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「今後のメディアは『モジュール化』していく」―ITジャーナリスト・佐々木俊尚氏インタビュー

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インタビューに応える佐々木俊尚氏(撮影:野原誠冶)
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「当事者性」の欠如という日本のメディア空間に広がる問題点の構造を解き明かすことに挑んだ意欲作「『当事者』の時代」。本書の筆者であり、ITジャーナリストとして積極的な情報発信を続けている佐々木俊尚氏に、日本のメディアの抱える問題点とその未来予想図を聞いた【取材・執筆:永田 正行(BLOGOS編集部)】

日本に広がる「マイノリティ憑依」という”病理”


―最初に、ITジャーナリストである佐々木さんが、「『当事者』の時代」という日本のメディアの問題点を論じる書籍を執筆された動機を教えてください

佐々木俊尚氏(以下、佐々木氏):これは僕が、ITジャーナリストとして活動している理由にも関わっています。そもそも僕は、文系の大学を出て、その後は事件畑を歩いてきた新聞記者ですから、もともとテクノロジーの専門家でもなんでもない。

しかし、僕は「テクノロジー」とは、単なるツール、手先の技術ではなく、社会の構造を規定する基盤になっていくだろうと考えています。そうした予測に基づいて継続的にテクノロジーの取材を行っていく中で、重要なことは、社会の仕組みや今後の在り様を構造的に捉えるという考え方です。アナログではなくデジタルに捉えるということですね。

ところが、日本の言論空間、論壇を見てみると、テクノロジー的な発想で社会を構造化して考えるということが余りされていない。ある種の皮膚感覚みたいなものをベースにして「やれ、けしからん」みたいなことを言っているケースが非常に多い。そうした分析は、読んだ直後は「そうだそうだ」といって面白いかもしれません。しかし、そうした言論は何も生み出さないですし、”新しい道”にはつながらないのではないか、と前からずっと思っていました。なので、言論空間、戦後思想史、戦後メディア史といったテーマを徹底的にロジカルに、テクノロジーベースで描くということにチャレンジしようと考えたのが、最初のスタート地点です。

また、ここ10年間で膨大な数のメディア論が書かれているにも関わらず、何を読んでもすべて「記者の志が落ちた」ということしか書いていない。著名な思想家や評論家の方でも、記者の劣化を主張していたりする。

僕は、今で多くの友人・知人が新聞・テレビ、雑誌業界にいるのですが、取材力が落ちたということはまったくないと思います。個人情報保護法の施行、官公庁などが情報を出さなくなっている、市民から「マスゴミ」呼ばわりされているなどの問題によって、以前より” 取材しづらく”はなっているかもしれません。しかし、高い志を持っている熱心な記者も多い。そうした状況で、記者個人の志や取材力が落ちたといっても始まらないのではないか。では他に何か理由があるのではないか、と考えたのです。

―本書の大きなキーワードとして「マイノリティ憑依」を挙げることができます。これを未読の方に簡単に説明していただけますか。

佐々木氏:うーん、「簡単」にというのは難しく、誤解を招く危険があるのですが……。

強いて言うのであれば、自分の立ち位置で語るのではなくて、外部からの「神の視点」で物事を論じることです。原則として、すべての人間が、自分が所属している社会のインサイダーです。にもかかわらず、自分がさも社会のアウトサイドに立っているかのように振るまい、「神の視点」を経てそこから社会を語るというやり方。こうしたやり方を長い間続けてきたマスメディアの問題があり、それが今やインターネット上にも蔓延しているというのが今現在の構造だと思います。

そして、そのアウトサイドから見ることによって得られる「神の視点」というのは、往々にしていわゆる「弱者視点」なんです。その弱者視点というものが、実際に存在する弱者に寄り添っているのであれば問題ない。例えば、今回の震災であれば、被災者に実際に会って話を聞く、あるいは親族や友人が被災者であるといった場合に、彼ら・彼女らの話を聞き、寄り添った経験を通して、今の社会の問題を語るのであればよいのです。しかし、そうではなくて、勝手に自分で「被災者はこういうものであるべきだ」という幻想の弱者を作り上げて、それを自分のバックグラウンドとして物を語るという人が非常に多い。それをマイノリティに勝手に憑依していることから「マイノリティ憑依」という表現を使っています。

これはよく誤解されるのですが、社会的弱者や少数派を無視しろという話ではまったくないんです。本来の弱者やマイノリティの姿を知らないまま、勝手に語っている人たちが多いということを指摘している。もう既にネット上では「弱者無視の多数派視点だ」という批判が出てきている。常に誤解され続けていますね、こういう問題は。

―最近ですと、「被災者の方々がパチンコをしている」といった報道があります。そのこと自体は問題かもしれません。ただ、それよりも「自分の幻想の中にいる被災者」と現実のイメージがずれたことで憤りを感じている人も多いように思います。

佐々木氏:そうですね。「無垢の存在であることを何故求めるのか?」という疑問があります。生活保護受給者であれば、まったく遊びもしない、マンガも読まず、パチンコもせず、ひっそりと美しく生きていって欲しい、ということを過剰に求める傾向があるようにも思えてしまう。

―そうした実感は、朝のキュレーションなど佐々木さんの定期的な情報発信に対する読者の反応から感じる部分も大きいのでしょうか?

佐々木氏:それは非常に大きいですね。「マイノリティ憑依」の問題というのは、自分が新聞記者をやっていた頃に、「幻想の市民」の声を伝えるような取材・執筆活動をしていたのではないか、という問題意識からスタートしています。記者時代から、モヤモヤとした違和感は持っていたんです。ところが、自分がインターネット上で活動していると、新聞記者でもテレビ局のディレクターでもない人たちの間にまったく同じようなことを言っている人たちがたくさんいる。このことに衝撃を受けました。

最初に強烈に感じたのは「ユッケ事件」の時です。あの時に、食中毒で子どもが亡くなったのですが、だからといって厚生労働省が一方的に規制するというのはやりすぎじゃないか、と思いました。なので、あまりにも安価なユッケを食べて食中毒になるのは自己責任で、政府が規制すべき問題ではないのでは、と私が主張すると、「それを子どもを亡くしたお母さんの前でいえますか」という人がたくさん現れた。そういう人たちのプロフィールを見ると、ユッケを食べた子の母親でもなんでもなくて、東京に住んでいる男だったりする。これは、勝手に食中毒で子どもを亡くした母親に憑依しているわけです。別に当人を知っているわけでもないし、取材しているわけでもない。別に取材していなくてもいいのですが、その距離の遠さに考えが及んでいないということを問題視しているのです。

最近では、森達也さんがダイヤモンド・オンラインで書かれていた論考に共感しました。死刑制度反対を主張すると、必ず「被害者遺族の気持ちになってみろ」と言う人が出てくるのですが、そうした主張をする人の多くは被害者の遺族でもなんでもない。彼らの理屈を是とするのであれば、仮に遺族のいない被害者であれば、そういうことは考えなくてもよいということになってしまう。森さんは、我々が考えなければいけないことは被害者遺族の気持ちになることではなく、自分と被害者遺族の間の距離が如何に遠いかを思い知ることだと主張しているのですが、まったくその通りだと思います。

これは福島原発の事故についても同じことが言える。自分が原発の避難区域圏内にいるわけでもないので、勝手にそこにいる人たちを憑依するという行為も各所に見られるようになってきている。これはマスメディアだけの問題ではなく、日本全国に蔓延するある種の病理になっていることを、この1年半の間に如実に感じました。震災以降、特に強くなっているように思います。

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