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東京サイドストーリー
2020年の五輪・パラリンピックの開催をひかえ、勢いが増すばかりの首都・東京。約1,400万人が暮らすこの都市には、まだまだ知らない物語がたくさん眠っています。渋谷、新宿、六本木に代表される大都会とは一味違った東京の横顔をBLOGOS編集部が取材。あなたの知らない「東京サイドストーリー」をお届けします。

東京私鉄各社がすすめた郊外開発 多摩田園都市を発展させた東急と渋沢栄一との関係とは(小川裕夫)

  • 2019年09月25日 14:30
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「原点回帰」分社化した東急と渋沢栄一

今年9月、東京急行電鉄(東急)は、商号を東急に変更した。これまで東急が主業にしてきた鉄軌道事業は、10月に分社化する東急電鉄が引き継ぐ形だ。

東急は東京・渋谷をターミナルに、東京南西部や神奈川県にかけて路線網を有する大手私鉄。大手私鉄の中で、東急の路線規模は決して大きくないが、それでも鉄道と連携した不動産事業は順調に業績を伸ばしてきた。拠点の渋谷のみならず、いまや東急は東京をはじめとする都市開発の主要プレイヤーになっている。

今般、東京圏や大阪圏でも人口減少が差し迫った問題になっている。人口減少は当然ながら鉄道利用者の減少を意味する。それだけに、鉄道の運輸事業は早晩に頭打ちになると予測される。

横浜へ向かう東急東横線 写真AC

東急は田園都市株式会社という不動産開発を目的とした会社として産声をあげた。田園都市株式会社は、大正期に郊外住宅地を開発することを目指して実業家の渋沢栄一が1918年に設立した。

実業家・渋沢は、500にものぼる企業や事業を興した実業家として知られている。一方、晩年の渋沢は営利を目的とする企業家ではなく、公益事業に力点を置いていた。

田園都市株式会社も劣悪な住環境を改善するという目的があり、そういう意味では公益目的の企業だったといえる。

新一万円札の顔にもなった渋沢栄一 共同通信社

当時、大半の人々は農業や町工場、個人商店で生計を立てていた。家業を継ぐことが優先され、そのために郊外に家を購入するという概念は薄かった。

一方、会社勤めのサラリーマンは大正期から増えていたものの、絶対数は少ない。そして、まだ鉄道をはじめとする公共交通機関は整備されていなかった。もちろん、自家用車を所有しているサラリーマンもいない。そうなると、サラリーマンは必然的に会社の近くに居住するしかなかったのである。

渋沢が思い描いていた庶民が家を構えるというライフスタイルは、そうした事情から郊外では成り立たないものだった。かといって、都心部はすでに多くの家屋が密集しており、新たな家屋を建てる敷地的な余裕はない。

郊外住宅地の開発という渋沢の夢は、一度は挫折しかけた。行き詰った末に出てきたのが、郊外住宅地に鉄道を敷設し、鉄道で会社まで通勤するというアイデアだった。こうして、田園都市株式会社は鉄道部門を設立。この鉄道部門が東急の源流となる。

田園都市株式会社が開発した住宅地には、洗足や田園調布などがある。現在の田園調布は高級住宅街の代名詞的な存在になっているが、開発当初は中産階級の邸宅地だった。

会社勤めは、今では当たり前になった。それは鉄道が生み出したライフスタイルと言っても過言ではない。

そう考えると、鉄道事業を子会社に、不動産部門を親会社に担わせる東急の分社化は、いわば原点回帰とも受け取れる。

1995年に東急東横線が地下化されたことで、田園調布駅の駅舎は消失。2000年に地域のシンボルとして復元された 写真撮影:小川 裕夫

戦後も継承された郊外開発 多摩田園都市を発展させた東急

渋沢が最後の事業に位置付けた郊外住宅地の開発という夢は、田園調布の開発をメドに終止符が打たれる。一定の役割を終えた田園都市株式会社は、1928年に鉄道部門に過ぎなかった目黒蒲田電鉄(現・東急電鉄)に統合された。以降、鉄道会社として歩み始める。

しかし、鉄道会社は単に人を運ぶ移動手段として機能したわけではなかった。

住宅地造成に鉄道が必要だったように、鉄道の利用者を生み出すために住宅地造成は欠かせない。沿線を開発しなければ、鉄道の利用者を増やすことができないからだ。

鉄道事業者になった東急は、1953年に再び不動産部門を担う東急不動産を設立。1959年には、建設部門である東急建設も分離発足した。これら2社が中心になって、東急沿線の郊外開発は進められた。

渋沢亡き後、その遺志を継承したのは東急の総帥・五島慶太だった。五島は、田園都市株式会社の鉄道部門で責任者を務めた。つまり、渋沢の傍らで住宅地開発を仔細に学んでいたことになる。

戦後、五島は高まる住宅需要を見逃さず、1953年に城西南地区開発構想を発表。これが、後に多摩田園都市と呼ばれるニュータウン構想へと成長する。

東急が開発を主導した多摩田園都市は、東京都が開発を主導した多摩ニュータウン、横浜市が開発を主導した港北ニュータウンと隣接している。

そのために多摩ニュータウンの範囲を厳密に線引きすることは難しいが、多摩田園都市はおおむね東京都町田市、神奈川県川崎市・横浜市・大和市といった広大なエリアにまたがる。

多摩田園都市住民の足を担わせるために、東急は田園都市線を敷設。1966年、田園都市線は長津田駅まで延伸開業。その後も小刻みに区間を延伸させて、現在の終着駅・中央林間駅は1984年に開業した。

開発が始まった頃、多摩田園都市の居住人口は約5万。現在は60万人を超える。東急の力なくして、多摩田園都市の成長と発展はなかった。

田園調布を模倣した常磐台 私鉄各社も追随した住宅地開発

田園都市株式会社が開発した田園調布は、すぐに私鉄の住宅地開発の模範とされた。私鉄沿線では、田園調布を模した街が次々とつくられていく。

田園調布の影響を強く受けたのが、東武東上線のときわ台駅前から広がる常盤台住宅地だった。東京都板橋区の常盤台は、そのスケールもブランドも田園調布とは異なる。

東武東上線のときわ台駅は、2018年に開業当時の大谷石造りの洋風建築へとリニューアルした 写真撮影:小川 裕夫

しかし、地図を広げると田園調布にそっくりな円形状の街路が広がり、一区画は広々としている。一区画が細分化されていないので、ゆったりと住環境が保たれている。常盤台の設計思想は、田園調布を模倣しているのだ。

また、家々には緑が生い茂っていることや道路中央部に木が植えられたプロムナード、道路末端が袋状になっているクルドサックといった点も街全体に高級感を加える。

大正末から昭和初期にかけて、小田急も林間都市を計画した。小田急は江ノ島線に東林間都市駅・中央林間都市駅・南林間都市駅という3駅を開設。特に、南林間都市駅は小田急創業者の利光鶴松が情熱を注いだ林間都市の中心を担う駅だった。

当時としては東京からあまりにも遠すぎたこともあり、小田急の林間都市は住宅地として忌避された。そのため、林間都市計画は未完に終わる。そして、小田急は3駅の駅名から“都市”をはずした。

現在、林間都市計画の遺構はほとんど残っていないが、南林間駅西口から放射状に伸びる街路が林間都市の面影をわずかに伝える。

観光地に学校…路線ごとに異なる郊外開発の核施設

私鉄の郊外開発は、住宅地造成だけではない。

鉄道路線の末端は人口が少ないため、どうしても利用者は少なくなる。そうした末端部分にも利用者を生み出そうと、私鉄は多種多様の集客施設を郊外につくった。

関西では、阪急電鉄が利用者を創出するためのコンテンツとして、宝塚歌劇団を創設。タカラヅカは阪急沿線を飛び出し、国内の枠組みも越えて世界へと羽ばたくほどのコンテンツとして飛躍している。

また、阪神電鉄は阪神タイガースを、西武鉄道は西武ライオンズといったプロ野球チームを結成。両チームは自社沿線にスタジアムを構えて、誘客につなげている。

そのほか、私鉄は遊園地を開園したり、観光地開発を積極的に進めた。東武の鬼怒川温泉や近鉄の伊勢志摩、西武の西武園ゆうえんちは、その最たる例といえるだろう。

沿線に誘致することは叶わなかったが、東京ディズニーランドも京成電鉄が主導して開園に漕ぎつけている。

こうした集客施設もさることながら、私鉄各社が積極的に取り組んだのが学校の誘致だった。

東急の五島は、日吉駅前の広大な敷地を慶應義塾に無償譲渡。ここに慶應義塾がキャンパスを構え、いまや多くの学生が通学で東急を利用する。

小田急も成城学園や玉川学園を誘致。都市開発の目玉にしていた南林間駅には、創業者・利光の娘である伊東静江が聖セシリアを開校している。

南林間駅の近くに開学した聖セシリア。現在も同地にキャンパスを構える 写真撮影:小川 裕夫

学校を誘致すれば、たくさんの学生が電車を毎日利用する。大学の誘致には需要創出という思惑が含まれていたが、それ以上に沿線のブランドイメージを高めるという戦略もあった。実際、慶應義塾のある日吉駅は学生街として高い人気を誇り、周辺の不動産相場のみならず沿線全体のブランドイメージを向上させた。

西武の創業者・堤康次郎は、大学を核にした郊外開発に執念を見せた。西武池袋線に大泉学園駅をつくり、そこに学園都市を計画。しかし、大泉学園駅に大学は誘致されなかった。

また、多摩湖線にも小平学園駅を開設。小平学園駅も1966年に隣駅の一橋学園駅と統合する形で廃駅になっている。堤の悲願は、自社沿線ではないJR中央線の国立駅で実を結んだ。

私鉄各社の沿線開発は、一般的にハコモノを筆頭とするハードインフラの整備と思われがちだ。しかし、私鉄各社がつくった集客施設は各社のカラーが反映されて、路線ごとに文化も生活もまるで異なる。

それが、私鉄各社が築いた沿線文化ということになるだろうか。

現在、鉄道各社は生き残りのために次世代に向けた沿線開発を模索している。そこから、新たな沿線文化が生み出されることになるだろう。

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