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東京サイドストーリー
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変わっていく街の中にあった「無常観」 漫画家・久住昌之さんがたどる三多摩の記憶

  • 2019年10月02日 10:58
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漫画原作者、漫画家、ミュージシャンなど、多彩な顔で知られる久住昌之氏。代表作のひとつ、『孤独のグルメ』はドラマ化され、今秋Season8が放送予定だ。そんな久住氏は、生まれも育ちも三鷹市の生粋の三鷹っ子。幼い頃から、「三多摩」と呼ばれる東京都西部の地域が大きく変貌していく様子を見ていたという。今回は久住氏に、創作の原点とも呼べる三多摩の思い出を振り返ってもらった。【撮影:弘田充】

生まれも育ちも三鷹 急激に変わっていく街の中にあった「無常観」

—— 今日は、東京都西部の呼称として使われていた「三多摩」についてお話をうかがいにきました。久住さんは三多摩の中にある、三鷹と関係が深いとお聞きました

父は新潟出身、母は山梨出身で、ボクが生まれるというので、三鷹に引っ越してきたんです。ボクは三鷹で生まれ育って、今も三鷹に住んでます。市内で何度か転居しましたけど、住居は三鷹市から出たことないんです。仕事場は吉祥寺ですが。

—— 東京でずっと同じ市というのは珍しいですね

そうかもしれませんね。機を失ってるだけかもしれないけど(笑)。

—— 久住さんが考える、三鷹のいいところってなんでしょうか

やっぱり、郊外でわりと静かなところ。三鷹は新しいものに敏感な街じゃないんですよね。新しいものをちょっと遠くから見ているようなところがあって。ボクは子供の頃「なんで特別快速は、吉祥寺じゃなくて、三鷹に停まるんだろう」って思ってましたから。ほら、吉祥寺の方がずっと栄えてるじゃないですか。あとで車庫や敷地のせいって知ったけど。母も日々の食料品以外の買い物は吉祥寺に行ってました。家の近くには、小さなスーパーマーケットと個人商店だけ。夜は本当に静か。それは今も。

—— 今の三鷹駅周辺しか知らないと、信じ難いところもあります

ボクが子供の頃はほんとに田舎っぽくて、近所には畑や原っぱや雑木林ばかりだった。でも、小学生の頃がちょうど高度経済成長期で、そういった空き地がどんどんなくなっていった。クワガタをとった林も、野球をした原っぱも、泥戦争した空き地も、全部なくなっちゃった。だからなんていうのかな、遊び場がなくなっていく歴史の中で育ちましたね。

—— 寂しい気持ちみたいなものもありましたか?

当時は「えー」と思いながらも「そういうものなのかな」となんとなく受け入れていました。もちろん、大人になってみれば寂しかったな、と思い出しますが。でも「どんなに好きな場所も、大好きな駄菓子屋も、みんななくなっちゃう」という無常観が、三鷹育ちにはあるような気がします。でもそれが嫌かというと、今の、ものにこだわらない性格に繋がってて、いいとこでもあるのかなと。

—— ものすごいスピードで変わっていった時代ですよね

小学生の社会の授業で「わたしたちの三鷹」みたいなのをやったんですけど、そのとき「三鷹は東京のベッドタウンです」って書いてあった。だから、当時はそうだったんでしょうね。東京で働く人が帰ってくるところ。郊外。ボクが小学校の頃は、駅前通りに、まだマンションも2つしかなかったんです。

ちょうど東京の小学校が木造から鉄筋に変わっていく頃だったんですけど、冬の天気のいい日には、新校舎の3階から東京タワーが見えた。さらに36階建ての霞が関ビルも見えた。いかに東京中がまだ二階家どまりだったかってことですよね。今は多摩丘陵の上まで、びっしりマンションですからね。

しかし、なくなった話ばかりになっちゃったな(笑)。井の頭公園、野川公園などは、子供の頃よりずっと整備されてて、木も草も花も道も美しい。玉川上水もきれいになったし、上水沿いの散歩は今でも大好きです。行政はがんばってるところもあると思いますよ。

馴染みのあった「三多摩」という言葉

—— 三多摩というのも、今ではあまり馴染みのない言葉になったかもしれません

中学高校のとき、スポーツなんかで、ボクらは三多摩大会だったんです。それに対し23区は都大会。三多摩は都じゃないのか(笑)。だから三多摩という区切りに馴染みはあった。それが、大人になると「三多摩ってなに?」って言われ驚いた。それで「三多摩ってなんだろう」って思って調べたんです。すると北多摩と西多摩と南多摩だと。東多摩がない。実はその場所が今の阿佐ヶ谷高円寺のあたりで、ちゃっかり23区に入ってる。なんか垢抜けないなと思っていたら、実は俺たち「多摩チーム」じゃんって(笑)。そういう発見って面白い。

やっぱり、ボクの思う「東京」って新宿より東なんです。年に何度か親と行く、デパートがたくさんあるところ。新宿だけなんですが(笑)。銀座なんて未知の国。

そうそう、大人になって不思議だったのが「中央線文化」っていうけど、なんで新宿や四谷やお茶の水が入ってないんだって。はたと、「中央線の多摩部分の文化なんじゃん」って、もやもやした霧が笑いとともに晴れた。どうりで中央線文化って言われるものがどっか野暮ったいのは、三多摩文化だからです。

—— 三多摩で特に変わったなと思う場所はありますか

どこも変わったけど、国分寺とかこの20年の再開発で、すごく変わったなと思います。『孤独のグルメ』谷口ジロー先生と初めて会ったのが国分寺だったんです。もう25年も前か。その頃はまだ昔のヒッピーみたいな若者がたむろしてた国分寺の感じが残ってました。今、ゼロ(笑)。まあ、それでよかったかもね。あいつら結局甘えんぼだったし(笑)。

あと最近行ったところだと、立川も変わりましたね。

—— 立川は駅前で買い物も色々できますし、昭和記念公園もあるので、人気が出てきていますね

ボクらの頃、立川は駅から少し離れるとちょっと怖いような雰囲気もありましたけどね。今はモノレールもありますし、駅前も歩道橋が張り巡らされ変わりましたね。なにしろ昭和記念公園は基地だったからね。

どこも変わったけど、逆に全然変わらなかったのが東小金井。中央線でなぜかそこだけ取り残されてた。北口なんて飲み屋と喫茶店がひとつずつしかない。弟が昔住んでて、編集者と打ち合わせする場所がないってぼやいてた。公園や大学もあるのに、なんでだろう。最近ようやく動きが出てきた。

あと、中央線を離れて、劇的に変わったといえば町田です。駅前全とっかえっていうぐらい変わった。それでも自分の足で歩いてみると、昔ながらの馬肉鍋の店が建て替えてきれいになってまだやってたりして、そういうの見つけると嬉しい。

—— 三多摩で気になっている場所はありますか

これももう20年も前なんだけど、ふと、隣の「武蔵境」がなんであんなに地味な街なのに「境」なんだろうと思って。それで大きな東京近郊の鉄道路線図で、武蔵って名前が付く駅を丸で囲んでってみたんです。武蔵小金井、武蔵関、武蔵嵐山、武蔵白石・・・って、埼玉東京神奈川に、武蔵の付く駅は21個もあった。武蔵境はその真ん中あたり。「だから武蔵境なんだ」ってすごく納得して。その南北に長い土地が昔の武蔵国なんです。ちなみにそれ以外で日本で武蔵の付く駅はたった2つ。岡山の宮本武蔵駅と熊本の武蔵塚駅で、どちらも宮本武蔵ゆかりの地。それを知って、「武蔵の旅」と名付けて、とりあえず全駅降りて散歩しようと思って歩き出して。今でも実はやってて、行ってないのは、熊本の武蔵塚とあと2つだけ。まだ楽しみが残ってる(笑)。

多摩に関係ないって思うかもしれないけど、これも武蔵境の隣に住んでたから思いついた疑問と答えと旅なわけで。そうやって、多摩と武蔵国との繋がりが見えてくるのが面白い。ネットとかで知るんじゃなくてね。そして、旅って、どんなとこでも行ってみると発見がある。

必要以上にがんばらない 散歩の極意は「リラックス」

—— 久住さんは、街を散歩して面白いものを見つける達人ですからね

歩くのは、そもそも車の免許を持ってないからです。だから歩く起点はいつも駅。頭ん中の地図道路じゃなくて線路中心。かたよってる。でもそこも面白い。歩くのは10キロでも15キロでも普通に歩けるんですよ。山登りとか走るのとかは全然好きじゃないんだけど(笑)。ちょうど10年前、1ヶ月に一度の散歩で2年かけて、東京から大阪まで歩いたこともある。

—— 東京から大阪だと、かなりの距離がありますよね

550キロ。初回は神保町から横浜まで歩いたんですけど、かなり歩いて、かなり疲れた時点で、横浜のランドマークタワーが遠くに遠くに見えて「ギャー!あそこまで歩くのかよ!」って(笑)。ビールも飲む気にならないくらい全身クタクタになっちゃった。やっぱり無意識に力が入ってて、急ぎ足で、しかもネタを見つけようって、がんばっちゃってたんですね。大磯くらいまで来て、ようやく力が抜けました。何もなくても、ただ歩いているだけで楽しい。マイペースがわかって、疲れなくなった。散歩でも旅でも、その極意は「リラックス」ですね。必要以上にがんばると、面白いものにも気づかない。道にキュウリが一本落ちてるだけで、おっかしいじゃない「なんで?」って。

—— (笑)

当時、50歳を過ぎた頃で「自分の中にもうなんにもないな」って不安がわいたんです。アウトプットのしすぎで。それで何かインプットがなきゃダメだと。で「とりあえず大阪まで散歩するか」と。散歩だから地図も見ない。名所旧跡じゃんじゃん見落とす(笑)。わざと城とか無視する。食い物屋もバンバン失敗する(笑)。そのかわり、ガイドに絶対出てないシッブーイ定食屋で、見たこともないものが食べられたりする。

—— 美味しいお店も散歩のひとつの楽しみですよね

お店はね、やっぱり長くやってるところが好きなんですよ。飲食店を10年以上続けるのは、とても大変なことなんだと知ったのは、年を取ってからです。

三鷹に、子供の頃からずっと通っていたラーメン屋があって、20代の頃なんかは未来永劫あり続けるような気がしてた。ある日なくなるって知るわけです。でも、見回せば、子供の頃からある店なんて2,3軒しかない。

そう考えると30年40年続いてる店というのは理由がある。必ずいいところがある。味か、値段か、店主の人柄か、居心地か、なにか。一口目はそんなに美味しくないんだけど、何回か通うと忘れられなくなる味とか(笑)。そういう店は、仮に店は建て直したり移転したりして最近の店のようでも、年月に磨かれた何かがどこかににじみ出ている。地方に行っても、ついそういう店を探してしまいますね。

だからボクも、マンガとか音楽とか、10年20年、古びないもの、なくならないものを、作りたいんです。

—— たしかに『孤独のグルメ』に代表される久住さんの作品も、流行り廃りとは無縁な感じがしますね

『孤独のグルメ』を書いたのは30代後半の頃だったから、もう20年以上前ですね。そう考えるとびっくりですね。谷口先生が心を込め丁寧に描いてくれたからこそです。時間的にも持ってるし、距離的にも届いている。海外で10カ国語に訳されてるんです。ドラマも今度Season8が始まりますけど、プロデューサーはドラマ化まで10年くらいやりたいって言い続けてたそうです。「企画会議通すために何冊文庫本買ったかわかんない」って(笑)。

そうそう、Season8の「ふらっとQUSUMI」のタイトルバックは、初めてボクの手描きのキャラクターを使っています。実は同じキャラクターが、すでにLINEスタンプで売られているので、気になる人は「くすたんぷ」でぜひ検索してみてください。つい宣伝しちゃったけど、まあいいか(笑)。よろしくお願いします。

プロフィール
久住昌之:
1958年東京生まれ。漫画原作者、漫画家、エッセイスト、ミュージシャンなど、さまざまな顔を持つ。1981年に、泉晴紀と組んだ「泉昌之」として、「ガロ」でデビュー。1999年には弟・久住卓也とのユニット「Q.B.B.」による『中学生日記』で、第45回文藝春秋漫画賞を受賞。谷口ジローとの共著『孤独のグルメ』は、2012年にドラマ化され、人気シリーズに。今秋、Season8が放送予定。

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