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うそをつくことについて。それと、HIV感染裁判について

 人間には嘘をつく権利はある。自分や家族を守るために嘘をつく。だれだってやっていることだ。ぼくも、やったことはある。

 ぼくの患者たちもしばしば嘘をつくが、ぼくはそれを非難しない。医者に嘘をついてはいけない、なんてルールはないし(つかないほうがいいけど)、嘘をついた患者を処罰する権利は医者にはない。患者が嘘をついてはいけない、と決めつけるのは医療者が患者を下に見ているからだ。頭の中で作り上げた隷属関係が患者にああしろ、こうしろという命令性を作り上げるのだ。というか、歴史的にはぼくら医者のほうがずっと患者に嘘をついてきたではないか。「告知しない」という名目での、嘘である。

 雇用者と被雇用者の関係もそうである。もちろん、被雇用者は「業務上の事物」について正確に雇用者に報告する義務がある。そして、その点では逆に雇用者だって被雇用者に嘘をついてはいけない。

 しかし、プライバシーの問題は別だ。被雇用者は雇用者のプライベートな質問に全部正しく答える必要はない。というか、そういう質問をすること自体が一種のハラスメントだ。パンツの色を教えろ、という下劣な質問と同じようなものだ。

 北海道の社会福祉法人「北海道社会事業協会」が経営する病院がHIV感染のあるソーシャルワーカーの就労内定を取り消し、そのために訴訟が発生した。ソーシャルワーカーは30代の男性だったが、その病院に通院していた。病院側はなんとその人物のカルテを無断で閲覧し、彼がHIVに感染していることをつきとめた。面接で病院はHIV感染の有無を問い、男性は感染していないと嘘をついた。「嘘をついたから」という理由で病院は彼の内定を取り消したのだ。

 まず、医学的なことを説明しておく。HIVはエイズという病気の原因ウイルスだ。が、病院で感染することはまずない。治療薬が格段に進歩したためだ。かつて「死の病」といわれたエイズだが、HIV感染者は現在は優れた治療薬の恩恵を受けて長生きできる。ウイルスが薬で抑えられているので、他人に感染するリスクもない。コンドームを着けずにセックスしても感染しないことが最近の研究でわかっている。

 ソーシャルワーカーは患者の退院先を調整するなど、病院において非常に重要な機能を果たしている。が、メスなどの刃物を使うわけでもなく、針も用いない。いや、仮に彼がメスや針を用いたって、前述の根拠で感染リスクはほぼゼロなのだが、ソーシャルワーカーの彼が病院でHIV感染するなんてまったく論外なデタラメだ。

 要するに内定を取り消した病院は医学知識が極めて乏しい、医学的に信用できない病院だったのだ。

 医学的な無知、誤謬に加えて倫理観の欠如は極めて甚だしい。そもそも、医療情報は非常に重要な個人情報だ。勝手にカルテを閲覧するなんて言語道断である。さらに、入職者の病気について質問するのも不適切だ。神戸大学医学部の入試の面接で「あなたはHIV感染がありますか」なんて尋ねたら、不適切な質問をしたという理由で大問題になる。職員のプライバシーに配慮できない病院が、患者のプライバシーを守れるだろうか。

 繰り返すが、患者は医師に嘘をつく権利がある。人は人に嘘をつく権利がある。もちろん、本当のことを言ってくれる方が嬉しいのだが、それを強制する権利は医者にはない。あなたは、絶対に他者に嘘をついていないと断言できますか?そんな要求を他者にされたら困るのではないか。たとえそれがあなたの雇用者であったとしても。

 こんな無知で不道徳な病院が「嘘をついたから内定を取り消した」わけがない。それこそが大嘘ではないか。自分たちのHIV感染に対する無知と偏見が、彼を拒絶させたのであろう。現在でも、北海道社会事業協会は「自分たちはHIV陽性者であることを理由に差別はしていない」と主張している。もしかしたら、本気でそう信じているのかもしれない。まさに、差別者は自分の差別に無自覚なのである(https://ssl.hokushakyo.jp/archives/category/info-detail)。しかし、こんな病院の戯言を信じてはならない。

 結局、裁判の判決が2019年9月16日にでて、男性の訴えは認められ、病院の内定取り消しは不当であるとの判断され、賠償命令が出た。妥当な判決だ。

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