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3歳児にも「放射線」を当てるがん治療医の信念

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「止めよう」と踏みとどまる勇気を持てるか

放射線治療の難しさは、治療終了から2カ月程の間にゆっくりと病巣が小さくなっていくことだ。つまり、放射線治療終了の時点では、病巣は縮小に向かっているが、消滅していない。

「医師の本能としてなんとかして患者さんを治してあげたいので、もう少し放射線の量を追加したいという気持ちが出てくる」

患者からも、もう少し放射線治療をして欲しいと要望が出る場合もある。それに対して「今後もがんは小さくなっていくから、ここで止めておきましょう」と踏みとどまるには知識、経験、信念、そして勇気がいると内田は言う。

内田が特に辛い気持ちになるのは、まだあどけない小児を治療するときだ。なんとか治してあげたいという両親の必死な顔を見ると、胸が張り裂けそうになる。その中の一人に3歳の小児がん患者がいた。幸い脳腫瘍は放射線治療により完治した。

それから十数年経った後のことだった。がんに罹患したその子の母親が、放射線治療を受けるために内田の元にやってきたのだ。内田の顔を見ると母親は「あのとき、先生にはお世話になりました」と丁寧に頭を下げた。引っかかったのは、その後の一言だった。

「うちの子はずっと小児科に入院しているんです」

ビームは消えても、照射は体に記憶される

10代になっていたその子どもは脳の萎縮が原因で入院していた。

「医学はどんどん発達しています。標準治療、つまりこの疾患ならばこれくらいの放射線を照射するという標準量も変わってくる。当時はその時点の標準治療を実施していました。その後、放射線治療による晩発性(遅く病気の症状が現れること)の副作用に関する知見が集積して、その疾患に対する放射線治療の標準量は、3分の2ほどに減りました。つまり、後からみると、当時の放射線の標準量が多かった」

放射線治療の影響ではないかと内田は打ちのめされた気分になった。

「放射線のビームは体を通過して消えてしまう。でも体は放射線を照射されたことを記憶している。特に幼小児の場合、晩発性の副作用が問題となりうる」

もちろん放射線を減らしていれば、脳腫瘍が治らなかった、あるいは再発するという可能性があった。恩師の石田は「放射線治療は、やめどきが一番難しい」と言い続けていた。その言葉を何度も噛みしめることになった。

日進月歩の治療

放射線治療の技術革新は目覚ましい。

鳥取大学医学部附属病院では10月から約半年かけて放射線治療装置一台を最新のシステムに入れ替える。これにより、肺や肝臓のように呼吸などで動く臓器にできた腫瘍への定位照射——ピンポイント照射の追尾が可能になる。

「これまでの当院の定位照射では、患者さんに30秒間ずつ何回も息を止めてもらう、あるいは呼吸性移動を考慮して照射範囲を大きめにする必要がありました。新しい治療システムでは、腫瘍を追いかけながら小さな照射範囲で治療することができるので、副作用がさらに少なくなります」

特に肺がんには効果的で、合計4回の照射で手術による切除と同等の治療成績が報告されている。

放射線治療医は放射線ビームを照射する、角度、回数、総線量を放射線技師に指示する。これを「治療計画」と呼んでいる。

放射線治療医は「鬼手仏心」で

現在、内田は日本放射線腫瘍学会の理事、そして教育委員長を務めており、後進の指導にも注力している。学会などに出席すると、患者と向き合うよりもコンピューター上で3Dの治療計画を作成することに熱中する若い医師が増えていると感じることがある。

「コンピューター性能や照射技術がすごく発達したので、私の若い時代よりも複雑なことがスマートにできるようになった。治療計画を作ることだけに面白さを感じて放射線治療医になる人もいるようです。でも、私はそれだけでは不十分だと思うんです」

恩師である石田が退官する際、内田は1枚の色紙を受け取っている。そこには毛筆で“鬼手仏心(き・しゅ・ぶっ・しん)”と書かれていた。

「調べてみると外科医に使う言葉でした。どうして私にこの言葉をくれたのだろうって」

外科医は手術で鬼のように残酷なほど大胆にメスを入れる、それは何としても患者を救いたいという仏の心があるからである、という意だ。

「しばらくしてから、放射線のビームも(外科医の)メスと同じだと、はっとしたのです。我々は患者さんのことを思って慎重に鬼の手を使いこなさなければいけない」

勤務後、ピアノの鍵盤を叩くワケ

内田には同級生でもある医師の夫との間に二人の娘がいる。一人は医師に、もう一人は薬剤師になった。

「私から(医療関係の職業に)なりなさいと言ったことはありません。ただ、実際になってくれると嬉しいものです。子どもたちからすれば両親とも忙しく、かまってくれなかったという思いがあるはずなんです。親の苦労を見ていて全く嫌だったら、医療関係の道には進まなかったでしょうから」

二人はそれぞれ結婚し、東京に居を構えた。一方、内田は出雲から鳥取市、米子市と山陰に住み続けている。

「入学試験で初めて出雲を訪れてからもう何年でしょうか。山陰での生活が人生で最も長くなってしまいました」

そう言うとおかしそうに笑った。


鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 2杯目』

趣味、気分転換は何かありますか、と最後に聞いてみた。内田は少し考えた後、二人の娘が進学のために家を出た後、ピアノを習っているのだと言った。

「それまでは仕事と育児の両立というぎりぎりのバランスでやってきました。娘にピアノを習わせている頃、自分がやってみる時間的余裕はまったくなかった。ところが娘たちがいなくなると、夫が単身赴任なので、全ての時間を仕事に充てることができる。寝食を忘れて仕事ができちゃうんです。それでは自分のなかですごくアンバランスな気がしたので以前から憧れていたピアノを始めたんです」

ピアノの話になると内田の顔がぱっと明るくなった。

「この年齢になると、進歩することって少ないですが、ピアノは練習すれば練習しただけ上達する。それが面白い」

勤務が終わった後、自宅に戻って消音機能のついたグランドピアノの鍵盤を叩く。夫は子どもの頃からピアノに親しんでいた。近い将来、二人で1台のピアノに向かって連弾するのが彼女のささやかな夢である。

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田崎 健太(たざき・けんた)
ノンフィクション作家
1968年3月13日、京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。
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(ノンフィクション作家 田崎 健太)

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