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小泉進次郎氏、生き別れた実の母の苦労と現在の関係性

電撃的な結婚発表は世間を驚かせた(写真/アフロ)

小泉家には“授かり婚”に忸怩たる思いが

政治家の妻になっても“私らしく”を選択

 世を揺るがせた結婚発表の1週間ほど前、都内の飲食店に両家の親族がそろった。小泉家からは進次郎議員(38才)と兄の孝太郎(41才)、弟の佳長さん、父の純一郎氏(77才)に加えて、純一郎氏の姉と弟が出席。滝川家からはクリステル(41才)と両親、弟でモデルのロラン(40才)が駆けつけ、親睦を深めた。

【別写真】タイトTシャツ姿の滝クリと歩く元カレの小澤征悦

 だがその祝いの場にたった1人、招かれなかった肉親がいた。進次郎氏の実の母親、宮本佳代子さん(62才)である。

 進次郎がまだ幼い頃に純一郎氏と離婚して以来、母と息子は没交渉が続く。今回の結婚についても固く沈黙を守っていた佳代子さんだが、親しい知人にだけは母親としての気持ちを漏らしていた。

「佳代子さんは、『滝川さんってどんなかたなのかしら』『みんな、祝福してくださってるのかしら』と心配そうでした。やっぱり、離れていても息子ですからね。その後、彼女の口から進次郎さんの結婚についての思いが吐露されたんです」(佳代子さんの知人)

◆純一郎氏との離婚直後は一生分の涙を流した

 高学歴の才女、抜群の発言力、自分を貫く強さ──進次郎氏は無意識のうちに母・佳代子さんと多くの共通点がある滝川を相手に選んだのではないかという声も上がる。

 佳代子さんはエスエス製薬の元会長である泰道照山(たいどうしょうざん)氏の孫娘として神奈川県鎌倉市に生まれ、幼稚園から大学まで名門私立の青山学院で過ごした。

 1978年、佳代子さんが青山学院大学経済学部4年生の時、新進気鋭の国会議員だった純一郎氏とお見合いをし、その年に福田赳夫首相(当時)の媒酌で学生結婚した。

 同年に長男の孝太郎を出産し、その3年後の1981年に生まれたのが次男の進次郎だった。将来を嘱望される政治家と結婚し、子宝にも恵まれたが、結婚生活は決して安泰ではなかった。

「結婚当時、小泉家では純一郎さんの母や、信子さん、その姉の道子さんらが選挙と家事を取り仕切っていました。その中に長男の嫁として飛び込んだ佳代子さんでしたが、“女系家族”の壁は厚く、なかなか居場所を見つけられませんでした。厳しい姑、小姑に囲まれながら、まだ学校を卒業したばかりのお嬢さんがなんとか頑張っている感じです。才媛で物事をハッキリ言うタイプの彼女にとって、つらい時期だったでしょうね」(小泉家関係者)

 そんな中、佳代子さんは政治家の妻として“教育”された。この頃、純一郎氏の選挙区には手強い対立候補が多く、「落選させるわけにはいかない」と佳代子さんが赤ん坊の進次郎氏をおんぶひもで背負い、地元で応援演説をしたこともあったという。

「佳代子さんなりに頑張ったものの、最後には追い出されるように2人の子供を残して小泉家を出ました。純一郎さんはこの時、『君子、去る者は追わず、来る者は拒まず、だな』という姿勢でした」(前出・小泉家関係者)

 結婚からわずか4年後の1982年、純一郎氏と佳代子さんは離婚。当時、佳代子さんは妊娠6か月だった。

 当時の心境をのちに佳代子さんは『いきいき』(2016年4月号)でこう明かしている。

《日に日におなかが大きく膨らむ中で、「ひとりで元気な子を産むことができるのか」という不安、そして「子どもを抱えて自立できるのか」という不安――二重の不安に押しつぶされそうで毎日泣き続けていました。
 しかも、ふたりの息子とは生き別れた状態でしたから、胸の中にはさまざまな思いが渦巻いて…。今振り返っても、離婚直後はいちばんつらく悲しい時期で、一生分くらいの涙を流した気がします》

 孝太郎と進次郎の親権を小泉家が持ち、離婚の翌年に生まれた佳長さんの親権は調停の末、佳代子さんが得た。これ以降、佳代子さんは小泉家と一切の連絡を絶つ。

 佳代子さんが息子を失う一方、母を失ったのは進次郎氏だ。当時4才の孝太郎と1才の進次郎の面倒を一身に背負ったのは、純一郎氏の姉である故・小泉道子さん(享年84)だった。

「当時、自分の子供がすでに成人していた道子さんは、『幼い2人に寂しい思いをさせたくない』と子育てに励みました。毎朝5時に目を覚まして『おなかが空いた』と泣く兄弟に、道子さんは右のおっぱいを孝太郎さんに、左のおっぱいを進次郎さんに吸わせていた。お乳は出なかったけど、幼い兄弟はそれで落ち着いたんです」(小泉家近隣住民)

◆大きな“ママ”の存在

 道子さんは授業参観や遠足にも積極的に参加。そんな彼女を進次郎氏は本当の母親と信じて「ママ」と呼んだ。

 進次郎氏が中学2年生になった時、純一郎氏が真実を告げると、進次郎は「ウソ…」と絶句したのち、「(道子さんが)本当の母親だ」とはっきりと口にしたという。

 その後、進次郎は地元の私立大学の付属高校に進学して、野球に打ち込んだ。一方の佳代子さんはシングルマザーとして働きながら三男を育て上げた。

「外で一度も働いたことのない女性が幼子を抱えて、会社員になるのは極めて厳しい道だった。一緒にいたいと泣く三男に、『うちには父親も母親もいないのよ。私は家を支える世帯主』と言い聞かせて育てたそうです。

 彼女の口癖の1つは『仕事は努力を裏切らない』。そう自分を納得させないとやっていけなかったんだと思います。会えない2人の息子を気に掛けながらも吹っ切るように仕事に没頭していました」(前出・佳代子さんの知人)

 2001年、純一郎氏が首相に就任すると、空前の小泉フィーバーが訪れた。佳代子さんのもとにも取材が殺到したが、彼女はそのすべてを断った。

「離婚後、佳代子さんは孝太郎さんや進次郎さんと一切会わず、小泉家との確執が報じられました。でも彼女としては、政治家一族である小泉家を慮り、“会って迷惑はかけられない”とわが子に会いたい気持ちを抑えて身を引いたんです。佳代子さんは離婚してから、小泉家を悪く言ったことが1度もありません。“あちらはあちらの事情があるでしょう”と言える強い女性ですから」(前出・佳代子さんの知人)

 2008年に純一郎氏が政界引退を表明。3人の息子たちも全員社会人として落ち着き、兄弟は連絡を取るようになった。2013年、佳長さんの結婚が決まると、佳代子さんは元夫、そして2人の息子と約30年ぶりに再会を果たす。

「その後、孝太郎さんは何かあると佳代子さんに連絡することもあったようで、長年の溝が埋まっていったのですが、進次郎さんは頑なに“他人”として振る舞おうとしていた。進次郎さんにとってはそれほど“ママ”の存在が大きいし、逆に、佳代子さんへの思いも大きかったんでしょう」(前出・小泉家関係者)

 進次郎は政治家としての階段を一歩一歩上りながらも母について語ることはなく、今回の結婚についても、佳代子さんには報告していない。7月末に行われた両家の顔合わせも、8月末に行われた結婚式にも佳代子さんは姿を見せなかった。

※女性セブン2019年9月26日・10月3日号

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