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この世界にあえて身を投じた。七宝焼きの名門“ゴダイメ(五代目)”の覚悟


6月1日、即位からほどない天皇皇后両陛下が、初の地方訪問で訪れた場所がある。愛知県あま市七宝町。金属にクリスタルガラスを焼き付ける伝統工芸品「尾張七宝(しっぽう)」で知られる地域だ。

かつて美術宝飾品として人気を博したが、時代の流れとともに状況は激変。最盛期は同町に200軒あった窯元も、現在では8軒まで減った。

「存在を知られないまま音もなくひっそり消えていくなんて耐えられない。ただ作ってるだけじゃ、それで終わっちゃう」

当地で130年以上続く七宝焼の名門「田村七宝工芸」を営む家に生まれた田村有紀さん(33歳)はそう語る。再興への道のりを聞いた。

小さい頃からものづくりに魅了

小学校低学年の頃から工房に入って遊んでいました。父が桜をモチーフにした作品を作っていると、それを真似して工房の床に桜の絵を描いていたり。小学4年生のときには夏休みの自由研究で両親に教えてもらいながら実際に七宝焼作りに挑戦し、作品と制作過程をノートにまとめて提出。先生やクラスメートに褒められました。



高校卒業後は武蔵野美術大学に進学しました。この時点では、親の跡を継いで七宝焼の職人になろうとは決めていませんでした。

大学時代には勉学のかたわら、七宝作品も制作していました。1年生の時にタレント事務所からスカウトされシンガーとしてデビュー。年間200回以上ステージに立って歌っていました。

大学卒業後はいろいろな方からのご縁があり、さまざまな仕事をいただきました。Web制作やイベント制作、ホテル経営戦略などの仕事をする一方で、シンガーとしての活動も続け七宝作品も作りました。会社員とシンガーと職人の三足のわらじです。

窯元の現存は残り8軒。 跡継ぎはいない。でも……

実家のことは、ずっと気になっていました。

かつて七宝焼は、結婚式の引出物として重宝されたり、高額作品を収集する人がたくさんいました。

当時は実家の窯元も両親のほかに職人さんが数人いてにぎわっていました。しかしバブル崩壊以降、状況は一変。さらにリーマンショックや東日本大震災なども追い打ちとなり厳しい状況に。昔はこの町に200軒以上あった七宝焼の窯元も、気づけば8軒にまで減少。

七宝焼がそんな厳しい状況だったのは知っていたのですが、どうしていいのかわかりませんでした。学生時代から七宝焼をたまに作ってはいたのですが、そんなレベルで職人になっても食べていけるはずもないので。

親からも跡を継げと言われたことがなかったし、これだけ厳しいということは七宝焼は時代や社会から必要とされず、このまま淘汰されていく運命にあるのか……でもいざ継ぎたくても仕事がそこまであるわけではないし……と悩みました。だから気になりつつも、七宝焼よりもとりあえずやりたいこと、目の前のできることをやろう、必要とされていることをやろうと、シンガーとしての活動を含め、いろんな仕事をしていたわけです。

両親が作るかっこいい作品が大好きだった

でも、いろんな社会勉強を積んでいる途中に三代目の祖父が亡くなり、いま私が始めなければ本当に手遅れになってしまうと危機感を覚えました。

そして、多業種を経験したことで気づいたのです。時代に淘汰されるわけじゃない。必要とされていないわけでもない。世の中に周知させるのが下手だっただけだと。

両親だってすごくかっこいい作品を作ってる。なのになんで世の中から消えてなくなろうとしているんだろう。存在を知られないまま音もなくひっそり消えていくなんて耐えられない。

改めて世界中の人に知ってもらって、それでも「こんなものいらない」と言われたらあきらめもつきますが、まだその段階じゃない。


だから七宝制作ができるような状況を確保し、2015年ごろから本格的に七宝焼の職人としての活動を始めたんです。


それ以来、勝手に「田村七宝工芸ゴダイメ」と名乗っています。「ゴダイメ」と片仮名表記にしているのは、四代目の父がまだ健在だから。永遠に健在でいてほしいですけど。


七宝焼きってどんな絵柄でも色でも、大きさも形もデザインも自由自在。作家性によるところが大きいんですよね。だから可能性は無限大にある。

焼いて何が出てくるかわからないといっような偶然美は七宝にはないので、最初から仕上がりを全て計算して作っているんです。その緻密さ、計算美が、七宝焼きの奥深い魅力なんです。


「ゴダイメ」を名乗り始めてまず取り組んだことは、七宝焼のオンラインショップやSNSのアカウント、パンフレットづくりでした。今は何か知りたいことがあったらネットで調べますよね。そのときにちゃんと情報が見つかることが重要なので。作品作りはもちろんですが、その他の当たり前のことを当たり前にやることから始めたわけです。ただ作ってるだけじゃ、それで終わっちゃう。制作+αをずっと行っています。

これまで弟子入りさせてほしいという人は来ました。でもその人の人生を考えるとどこまで助けてあげられるかわからない。今はまだお給料もちゃんと出せない。七宝焼きで食べていくのは難しいです。

両親は人を心配するタイプなので、無責任に弟子を取りません。もちろん、いつか後継者問題の解決策も考えないといけないと思ってはいますが、今はまだ私はそういう時期じゃない。これから徐々に取り組んでいきたいと思っています。


七宝焼を知らない世代にまず興味をもってもらおうと、「TAMURA WHITE from 田村七宝工芸」という七宝ジュエリーブランドを立ち上げました。

数十年前、父が祖父と七宝ジュエリーブランドを作ろうとした時期があったのすが、当時は注文が多くて忙しすぎたため手が回らなかったそうです。私はそれを形にしただけ。構想の具現化です。

こういう状況だからこそ、幅が広がったということもあるんです。じっくり考える時間があり、多業種を経験した私だからこそ、ブランディングを考え、実行することができたのです。


地道な活動をコツコツ続けていくうちに私と七宝焼の認知度が少しずつ上がり、取材や講演依頼が増え、メディア出演も増えました。そのせいか、七宝焼の注文も少しずつ持ち直してきました。

七宝焼は美しくて当たり前なので技術を磨いていくのは大前提。その上で、これからまだまだ大きなことをたくさん考えています。それはすぐに実現することではないですが、常にワクワクすることを仕掛け、多くの人たちを巻き込もうと思っています。

この街に200軒あった窯元が8軒にまで減った。でも悲壮感はまったくないです。

七宝焼の火は私が絶対に絶やしません。



田村有紀(たむら・ゆうき) 七宝焼窯元「田村七宝工芸」五代目の代。1986年、愛知県生まれ。幼い頃からものづくりが好きで武蔵野美術大学造形学部建築科に進学。メディアアート専攻でインスタレーション作品を作りつつ在学中から七宝焼作品を出展。同時に大学1年次に芸能事務所にスカウトされCDリリース、ライブ年間200本以上出演。大学卒業後はライブや制作を続けつつ、一般企業でイベント制作やWeb、デザイン、舞台制作、撮影ディレクションやマネジメント、MC等、さまざまな仕事を経験。2015年、七宝焼製作本格始動。伝統的な七宝焼を作り続ける一方で、七宝焼の認知度向上、伝統産業の再構築を実現すべく奮闘中。BeautyJapanコンテスト2019グランプリ受賞。

(取材・文・写真:山下久猛 編集:錦光山雅子 川崎絵美)

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