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離婚後の共同親権の導入検討は危険な動き 子の福祉も害されかねない 離婚後の理想のために共同親権を押し付けるのは本末転倒

 法務省が離婚後の共同親権の導入の検討を始めると発表しました。
離婚後の「共同親権」導入の是非を検討へ 法務省」(NHK2019年9月27日)

「河井法務大臣は記者会見で、「共同親権については、家族法の専門家や関係者、当事者からさまざまな意見があることは承知している。社会全体のいろいろな立場からぜひ丁寧に議論してほしい」と述べました。」
 非常に危険な動きです。海外では離婚後の共同親権が当たり前だからという主張はその正当性の是非の議論をすっ飛ばしてしまいます。

 当然と思われている海外での離婚後の共同親権にも多くの問題があるという紹介を読むと、むしろ当然だろうということにしかなりません。

離婚後の共同親権とは何か 子どもの視点から考える

 離婚とは、当事者の中では多くはもう夫婦としてやってられないという関係破綻から生じるものです。

 離婚後の共同親権という制度がなかったが故の弊害などありません。

 「円満」に離婚をしたのであれば、離婚後の共同親権がなかったとしても子育てに関して協議を行えば足りる話で、何も離婚後の共同親権という制度創設まで行う必要はありません。

 問題なのは、「円満」でないような場合です。このブログでもこうした観点からは何度となく述べてきましたが、「円満」でないからこそ問題なのです。それを離婚後の共同親権という形で強制することによって何を解決しようというのかということです。

 「円満」でないところへ強制的に共同親権なんていったら、関与する口実を与え、なおさら一方的な関係になりかねません。

 ところで、社会の中では意図的にこの離婚後の共同親権の問題を面会交流であったり、虐待の問題に結びつける人たちがいます。

 その筆頭が、この作花知志弁護士です。

 何と離婚後の共同親権制度が実現したら「結愛ちゃん法」と呼ぶと決めているのだそうです。



 この幼児虐待の問題は、丸亀の児相の対応の問題であり、児相のあり方の問題でした。離婚後の共同親権がなかったから犠牲になったなどとよくも言えたものです。

 離婚後、母親が親権者となり、再婚などによって義父によって虐待を受けるという事例は決して珍しくはありませんが、これが離婚後の共同親権が実現したら、何故、幼児虐待が防げるというのか、全くもって根拠がありません。悪質なすり替えであり、虐待の犠牲になった結愛ちゃんの悪用であり、政治利用であり、許し難いものです。

 この離婚後の共同親権は、我が子を連れ去られたと主張する父親側から主張されることが多いのが特徴です。

 面会ができないのは離婚後の共同親権がないからではありません。大きく勘違いしているのです。

 離婚後の親権がない現在でも非監護親には面会交流が認められています。少なくとも家裁実務では面会交流を認めるし、逆に「面会交流原則実施論」と揶揄されるくらい、面会実施による悪弊を監護親側が「立証」できない限りは面会交流が命じられます。

 私自身は、この「面会交流原則実施論」は大いに問題があると考えています。あまりに「例外」が狭すぎますし、当事者にとって非監護親と関わるというだけで弊害が生じることもあります。その原因は何も暴力DVに限られません。面前で怒鳴るなどというのも同じです。

 子に対して怒鳴らなければいいというものではありません。

 家裁の調停手続による面会交流があったばかりに初回の面会交流で子を殺され、非監護親である父親が自殺するなどという事件もありました。

元夫と4歳の娘、面会交流初日に無理心中 謝り続けた母」(朝日新聞2017年9月21日)

 原則実地論の問題は、悪弊が生じるということを監護親側が客観証拠によって立証しない限り、面会交流を強いるという点にあります。契約関係ではなく、純粋に人間関係なので、面会をさせたら弊害が起きうる蓋然性のある事案で、客観証拠がないものなどいくらでもあります。

 本来、調査官調査によって調査を尽くさなければなりませんが、だいたいの調査官調査報告は表層的です。児相のような権限もありません。


 そうした中で「明白な客観証拠」がなければ面会交流を強いるのであれば、監護親の「立証」に失敗したから面会交流を命じることなり、国家が子の福祉への後見的立場から命令を下すという建前とも相容れなくなります。

 ちなみに裁判所が建前として「原則実地論」の立場に立っていることを否定するのは、国家(裁判所)が後見として子の福祉に適っているか調査の上、判断して面会交流を命じているというのが建前だからです。実際にはDVのような顕著な弊害を監護親が客観証拠で立証できない限り面会を命じるのが判断の枠組みですが、面会交流による弊害が「立証」できなかったことをもって面会交流を強制しながら、そのリスクは子や監護親に押し付けることになります。

 さて、この非監護親側が、離婚後の面会交流ができないことをもって離婚後の共同親権を制度化せよと主張していますが、これが完全なすり替えの問題であることははっきりしています。現在の家裁の面会交流に関する実務を前提にすれば、親権がないというだけで何らの不利益は受けていません。

 でっち上げDV問題を持ち出す人たちもいますが、これも全く的外れで、仮に離婚後の共同親権であってもDV問題があれば例外とするということになっているのですから、その主張されているDVがどのようなものなのかということであって、離婚後の共同親権が制度化されれば解決される問題ではありません。制度導入の口実に利用しようとしているだけです。

 親権についても連れ去ったもん勝ちなどという俗論を言う人たちもいますし、弁護士の中にも同様にこの俗論を言っていることがあり、非常に問題です。

 あくまでそれまで主に監護をしてきた親が別居にあたって連れて出るということが監護の継続性であって、「連れ去り」にはなりません。

 今までろくに監護もしていなかった親が別居時に連れて行ってしまう、これで連れ去ったもん勝ちになると考えているのあれば大間違いです。あまりに裁判の実務を知らなすぎです。

離婚後の親権は「連れ去り勝ち」というデマ 裁判所はそんなに甘くはない

 離婚を決意したとき、別居に至ることは自然なことであり、また抑圧されていた側(特に妻側)が対等に離婚を切り出すことができないとき、子を連れて別居することができるというのが最後の手段です。

 離婚後の共同親権など百害あって一利なしです。

 選択制も同様に問題があります。夫婦同性婚と同じで、選択できるということは選択肢が拡がるではなく、一方の要求が押し付けられるということと同じなのです。

 実際に離婚に応じる代わりに離婚後の共同親権とせよ、と言われれば、早く離婚したいという思いから「同意」してしまうことは容易に想像ができます。

 従って、原則・例外のような考え方も同様に問題です。

 結局、例外を認めさせるためには、面会交流の場合と同じで、例外を主張する側、つまり単独親権を主張する側が、共同親権とした場合の弊害を「立証」しない限り、共同親権にさせられてしまうということになりますから、その弊害は顕著です。

 「共同親権が理想だ」と離婚後の共同親権導入を主張する人たちから言われています。共同親権が理想なのではなく、離婚後も子のためには父と母が愛情を注ぐということが理想なのであって、その理想ができていないから、制度として離婚後の共同親権を押し付けるなどというのは本末転倒なのです。

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