業立県」である愛知の人々に警鐘を鳴らす役割を担ったともいえるだろう。

■「10万年後は安全」と言う科学者を信用すべきか

あいちトリエンナーレは核や原子力問題についても積極的に扱っている。ミリアム・カーンの「美しいブルー」は美の中に核問題への洞察がある。スチュアート・リングホルトの「原子力の時計」は10億年後の時間の概念について来訪者に思索を促している。

こうした作品は福島第一原発事故が世界のインテリ層に与えた思想的な衝撃の裏返しだろう。日本の原発問題は、たとえ福島第一原発がアンダーコントロールの状態であったとしても、本質的な危機は何一つ解決していない。原発がある限り高レベル放射性廃棄物は産み出され、その無害化には10万年が必要とされる。一般市民にとっては、10億年も10万年も「はるか彼方」であるわけで、「10万年後は安全」と言う科学者を信用すべきかどうかは、このインスタレーションが物語っている。

あいちトリエンナーレ2019の展示風景。ウーゴ・ロンディノーネ《孤独のボキャブラリー》2016 - Photo: Ito Tetsuo

こうした作品群を見るにつけ、「名古屋市民よ覚醒せよ、愛知県民よ目覚めよ」という叫びが聞こえてくるような気がしてならない。産業社会の中で安穏と暮らす我々は、あいちトリエンナーレを通じてもう一度現代文明を問い直すべきであろう。

このような観点からみると、あいちトリエンナーレは科学技術系博物館とのコラボレーションがあれば、より意義深いものになったのではないだろうか。科学文明への畏怖を持ちつつ、それでも社会のために科学研究を進めていくにはどのような矜持を持てばよいのかという示唆を現代美術は与えてくれる。特に、名古屋市美術館と名古屋市科学館は同じ白川公園の中にあり、近接しているにもかかわらず何らの協働もなかったことは非常にもったいないように思えるのである。

■国境や国籍について考えさせる作品群の意味

ここまで科学技術の問題を中心に現代アートについて考察してきたわけだが、近代が不可避的に抱える別の問題として「国家」という論点は避けられない。17世紀半ばに結ばれたウエストファリア条約以降、人々は主権国家体制の中に組み込まれ、否が応でも「国民」となり、国境や国籍について考えるようになってしまった。近代に作られたこの主権国家という枠組みは、21世紀の今に至るまで存続している。

主権国家体制の中で、所属する国家から弾圧を受ける者は難民となり、また強国の拡大とともに新たに領土に編入された地域では同化を余儀なくされる例も多い。あいちトリエンナーレでは、この主権国家体制に翻弄される人々を表現した作品も数多くの展示がある。

前述のジェームズ・ブライドルは「継ぎ目のない移行」の中で、出入国管理のための建造物の再現映像を通して、国籍や難民の意味について考えさせようとしている。キャンディス・ブレイツの「ラヴ・ストーリー」は難民のインタビューを俳優によって再構成しようとする試みであり、個人の責任ではどうしようもないレベルで誰でも潜在的に難民となりうることを意識させる力作である。

■日系ブラジル人に支えられている東海地方の現実

展示中止になってしまったタニア・ブルゲラの「10150051」も難民を題材としており、しかも人にナンバーをふるという仕組みがナチスドイツと当時高度な情報処理を実現したIBMとの協働に由来していることから、科学技術による人権侵害を想起させるものである。科学技術先進地である名古屋において、ぜひともこの作品は見てみたかったのだが、展示中止になってしまったことは残念で仕方がない。

これら国籍や国境を意識させる作品が、愛知県で展示されることは特別な意義がある。もう少し一般化して述べると、美術作品については、実は「何を見るか」というだけでなく、「どこで見るか」ということも重要な要素となる。

愛知県は製造業が集積した都市を多く抱えているが、バブル期以降、製造業を担う労働力が不足し、国も産業界もその解決をブラジルの日系人に求めた。それ故、愛知県のブラジル人居住率は相対的に高く、全国でも3番目にランクしている。隣接する浜松市も含めれば、東海地方の工業が日系ブラジル人に支えられている現実も見えてくる。

あいちトリエンナーレ2019の展示風景。青木美紅《1996》 2019 - Photo: Ito Tetsuo

こうした事実を鑑みたとき、国籍や民族について苦しんでいる立場から描かれた美術作品に触れることは地域における連帯を強めることになる。今回のあいちトリエンナーレでは、数多くの作品が展示中止となってしまったが、個人的にもっとも残念であったのはレジーナ・ホセ・ガリンドの「LA FIESTA #latinosinjapan」が見られなかったことである。この作品は、名古屋在住でラテンのルーツを持つ人々のパーティの様子を描いたものであったそうで、公的な芸術祭でマイノリティの日常が紹介される意味は大きかったであろうと推察される。

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