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少年Aを生んだ「ノイズのない社会」に必要な物

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1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件。児童らを襲った加害者は当時中学2年生で「少年A」と呼ばれた。文化人類学者の上田紀行氏は、「神戸の事件から4半世紀が経とうとしていますが、あの事件が起きたニュータウンの風景、ノイズのない空間はそれからの時代でますます拡大していった。ノイズのない社会になった原点は金儲けの自由化だが、競争から落ちこぼれた人のセーフティネットになるのが宗教だ」という――。

※本稿は、上田紀行『立て直す力』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


※写真はイメージです - 写真=iStock.com/JGalione

機能的な新興住宅地で“あの事件”は起こった

1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件。「酒鬼薔薇」を名乗る中学2年生が、小学生2人を殺し、3人に重軽傷を負わせました。彼が新聞社に送った犯行声明、「私は透明な存在である」が記憶に残っている人もいると思います。

当時、ぼくはこの事件がどんな街で起きたのだろうと、彼が住んでいたニュータウンに行きました。山を切り拓いてつくった街ということもあり、区画整理がきちんとされていて、同じような住宅が果てしなく並んでいました。住宅エリア、学校エリア、商業エリア、公園などと、機能的に街が区分されていました。

きわめて効率的なつくりで、目的がわからない無駄な空間は見当たりませんでした。

気になったのは、一般商店がほとんどなかったことです。その代わり大きなスーパーがあって、そこに行けば何でも買えるようになっていました。確かにスーパーは便利だけれども、日常の何気ない会話が果たして生まれてくるのだろうかと感じました。

無駄話をしない「ノイズ」のない社会

たとえば、古くからある商店街であれば、何代もそこに店をかまえる人たちがいます。そこではいろいろな会話が交わされます。たとえば豆腐屋さんだったら、久しぶりにお使いで買いに来た高校生の女の子に、「この前、あなたの同級生が豆腐を買いにきたんだよ。みんな大きくなったわね」とか、「この前おたくの旦那が、私たちが仕事を始めた早朝にヘロッヘロに酔っ払って店の前を通り過ぎたけど、大丈夫だった?」とか、なにげない話が交わされるかもしれません。

目的は豆腐を買うために店に足を運んでいるのですが、こういう路面店で交わされる常連客との会話の大抵半分以上は無駄話、世間話です。でも、それが不快ではなく、息抜きになったりして、みな笑顔で帰っていきます。

しかし、神戸のその新興住宅地では、そうした無駄な場所、無駄な話をしているような風景をほとんど目にしませんでした。いわば「ノイズ」の無さを実感したのです。あのニュータウンを歩きながら、何もないところから街を作れと言われると、人間というのはこれほどノイズのない街をつくってしまうものか、と愕然(がくぜん)としたのをいまも覚えています。

ノイズのない社会はいかに生きづらいか

これだけ無駄を排除した街で、酒鬼薔薇はいったいどうやって少年の首を切って殺してしまったのか。その場所は、区画開発され尽くしたニュータウンの中で、唯一開発されていない山中の“未開の地”だったのです。

単一機能の空間、ノイズのない社会がいかに人間にとって生きづらいかを、つくづく実感しました。

ノイズで思い出すのは、劇作家平田オリザさんの言葉です。彼は、ロボットと一緒に演劇をつくったときにこう感じたそうです。

「(ロボットに)人間の持つ逡巡(しゅんじゅん)、ノイズを入れるのが難しい」

ロボットは効率的に動くけれども、それだけでは人間らしくない。生産的な行為だけではない。目の動き、表情、手のちょっとした動きなどに、その瞬間瞬間の“感情”が表現される。そうしたノイズこそが人間らしさだということなのでしょう。

神戸の事件から4半世紀が経とうとしていますが、あの年に起きたニュータウンの風景、ノイズのない空間はそれからの時代でますます拡大していったように思います。

いつの時代もこぼれ落ちる人はいる

こうした社会になった原点をたどると、政治経済的には新自由主義経済の導入にたどりつきます。1980年代の中曽根康弘政権のときに当時の国鉄が民営化されましたが、色合いが鮮明になったのは小泉純一郎政権になって以降です。郵政民営化がおこなわれるなど、より新自由主義的な政策が進展しました。ただ民営化というのは新自由主義のほんの一面でしかありません。新自由主義を一言でいえば、金儲けは「自由」にできるということ、国家による規制が緩和された中で、個人や法人がいかようにも業績を上げることができるという政策です。

では、新自由主義によって人は幸せになったでしょうか。民営化で成功したものも多くあり、たしかに自由に利潤の追求ができるようにはなりました。ある人にとっては利潤も上がって、会社の評価も上がったでしょう。

しかし、人には運に見放されたように絶不調のときもあります。運悪く、からだを壊してしまった人もいるでしょう。自由な競争の中では、十分に成果をだせない人は一定数いるものなのです。新自由主義はそういう人たちに不寛容です。たとえば、ノルマ達成がならなかった人は、上司から「行って(辞めて)良し」「オレの視界から消えてくれ」と言われてしまう。

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