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- 2012年06月06日 22:38
精神科疾患の診断基準は着眼点がズレている。
そろそろ、精神科疾患の概念についてまとめておかなくてはいけないと、一抹の焦りを感じたのでblogの記事として残してみることとした。
これまでも、このblogで発達障害や統合失調症の診断基準の問題などを述べてきたが、今日は精神科疾患について一通りの見解をまとめてみたいと思う。
まず、発達障害について
発達障害は、今度改定されるDSM-5では自閉症スペクトラム障害(ASDと略す)と称されるようになる。
詳細は割愛するが、
自閉性障害、
アスペルガー障害、
レット障害、
小児崩壊性障害、
特定不能の広汎性発達障害
この5つにあてはまるものをASDにするのだという。
これをみた医療関係者の大方は、発達障害に該当するであろう人の大半がそれから外れてしまうのではないかと懸念を抱いている。
この懸念は確かにそうで、多くの発達障害的特徴を持つ人をその概念から除外されてしまう可能性が非常に高くなる。つまり、すこしでもその特徴を持っていたとしても、持っていないものとして処理される可能性が大きいのである。
さて、ここから重要な部分に切り込んでいきたい。
誰もが信頼している(謙遜しすぎか)DSM-5のASD的概念と対照的な捉え方が私の考えである。
DSM-5のASDは明らかな「障害」として位置付けたのに対して、私の発達障害的概念は、“より”発達障害らしくない、“定型(ここではひとまずこう表現する)”に近い人がいるとすれば、逆に、“より”発達障害の要素を強く持つ“傾向の強い人”との連続性をもつ一連のものを発達障害と捉えるという見方である。
スペクトラム(連続性)はDSMでも使われているが、私は先に述べた部分を含んだ連続性をスペクトラムと位置付けている(誤解の無いように言うが、これは私が初めて言ったことでもない)。
端的に言うと発達障害的傾向は、誰でも大なり小なり持ち合わせており、その傾向が強い人がこの社会での“生きていきにくさ”を感じる人だということになるのである。
だから、疾病として捉えたDSMに対して、その傾向が強い人を判別するものとしての私の考えは、意義が全く違ってくるのである。
そして、そこにこだわる意味はないだろうとの反論があるかもしれないので、もう少し掘り下げて考えてみたい。
では、私の発達障害の捉え方の重要性はどこにあるのか。
私のいう、発達障害的概念のミソはあらゆる精神神経疾患のベースにあるというところにある。
発達障害の傾向が強い人は、同じストレス・環境下であっても精神神経疾患を併発しやすい。
そこには、神経過敏という大まかな概念が存在する(これは、否定的な意見ではなくあらゆる疾患を見るうえで非常に重要な視点)。
鋭い人はお分かりかと思うが、発達障害の傾向が強い人は、世の中の有名な以下の
解離性障害
うつ病
パニック障害
躁うつ病
統合失調症様症状
強迫性障害 etc・・・
あらゆる精神神経疾患の発症を容易にさせる。
だから、単発で「あなたはうつ病です」であるとか「解離性障害です」などということはありえず、まず、ASDの傾向が強いかどうか。
そのうえで、虐待やそのほかの生活環境の影響がどれほどあったのか等を順番にアセスメントしなければならないのである。
ここから先を書くと長すぎて誰も読まなくなるので、概要だけまとめることにする。
キーワードで言うと
不登校
引きこもり
虐待
レイプ
パーソナリティ障害
AC(アダルトチルドレン)
言い出せばきりがないが、成育歴(発達障害的傾向をあぶりだすとともにストレスやトラウマ要因なども割り出さなければならない)と発達障害的傾向、そして遺伝的素質は精神・神経疾患において極めて重要なものであることをここで付け加えておく。
そして、既存の精神疾患を軸にした遺伝子研究も的が外れていること、近いうちに統合失調症が発達障害の2次障害にすぎず(発達障害の統合失調症併発など論外)、解離性障害やその他の疾患とのスペクトラムであるということ、また、うつの概念の拡大の懸念などもこれによって払拭されることをここであらためて断言しておく。
こうなると、
統合失調症に関する統計
うつの統計
これらの薬剤に関する治験
様々なものの見直しが必要になってくる。
この議論は、いろいろな利権に関係してくるが、そのデータが無駄になるということではないことは念のため伝えておく必要があるだろう。
最後に・・・
うつの誤診で実は躁うつ病だったという所見が、TVなどで言われているが、私から言わせれば、発達障害の2次障害のうつ状態が薬剤性に躁転をおこしたものを、うつの誤診の躁うつ病だとみた2重の誤診である可能性を指摘してこの場をいったん括りたい。
これまでも、このblogで発達障害や統合失調症の診断基準の問題などを述べてきたが、今日は精神科疾患について一通りの見解をまとめてみたいと思う。
まず、発達障害について
発達障害は、今度改定されるDSM-5では自閉症スペクトラム障害(ASDと略す)と称されるようになる。
詳細は割愛するが、
自閉性障害、
アスペルガー障害、
レット障害、
小児崩壊性障害、
特定不能の広汎性発達障害
この5つにあてはまるものをASDにするのだという。
これをみた医療関係者の大方は、発達障害に該当するであろう人の大半がそれから外れてしまうのではないかと懸念を抱いている。
この懸念は確かにそうで、多くの発達障害的特徴を持つ人をその概念から除外されてしまう可能性が非常に高くなる。つまり、すこしでもその特徴を持っていたとしても、持っていないものとして処理される可能性が大きいのである。
さて、ここから重要な部分に切り込んでいきたい。
誰もが信頼している(謙遜しすぎか)DSM-5のASD的概念と対照的な捉え方が私の考えである。
DSM-5のASDは明らかな「障害」として位置付けたのに対して、私の発達障害的概念は、“より”発達障害らしくない、“定型(ここではひとまずこう表現する)”に近い人がいるとすれば、逆に、“より”発達障害の要素を強く持つ“傾向の強い人”との連続性をもつ一連のものを発達障害と捉えるという見方である。
スペクトラム(連続性)はDSMでも使われているが、私は先に述べた部分を含んだ連続性をスペクトラムと位置付けている(誤解の無いように言うが、これは私が初めて言ったことでもない)。
端的に言うと発達障害的傾向は、誰でも大なり小なり持ち合わせており、その傾向が強い人がこの社会での“生きていきにくさ”を感じる人だということになるのである。
だから、疾病として捉えたDSMに対して、その傾向が強い人を判別するものとしての私の考えは、意義が全く違ってくるのである。
そして、そこにこだわる意味はないだろうとの反論があるかもしれないので、もう少し掘り下げて考えてみたい。
では、私の発達障害の捉え方の重要性はどこにあるのか。
私のいう、発達障害的概念のミソはあらゆる精神神経疾患のベースにあるというところにある。
発達障害の傾向が強い人は、同じストレス・環境下であっても精神神経疾患を併発しやすい。
そこには、神経過敏という大まかな概念が存在する(これは、否定的な意見ではなくあらゆる疾患を見るうえで非常に重要な視点)。
鋭い人はお分かりかと思うが、発達障害の傾向が強い人は、世の中の有名な以下の
解離性障害
うつ病
パニック障害
躁うつ病
統合失調症様症状
強迫性障害 etc・・・
あらゆる精神神経疾患の発症を容易にさせる。
だから、単発で「あなたはうつ病です」であるとか「解離性障害です」などということはありえず、まず、ASDの傾向が強いかどうか。
そのうえで、虐待やそのほかの生活環境の影響がどれほどあったのか等を順番にアセスメントしなければならないのである。
ここから先を書くと長すぎて誰も読まなくなるので、概要だけまとめることにする。
キーワードで言うと
不登校
引きこもり
虐待
レイプ
パーソナリティ障害
AC(アダルトチルドレン)
言い出せばきりがないが、成育歴(発達障害的傾向をあぶりだすとともにストレスやトラウマ要因なども割り出さなければならない)と発達障害的傾向、そして遺伝的素質は精神・神経疾患において極めて重要なものであることをここで付け加えておく。
そして、既存の精神疾患を軸にした遺伝子研究も的が外れていること、近いうちに統合失調症が発達障害の2次障害にすぎず(発達障害の統合失調症併発など論外)、解離性障害やその他の疾患とのスペクトラムであるということ、また、うつの概念の拡大の懸念などもこれによって払拭されることをここであらためて断言しておく。
こうなると、
統合失調症に関する統計
うつの統計
これらの薬剤に関する治験
様々なものの見直しが必要になってくる。
この議論は、いろいろな利権に関係してくるが、そのデータが無駄になるということではないことは念のため伝えておく必要があるだろう。
最後に・・・
うつの誤診で実は躁うつ病だったという所見が、TVなどで言われているが、私から言わせれば、発達障害の2次障害のうつ状態が薬剤性に躁転をおこしたものを、うつの誤診の躁うつ病だとみた2重の誤診である可能性を指摘してこの場をいったん括りたい。