12万円で世界を歩くリターンズ [赤道・ヒマラヤ・アメリカ・バングラデシュ編] (朝日文庫)
作者: 下川裕治,阿部稔哉
出版社/メーカー: 朝日新聞出版
発売日: 2019/07/05
メディア: 文庫
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Kindle版もあります。
12万円で世界を歩くリターンズ 赤道・ヒマラヤ・アメリカ・バングラデシュ編 (朝日文庫)
作者: 下川 裕治,阿部 稔哉
出版社/メーカー: 朝日新聞出版
発売日: 2019/08/30
メディア: Kindle版
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内容紹介
実質デビュー作の『12万円で世界を歩く』から30年。
あの過酷な旅、再び! !インドネシアで赤道越え、ヒマラヤのトレッキング、バスでアメリカ一周……80年代に1回12万円の予算でビンボー旅行に出かけ、『12万円で世界を歩く』で鮮烈デビューした著者が、同じルートに再び挑戦する。
LCCは全盛期を迎えたが、世界の物価は大幅に上昇し、交通手段が消えてしまった場所もある。だが最大の問題は体力か! ?【目次より】
プロローグ
第一章 赤道編
[コラム]LCCとレガシーキャリア。そしてその中間クラス
第二章 ヒマラヤ編
[コラム]悩みのトレッキング登録証
第三章 アメリカ編
[コラム]五分ルールで焦るグレイハウンドバスの予約
第四章 12万円でバングラデシュに暮らす
[コラム]リゾート客と難民のコックスバザール
著者の下川裕治さんが『週刊朝日』のグラビアページで「12万円で世界を歩く」という企画に挑戦したのは、30年前だったそうです。
そういえば、僕も高校の図書館かどこかで、この「12万円で世界を歩く」のページを読んだ記憶があるんですよね。
長距離バスや安宿を利用してのバックパッカーの旅というのに、憧れと、よくやるなあ、という気持ちが入り混じっていたような気がします。
30年前はバブルで、海外旅行が「ちょっと奮発すれば行ける」ようになった時代でもあったのです。
この企画は、編集部から12万円を受けとり、その費用でどこまで行って帰ってくることができるか──というものだった。そこには飛行機代や宿代はもちろん、食事や飲み物、煙草など、旅先でかかる費用がすべて含まれていた。森氏がこの企画を思いついたとき、ヤンゴンの空港で、欧米人の間をちょこちょこと歩きまわっていた僕の姿が浮かんだのだろう。
(あいつなら、かなり遠くまで行って帰ってくるんじゃないか?)
もっともこの企画は、僕が担当する節約旅ばかりではなかった。近いソウルに出向き、最高の韓国料理を食べて12万円……といった内容も含まれていた。そういうおいしい企画は社員の記者が担当するというコンセンサスもあった気がする。なにしろ時代はバブルなのだ。ビンボー臭い話ばかりでは、グラビアに華がなくなる、という心配もあったのだろう。
いくら内実がわかっても、僕は受けざるをえなかった。金がなかったのだ。(中略)
一回目のグラビアは妙に好評だった。続いてヒマラヤのトレッキング、韓国一周、長江の終点をめざす船旅、バスでアメリカ一周、そして特別編として世界一周と、連載は月一回のペースで続くことになる。韓国で一晩、豪華な料理を楽しむといった企画はいつの間にか吹き飛び、宿代を節約するために夜行バスに乗り、食事は屋台、ときに老人の荷物を運んでチップをもらい、狭い車内に三日も座り続けるという超のつくビンボー旅行が月に一回のペースで掲載された。
連載は二年続き、その内容が、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)という一冊の本になった。1990年のことである。この本は何度も増刷され、事実上のデビュー作になった。僕は36歳だった。その後、1997年には文庫版になった。
たしかに若い頃から旅を続けていた。27歳のとき、長い旅に出て以来、僕の旅はビンボー旅行といわれる旅だった。バックパッカー旅といってもいい。しかしそんな旅が原稿になり、本になっていくとは思ってもみなかった。
僕は下川さんの旅行に関する本をずっと読んできたのですが、その「原点」が、この『12万円で世界を歩く』なのです。
今回は、その「12万円の旅」を、30年越しに再現してみよう、ということなのですが、30年も経っていて、同じ12万円でどこまで行けるものなのか、そして、もう還暦を過ぎている下川さんは、貧乏旅行に耐えることができるのか。
正直、読んでいて、しのびないというか、もう、そこまでやらなくてもいいじゃないですか……と思う場面も少なからずあるんですよ。食事くらい、もうちょっとマシなものを食べてほしい……とか。
でも、そこは下川さんも「貧乏旅行のプロ(?)」としてのプライドにかけて、なんとか予算内におさめるために奮闘されています。
読んでいて意外だったのは、旅行の費用についてでした。
物価の上昇を考えると、30年前と同じ12万円では無理なんじゃないかと僕は予想していたのだけれど、行き先によっては、そうでもなかったのです。