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カウンター・カルチャーの歴史と思想から見えてくる、人間中心のコンピューターの起源

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テクノロジーは身体機能の「拡張」である


コンピューターは本来、ただの計算を速く行うマシンではなく、人間を人間以外のものを使って再現するテクノロジーだということです。車は人間の足を機械化したものだし、ドライバーは指の延長線となるものだったが、コンピューターは人間全般の能力を扱うものになるんじゃないかということです。このトレンドを大げさに言うならば、コンピューターが人間の存在を問い直すとでも。(服部桂著『VR原論ー 人とテクノロジーの新しいリアル』)

服部)人はもっと生活を便利にしたいという欲求から、テクノロジーを使い、自分たちの身体的能力以上の成果を引き出してくることで、豊かになり寿命も延びました。テクノロジーの定義はあいまいですが、人間にまつわる言葉から石器からコンピューターまでのありとあらゆる有形無形の人工的な行動意図を「拡張」したものがテクノロジーだといえます。石器は手の、はさみは指の、望遠鏡は目の、車は脚の「拡張」といった具合に。

中でも重要な拡張は「言葉」でした。心や知識の拡張です。当初は危険を知らせる程度のものでしたが、発達することで経験者の知識を伝えたり、相手を動かしたりすることもできるようになったため、その後のあらゆるイノベーションの基礎になりました。書き言葉が発明され、印刷技術も普及すると、それまで貴族や僧侶など一部の知識層にとどまっていた情報がさらに広い階級にまで行き渡り、「知の革命」が起きたのです。


服部)テクノロジーという概念を人間が使うようになったのは、それからずっと後のことです。

産業革命より前、一部の匠だけが持てたノウハウには名前もなく(古代ギリシャ時代に「テクネロゴス」という言葉はあったが忘れ去られていた)、本人と不可分の才能とみなされており、本人がいなくなればその技術も容易に途絶えてしまいました。技・ノウハウといった「ソフト」と、人間の身体にあたる「ハード」を切り離すことがそれまでは不可能と考えられていたわけです。

ところが17世紀の科学革命以降の機械技術の発達や、産業革命で蒸気機関という機械を動かす効率的な仕掛けのおかげで、一部の人に限られていた優れたノウハウが機械で真似できるようになりました。職人だけが生み出していた美しい織物を、織機という機械が忠実に再現するといった具合にです。

つまり「ソフト」としてのノウハウと、それを実行する道具としての「ハード」がここで分離します。ここで初めて、人間はどういうノウハウで動いているのか、という視点が生まれ、初めてそれが意識されるようになり、「テクノロジー」と呼ばれるようになったのです。

(ドイツの技術学者ヨハン・)ベックマンはこうした属人的な部分を取り除いた、機械でも模倣できる技をテクノロジー(Technologie)と呼び、それらを広く工学全般に渡って集め、教科書として出版したのだ。だからといって、テクノロジーという言葉はすぐに理解されて普及したわけではなく、アメリカでも1939年まで一般的な意味で引用された事例はなく、それが初めて公式の文書で使われたのは、やっと第二次世界大戦が終わって戦後の復興が始まった頃の1952年の大統領の一般教書演説の中でのことだったという。(日本看護協会出版会 教養と看護 特集ナイチンゲールの越境:テクノロジ―・過去・未来 第三回 テクノロジーが宇宙を変えるとき )

服部)労働から解放されたい、いい思いをしたいという欲求や、生まれで決まってしまう階級や運命から抜け出したいという願望などが新しいテクノロジーの動機となる。こうした人間の生存欲求を原動力に模索を続けるうちにイノベーションが起き、そこから生まれた新たなテクノロジーによって社会が規定され、新たな価値観や規範が生まれてきます。

特にアメリカは、ヨーロッパで抑圧されてきた主に貧しい農民たちが、そうした制約から逃れてやって来た国なので、テクノロジーに対して寛大で、テクノロジーをとことん追求していくうちにコンピューターを生み出して実用化に至ったのです。(コンピューター開発はヨーロッパが先んじたが、実用化ではアメリカに負け敗退していった)。

20世紀後半からのデジタル化によって、アメリカ中心に、GAFAやインターネットが生み出すサービスが私たちの生活を想像もできなかったスピードで変えています。これからも新しいテクノロジーの出現で、いま自明のものと思われている「愛」とか「家族」「人生」といった価値観さえ変わっていくでしょう。

インターネットからコンピューター、電球、中世の甲冑まで、これまでのテクノロジーの進化の様子は、まるで生物の進化をみているかのようだ――。米WIREDの創刊編集長、ケヴィン・ケリーが生態系になぞらえた「テクニウム」という独自の概念を説明した著書は大きな反響を呼びました。

石器の方は、作り方さえ知っていれば誰もが週末に作れるような簡単な道具だ。しかしもう一方のマウスは、都市に住むインテリな人々でも簡単には作れない。(中略)作るには、それを支える何百ものテクノロジーがさらに必要になるからだ。(中略)個別のテクノロジーが相互につながって依存関係にある。そこで私はこういうテクノロジーのネットワークの総体を「テクニウム」と呼ぶことにした。(服部桂著『テクニウム』を超えて―ケヴィン・ケリーの語るカウンターカルチャーから人工知能の未来まで

服部)人類の歴史を振り返ってみると、新しいテクノロジーが発明されると、当初は反発、禁止、などの目に遭うものの、次第に改良を経て受け入れられていきました。ケリーは、テクノロジーは人が人工的に生み出した手先の技という範疇を超えた、人間や自然と共生する新しい生命圏のような宇宙の普遍的な存在であるとさえ指摘しています。

テクノロジーはどんどんと変化しますが、人間自体はあまり変わってはいません。新しいテクノロジーの出現は、人間や社会の変革をせまり、人間という存在のあり方や限界を却って明らかにしてしまうのです。たとえばAIが問いかけているのは、仕事が奪われるかどうかということより、「人間の知能や心とは何だったのか?」という基本的な問題です。IoTやビッグデータなど狭いジャンルの範囲でテクノロジーを実用性本意で論議するのではなく、世界をどう理解し付き合っていくべきかの問いかけという視点で考えたほうが、より深い論議ができるのではないかと思っています。


はっとり・かつら:1951年東京都出身。78年朝日新聞社に入社。84年AT&T通信ベンチャーに出向。87年~89年にMITメディアラボ客員研究員。科学部記者や「PASO」編集長などを経て16年定年退職。関西大客員教授のほかいくつかの大学で教鞭をとる傍らジャーナリスト活動も続けている。著書に『マクルーハンはメッセージ』『人工生命の世界』『VR原論 人とテクノロジーの新しいリアル』等。訳書に『チューリング〜情報時代のパイオニア』『テクニウム』『<インターネット>の次に来るもの』など多数。

取材:錦光山雅子、大林寛  写真:宮下マキ 編集:川崎絵美 

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