- 2019年09月20日 15:15
岡田准一「1日に本1冊、映画3本が自分を変えた」
2/2■時にはわざと声をからして老人声に
他にも、2005年の映画『フライ、ダディ、フライ』の際には、撮影までの1年間、毎日2時間のジム通い。2013年『永遠の0』では当時の資料を調べた上で、零戦のパイロットに会いに行き(※15)、2016年『海賊とよばれた男』では、朝から「あーっ!」と叫び続けて声をからして老人声に(※16)、2017年『関ヶ原』では自分の演じる石田三成の墓に自分でアポを取ってお参りしたり(※17)……と作品ごとに徹底的な役作りのためのリサーチや行動を欠かしません。
ここまで見ると、文化系のストイックさと、体育会系のストイックさを併せ持っていると言えますが、本人にはあまりストイックという意識はないようです。
「ストイックと言われるとしたら、『まだ足りない』『まだうまくない』って気持ちがあって、それを片づけていっている姿がそう見えるのかもしれない(※18)」
出発点は、自分が劣っているという自覚。成果を出しても慢心せずに続ける欠乏感は、見ている地点の高さと、新しいジャンルに常に挑戦し続ける貪欲さによるもの。自分より高い山を見るからこそ、その山の頂上にいても、さらに上を目指す。岡田には慢心という概念がないのです。
「馬を習い、格闘技を始め、自分が劣っている分を学んで補おうと、忙しいのに習い事ばかりして、自分にお金ばっかり使ってました(笑)。それが今、役立っていますし、これからも続けていきたいですね(※3)」
仕事を始めて20年経っても「35歳の等身大の社会人として見られたい(※19)」と控え目に語る岡田は、稼いだお金を自分のために使う、自己投資を怠らない社会人の鑑なのかもしれません。
■ライバルは身近でなく、はるか遠くに
こうして、2014年には『軍師官兵衛』でついにNHK大河ドラマの主演を務め、同じ2014年度の第38回日本アカデミー賞では、『蜩ノ記』と『永遠の0』で最優秀の助演男優賞と主演男優賞をダブル受賞という快挙を成し遂げます。近年では撮影や殺陣の振付師……と、スタッフとしても映画に参加。仕事に邁進し、評価もついてきている30代の岡田は、苦悩の10代を超え、幸せそうにも見えます。
悩み続けておよそ20年、35歳でこう振り返ります。
「思い返すと僕は、ファンの皆さんやメンバーや周囲の人たちの優しさに浸って、そこで満足してしまうことを恐れていたのではないかと思います。チヤホヤしてもらうことに甘えて、そこで求められる以上のことをせず、自分がいる世界以外を見ないで、何も新しいものを生み出すことをしない自分にはなりたくなかったのかもしれません(※20)」
自分の置かれている状況に慢心しないこと。どれだけ恵まれた環境を与えられても、岡田の意識は常に新しい世界へ。
とかく人は、ライバルや目標を自分の近くに設定してしまいがちです。しかし、岡田は、実際に会って天才と感じた人や、本や映画の中に尊敬の対象を見つけ、自分の発奮材料にしてきました。
「ジャニーズでデビュー」というそれだけで目が眩んでしまいそうな世界をいきなり与えられた岡田は、それでも慢心せずに、自分の頭で考え続けて、外の世界を意識し続けてきたのです。結果的に俳優としても聞き手としても……ジャニーズという世界の外でも成果を出し続ける存在になっています。
■なぜ8歳から人生を考え始めたのか
それにしてもなぜ岡田は、ジャニーズ入りより早い8歳の段階で、自分の人生を考え始めたのでしょうか。人生の転機を聞かれた時に、8歳での両親の離婚を挙げています。

「離婚会議をしている絵っていうのを、すっごい覚えてます。なんか家族で会議をしていて、覗いてたら『覗くな』って言われた絵と、親父が歩いてって『じゃあな』って俺に言って出ていった絵がしっかりと焼き付いてて。それをやっぱり鮮明に覚えてるかな(※8)」
父の不在は、岡田の男としての自覚を強くします。
「父親が突然、自分の目の前からいなくなったこともあって、乗り越えるべき存在というか、理想の大人像がなくなってしまったので、自分で見つけなきゃと思ったんです(※11)」
自分が失ったものの中に、自分の理想を見つける。デビューがすぐに決まっても、決して驕ることのなかった岡田の“幸福な努力”の日々は、“自分の理想の大人”に自分自身がなるための日々だったのかもしれません。
そして、父親がいなくなった後、家族3人で生きてきた岡田は、自分の人生で、後悔している発言として中学生の頃を振り返り、こんな話をしています。
「『自分が何を守るのか』というのを考え始めたのが阪神大震災の時。その時、自分が唯一発言したことで後悔したことがあって……。お姉ちゃんが泣き叫んでいる時に、『うるせえ』って言っちゃったんですよ。中3だったんですけど、てんぱっちゃって。人に言った言葉で、後にも先にもそれだけはとても後悔していて(※16)」
阪神・淡路大震災が起こったのは1995年の1月。その後、母が履歴書を送り、岡田がV6としてデビューするのは、同じ年の11月のことでした。
考えずに言ってしまった言葉。そのあとに訪れた転機。そして、その後悔をずっと忘れずにいた上での、それからの20年以上の思考と努力の日々。
考え続けることでのみ、人生は後悔しないものになるのかもしれません。
※1:「CUT」2005年1月号
※2:「読売新聞」2011年7月10日
※3:「TVガイドAlpha EPISODE A」(2016年11月)
※4:「TVガイド PERSON VOL.51」(2016年11月)
※5:「週刊SPA!」2015年8月25日号
※6:「AERA」2016年12月12日号
※7:J‐WAE『GROWING REED』2012年7月2日放送
※8:「CUT」2005年8月号
※9:岡田准一『オカダのはなし』(2014年1月、マガジンハウス)
※10:「婦人画報」2011年8月号
※11:「日刊スポーツ」2005年4月24日
※12:「ピクトアップ」2010年12月号
※13:「MORE」2010年2月号
※14:「日経エンタテインメント!」2010年11月号
※15:「ピクトアップ」2014年2月号
※16:「BARF OUT!」2016年12月号
※17:J‐WAVE『RADIO DONUTS』2017年8月26日放送
※18:「ピクトアップ」2016年4月号
※19:「週刊SPA!」2016年3月22・29日合併号
※20:「an・an」2015年11月18日号
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作家/チェリー編集長
1985(昭和60)年東京都生まれ。東京学芸大学附属高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。現在は「永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー」の編集長として、著名人にインタビューを行い、成功の秘訣や人生哲学などを引き出している。『マスコミ就活革命~普通の僕らの負けない就活術~』ほか3冊の就活・キャリア関連の著書を持ち、『ジャニーズは努力が9割』が4作目の著書となる。
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(作家/チェリー編集長 霜田 明寛)
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