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ビジネスと人権に関する国際的潮流-責任ある企業行動と人権デューディリジェンス-

2019年9月18日
社会システム共創部 ESGコンサルティング室 コンサルタント 櫻井洋介

 2019年6月、タイ・バンコクにおける人権週間に合わせて、タイ政府や国際機関の共催による「責任あるビジネスと人権フォーラム(以下、フォーラムという)」が開催された。フォーラムで議論されていたテーマは、日本企業にとっても共通の課題であり、今後、日本企業が人権に関する取り組みを進めていく上で、示唆となり得る内容である。本稿では、フォーラムで議論されていた、ビジネスと人権における課題の中から、特に人権デューディリジェンスに関連する事項について、現地でフォーラムに参加した筆者が紹介する。

1.「責任あるビジネスと人権フォーラム」とは

 「責任あるビジネスと人権フォーラム」は、「責任ある企業行動」や「ビジネスと人権」に関する一連の課題について取り組むためのマルチステークホルダーイベントである。タイ政府、経済協力開発機構(OECD)、国連開発計画(UNDP)、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)、国際労働機関(ILO)、ASEAN政府間人権委員会(AICHR1)等の共催により開催された2。フォーラムには、ASEAN全加盟国(10ヶ国)を含む、計42ヶ国から700名が参加し、約50%は政府関係者であったが、企業関係者と市民社会からの参加者もそれぞれ全体の約25%を占める等、様々なアクターが参加している3

 フォーラムでは、移民労働者、気候変動、グローバルサプライチェーンとジェンダー、ディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)等といったビジネスと人権に関する優先トピックを取り扱う16のセッションが設けられた他、早朝の時間や昼休憩の時間等を利用して、特定の国・業種等のテーマを取り扱う14のサイドイベントも開催されている。各セッションの中では、責任ある企業行動を推進すべく、ビジネスと人権に関する共通の課題について、スピーカーと参加者による双方向の議論が展開された。

2.人権デューディリジェンスの重要性

 フォーラムにおいては、ビジネスと人権に関する施策を進める上での政府の役割や、政策の一貫性の重要性等、国家が果たすべき義務についても多くの議論が交わされたが、責任ある企業行動に直結する事項の中で、最も議論の対象となったテーマの1つが、人権デューディリジェンスである。農業や製造業、インフラ等、人権デューディリジェンスに関する業種別のセッションが、フォーラムでは計4つも設けられており、ビジネスと人権の文脈において、人権デューディリジェンスが、いかに重要な概念であるかを示唆している。

 国連の「ビジネスと人権に関する指導原則(以下、指導原則という)」によれば、人権デューディリジェンスとは、「事業と製品、サプライヤーとビジネスパートナーネットワーク全体にわたる企業の人権への影響を特定し、対処する継続的なプロセス4」と定義される。即ち、人権デューディリジェンスとは、ビジネスにおける「人権への負の影響を特定し、防止し、軽減し、そしてどのように対処するかということに責任をもつため(指導原則17)」に行われる一連のプロセスを指すものである。その中では、(既に顕在化している影響のみならず)潜在的な人権への影響も考量評価すること、評価に基づいて負の影響への軽減措置を実施すること、軽減措置の実効性を追跡・検証すること、一連の取り組みに関して情報開示を行い、ステークホルダーへの説明責任を果たすこと等が求められており、まさに企業の人権尊重責任の中核をなす概念であると言えよう。

 しかし、それにも関わらず、人権デューディリジェンスについては、未だに十分な理解がなされておらず、指導原則に即した対応を実施できている企業は非常に少ないのが現状である。フォーラムにおいても、国際機関や市民社会の代表者から、企業が実施する人権デューディリジェンスの取り組みと指導原則の要求事項との乖離が指摘されていた。そして、それらは、日本企業が抱える課題と同様のものであると筆者は考えている。

 近年、日本企業の中でも、人権方針の策定等を進めている企業の数は増加しつつある。しかし、人権デューディリジェンスにおいては、先進企業の取り組みでさえも、指導原則の要求事項との間には、依然としてギャップがあると思われる。本稿では、改めて指導原則の要求事項を整理しながら、フォーラムの中で示された現状と指導原則とのギャップについて考察していくことで、日本企業が人権デューディリジェンスの取り組みを進める上での示唆を提供していきたい。

3.現状と指導原則の要求事項とのギャップ

(1)人権に関する負の影響の特定

 前述の通り、人権デューディリジェンスの一連のプロセスの中でまず求められるのが、事業における人権への負の影響を特定することである。指導原則18の解説においても、「人権デューディリジェンスを実行する際の第一歩は、企業が関与する、実際のそして潜在的な人権への負の影響の性質を特定し、評価することである」とされている。これは、企業の事業規模や展開地域、扱う商品・サービス等、企業固有の要素に基づいて、特定の人々に対してどの様な影響を及ぼし得るかを理解することを意味している。このプロセスにおいては、企業は特に社会的に弱い立場に置かれた人々や、排除されるリスクが高くなりがちな集団・個人(女性、子ども、障がい者、外国人等)に対して、特に注意を払わなければならないとされており、影響評価にあたっては、内部または外部の人権に関する専門知識の活用や、関連するステークホルダーとの協議を実施することが推奨されている。

 また、人権に関する負の影響を評価し、重大な人権リスクを特定する場合は、潜在的な深刻度をベースとして、発生可能性も考慮しながら、分析を行っていくことが推奨される。ここで、深刻度の判断においては、規模や範囲、是正の困難性等を考慮していくことが考えられる(指導原則14解説)。

 人権に関する負の影響を評価する上で重要なポイントは、通常のリスク分析等と異なり、「ビジネスへのリスク」ではなく「人へのリスク」、即ち、実際に影響を受けるステークホルダーの視点で、影響の大きさを評価することである5。例えば、負の影響が大きいとされる「児童労働」について考えてみると、実際に何百人、何千人といる工場の労働者の中で、1人や2人の児童が勤務していたとしても、(レピュテーションリスクこそあるものの)事業の円滑な運営という観点では、影響はさほど大きくないと考えられるかもしれない。しかし、就労年齢6に達していない児童の労働は、当該児童の健康や健全な成長等に悪影響を与えるばかりでなく、子どもの権利としても認められている教育の機会を奪うことにもつながる。そして、学齢期の教育機会が失われると、事後的な完全救済は困難であることから、当該児童への影響やリスクは甚大であると考えられる。この様に、人権リスクを評価していく上では、影響を受ける「人」を基点に、深刻性について検討しなければならない。

 フォーラムで指摘された課題の1つとして、企業の実施している人権デューディリジェンスの多くは、重大な人権リスクを特定するに至っていないという点が挙げられる。また、仮に人権リスクを特定していたとしても、影響を受ける人を基点に、人権に関する負の影響を評価している企業は非常に少数である。この点は、人権デューディリジェンスの概念を広めていく上で、目下のところ一番の課題ではないかと考えており、日本企業においても、同様の課題がみられる。昨今、CSRに関する取り組みの中で、マテリアリティ(重点課題)を特定する動きは、頻繁にみられるようになったが、人権に関して、負の影響を評価し、主要な人権リスクを特定、開示している日本企業は非常に少ない。日本企業においても、人権に関する取り組みを進める前提として、影響を受ける「人」を基点とした人権リスクの特定が求められよう。

(2)SAQ(自己評価調査票)による現状把握

 人権デューディリジェンスを実施している企業の中には、SAQ(Self-AssessmentQuestionnaire:自己評価調査票)を関連部署やサプライヤー等に展開し、人権侵害の有無を確認している企業も多い。もちろん、前述の負の影響評価を行う段階で、自社の事業形態や展開地域等を見直し、大枠を把握することは重要である。この点は、OECDのデューディリジェンスガイダンスにおいても言及されており、自社の事業活動および製品系列、ビジネス上の関係(サプライチェーンを含む)にわたり重大なリスクが存在する領域を大枠で特定する「スコーピング」を、デューディリジェンスプロセスの最初のステップとして推奨している7

 他方で、調査票による現状把握の結果、「人権侵害に該当する事例はなかった」「問題はなかった」という説明で完結し、これを以って人権デューディリジェンスの実施としている企業の開示が一部ではみられる。本来、人権デューディリジェンスとは、影響を受けるステークホルダー等との双方向の協議・対話等の継続的なコミュニケーションをもとに改善を行っていく、動的プロセスである8。従って、調査票による定点観測だけでは、取り組みとして十分であるとは言えず、積極的なステークホルダーエンゲージメントが必要となる。

 この点、フォーラムでは、「tick-box(チェックボックス)」による確認に終始する、画一的な人権デューディリジェンスの実施が多くみられる点について懸念が示された。この懸念の背景の1つには、リソースの問題がある。現状、グローバルに事業を展開する多国籍企業であっても、Tier2以降の完全なマネジメントは困難であり、Tier1サプライヤーにTier2サプライヤーの管理を求めるといった、いわゆる「カスケード方式9」を採用してCSR調達を推進していくアプローチが多くみられる。しかし、Tier1サプライヤーだけでは、リソースに限界があり、Tier2以降のサプライヤーマネジメントや、人権侵害発生時の是正措置等の実践が困難であるため、このアプローチの実効性についても、疑義が示されているところである。
 直接的な契約関係にないTier2以降のサプライヤーにまで、全て訪問監査等を行うという対応は現実的ではないかもしれないが、発注側である多国籍企業は、少なくとも、Tier1サプライヤーに対してサプライヤー研修を実施したり、Tier1サプライヤーとともにTier2のサプライヤーを訪問したりする等、積極的な協働が求められると言える。

(3)予防的プロセス

 人権デューディリジェンスのプロセスの中では、既に顕在化しているリスクのみならず、潜在的なリスクについても検討の対象となる。即ち、人権デューディリジェンスは、人権に対する負の影響を防止するという「予防的プロセス」の側面を有するのである。従って、特定の人々の人権に対する負の影響は、たとえ調査票の展開時点で顕在化していなくとも、その深刻度(及び発生可能性)に照らし、予防措置が実施される必要がある。

 フォーラムにおいては、「reactive(事後の反応的)」な対応ではなく、「proactive(事前の能動的)」な措置の実践が求められている点について言及がなされた。本来、デューディリジェンスとは、「適切・正当な、然るべき(Due)注意・配慮(Diligence)」という意味であり、この文言が一般的に使われる投資やM&Aの領域では、取引の意思決定において、対象企業に対して行う事前の調査、分析等を指す。同様に、ビジネスと人権の分野においても、予防的な事前措置の実施は不可欠であり、そのためには、これまでに述べた、実際に影響を受けるステークホルダーを特定すること、積極的なエンゲージメントを行っていくこと等も必要である。

 特に、深刻度の判断基準の中で言及した「是正の困難性」という観点は重要であると考える。前述の児童労働の様に、顕在化した後では、是正が困難な人権リスクについては、予防的措置を前提に対応していく必要があるためである。この様に、リスクが高いとされる事項にこそ、人権デューディリジェンスにおける予防的側面の重要性が高まると言えるだろう。企業は潜在的な人権リスクに対して、より能動的に対応していくことが求められる。

4.終わりに

 以上、筆者が「責任あるビジネスと人権フォーラム」に参加して感じた、人権デューディリジェンスに関する現状と指導原則とのギャップについて、指導原則の要求事項等とも照らせ合わせる形で整理した。ESGに関する取り組みの中においても、「S(社会面)」に関連する事項については、日本企業の課題であると言われるが、特に「人権=同和問題」と捉えられる向きもあった日本において、ビジネスと人権に関する取り組みは未だ十分に浸透していない。国際社会の要請に応えていくためにも、日本企業は、人権尊重責任の中核をなす概念である人権デューディリジェンスの理解を通じて、責任ある企業行動を推進していく必要がある。

(執筆者)
コンサルティング事業本部社会システム共創部ESGコンサルティング室
コンサルタント 櫻井洋介
国際人権法の学位と社会保険労務士資格を有し、ESG全般に係るコンサルティング業務の中でも、特に人権・労務等の分野を専門とする。英国エセックス大学ロースクール国際人権法専攻修了。一橋大学大学院国際企業戦略研究科経営法務専攻博士後期課程在籍中(労働法)。メンタルヘルスマネジメント検定1種(マスターコース)合格。東京商工会議所認定健康経営アドバイザー。


1 ASEAN10ヶ国の代表で構成されたASEANの機関であり、加盟国における人権の尊重、保護を推進する取組みを行う包括的組織。ASEANでは、2008s年に発効した「ASEAN憲章」において、人権や基本的自由の保護・促進を原則として掲げており、AICHRは、これを履行していくための組織として、2009年の第15回ASEAN首脳会議によって発足された(外務省WEBサイトより)。尚、バンコクの人権週間に合わせ、AICHRの会合も開催されており、フォーラムではAICHRの会合の概要についても報告されている。
2 責任あるビジネスと人権フォーラムWEBサイトより。https://www.rbhrforum.com/
3 責任あるビジネスと人権フォーラムサマリーレポートより。https://mneguidelines.oecd.org/RBHRF-GFRBC-2019-Summary.pdf
4 OHCHR,FREQUENTLYASKEDQUESTIONSABOUTTHEGUIDINGPRINCIPLESONBUSINESSANDHUMANRIGHTS,HR/PUB/14/3UNITEDNATIONSPUBLICATION,2014,p27
5 前掲注(4),p.43
6 企業は法律で定められた最低年齢を尊重する必要があり、通常15歳とされている。しかし、国によっては14歳や16歳と定めている国もあり、国の法令により、最低年齢が先進国において15歳未満、または開発途上国で14歳未満と定められている場合、企業はその規定を適用しなくてはならない。また、児童の健康、安全若しくは道徳を害するおそれのある危険有害な業務の場合、就業の最低年齢は18歳が適用されなければならない。【(ILOヘルプデスク児童労働に関するヘルプデスク、ILOの最低年齢条約(第138号)及び最悪の形態の児童労働条約(第182号)より)。
7 OECD「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」(2018),p.61
8 指導原則20解説及び前掲注(7)p.17
9 「カスケード」とは、階段状に何段も連なった滝を意味しており、そこから転じて、物事が連鎖的、段階的に進んでいく様子を表す。ここでは、サプライヤー管理について、Tier1がTier2、Tier2がTier3...と、サプライヤーマネジメントを展開していくことで、サプライチェーン全体のマネジメントを行っていく様な手法を指す。

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