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[週刊ポスト」問題について

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 彼らが嫌韓という看板を借りて口にしているのは、先ほど言った通り、「職を賭してまで言いたいというほどのことではないが、職を賭さないで済むなら、ちょっと言ってみたいこと」である。ふつうなら「非常識」で「下劣」で「見苦しい」とされるふるまいが、どうも今の言論環境では政府からもメディアからも司法からも公認されているらしい。だったら、この機会に自分にもそれを許してみよう。

 周りを見回したら、どれほど下品で攻撃的になっても、それが隣国への非難であったり、それを咎める「良識ある人たち」への罵倒であったりする限り、まったく検閲スルーであるように見える。だからこそ、彼らは抑圧された攻撃性と下品さを解発することにしたのである。「処罰されない」と思ったので精一杯下品で攻撃的になってみせたのである。

 だから、「処罰」がちらついた瞬間に、蜘蛛の子を散らすように消えてゆく。「処罰されないなら公言してみたいが、処罰されるくらいなら言わないで我慢する」ということである。

 だが、彼らが忘れていることがある。それは、人間の本性は「処罰されない」ことが保証されている環境でどうふるまうかによって可視化されるということである。

「今ここでは何をしても誰にも咎められることがない」とわかった時に、人がどれほど利己的になるか、どれほど残酷になれるか、どれほど卑劣になれるか、私は経験的に知っている。そして、そういう局面でどうふるまったかを忘れない。それがその人間の「正味」の人間性だからである。

 平時では穏やかで、ほとんど卑屈なように見えていた人間が、「何をしても咎められない」状況に身を置いた瞬間に別人になって、人を怒鳴りつけたり、恥をかかせたりという仕事にいきなり熱心になるということを私は何度も見て来た。「そういう人間」の数はみなさんが思っているよりずいぶん多い。そして、彼らがどれほど「ひどい人間」に変貌するかは、平時においてはまずわからないのである。
 だから、私は人間を簡単に「咎められない」環境に置かない方がいいと思っている。できるだけ、法律や常識や「世間の目」などが働いていて、簡単にはおのれの攻撃性や卑劣さを露出させることができない環境を整備する方がいいと思っている。

 今の日本は倫理的な「無秩序」状態になっている。

 倫理的にふるまう人(正確には「倫理的にふるまう人が一定数いないと社会は維持できない」ということを知っている人)を「かっこつけるんじゃねえよ」と冷笑することが批評的な態度だと勘違いしている人たちがすでに言論の場では過半を占めようとしている。

 このような無秩序がこのまま続くのかどうか、私にはわからない。

 続くなら日本にもう未来はないということしかわからない。
 

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