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子どもを「見る」とはどういうことか

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教育ジャーナリストとして、さまざまな教育の現場を取材して、すぐれた教育者と話をしていると、ひとつの確信がどんどん強くなっていきます。それは「結局、親は無力である」ということです。

親は子どものためにあれもこれもしてやりたくなりますが、「こう言ってしまうと元も子もないのですけど、この子のためにと思ってやることは、実はたいがい無駄なんですよ」と、私が尊敬する元教員はしみじみと語ってくれました。

親がよほど余計なことをしなければ、子どもはそれなりに育っていく。取材経験を積めば積むほど、そんな思いが強くなります。

「むしろ子どもをつぶすのは親の熱心さ」だと、これまた私の尊敬するベテランの教員は断言していました。最近話題になることが多い「教育虐待」は、まさに親の熱心さが子どもをつぶすケースです。

では、親は何もしなくていいのか。「放任」がベストなのか。

そうではありません。

大事なのは子どもをしっかり見てあげることだと先生たちは口をそろえます。ただ視界のなかに見えているだけではダメです。子どもが何に対し、どんな関心を寄せていて、いまどんなふうに心が動いているのかを見るのです。

ちょっと難しいことのように感じてしまいますよね。

もっと簡単にいいます。

たとえば幼児が公園でひとりで遊んでいるとき、小さなイモムシを見つけたとします。すると子どもの目が一瞬輝きます。その瞬間のその表情を見逃さないでほしいのです。

さらに子どもがその感動を親に伝えたいとき、一瞬親のほうを見ます。そのときに、子どもの感動に共感しながら、アイコンタクトを返してあげてほしいのです。「パパ(ママ)みて!」と声をかけられれば「よくみつけたね」とか「かわいいだね」とか返事してあげてもいいでしょう。でも感情のこもったアイコンタクトだけでも十分です。そのほうがいいときもある。

教育的な観点で親のすべきことって、たったそれだけじゃないかと思うのです。たったそれだけをするためには、スマホばっかりいじっていないで、しっかり子どもを見続けなければいけないので、それはそれで大変ですけれど。

そうすると、子どもの好奇心は励まされ、どんどん知的欲求が豊かになり、自分の感覚にも自信がもてるようになります。それが生きる力の正体なんじゃないかとすら、私は最近思っています。

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