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曹操は悪者でも破天荒でもない?イメージを覆される「リアル三国志」の世界とは

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イメージと違う?墓からわかる曹操の性格

——曹操の墓からは新たにどんな知見が得られましたか?

曹操は「葬式を簡素にするように」「遺体を飾るな」「金玉珍宝の類を墓に入れるな」といった遺言を残しているので、曹操高陵の発見によって薄葬の実態を知ることができるわけです。その遺言が実行されたのかを具体的に検証する材料が得られたので、研究者たちはそこに注目しました。

魏のイメージが強い曹操ですが、彼は後漢時代に亡くなっているので通常であれば墓は後漢の埋葬制度を基本に作られる。当時の王クラスの人物は玉衣を着るのが一般的ですが、その玉衣が見つからなかった。盗掘にあっても破片の一片くらいは見つかるものですが、断片すら見つかっていないので遺体は飾られていなかったことがわかる。また金玉珍宝についても痕跡がない。つまり、現在知りうる情報からは曹操の遺言は実行に移されたと判断せざるをえません。

——『三国志演義』ベースの作品を読んでいて持つ曹操のイメージと、質素なお墓は結びつきづらいですね。

確かに「曹操に対するイメージが変わった」という方もいるようです。曹操は多くの物語では悪者で破天荒なキャラクターとして描かれていますよね。曹操くらいの力があれば、お墓を豪華にしようと思ったらいくらでもできるわけです。ただ、それをしなかったところに、彼の慎ましやかで飾らない人柄が見えてきますね。

——そうなんですね。墓に副葬された出土品はほとんどなかったんですか?

曹操高陵からも瑪瑙円盤(めのうえんばん)のようなキレイなものが見つかっています。ただ、これが何なのかはわからない。彼の薄葬令は実行に移されていると考える以上、見つかっているものは薄葬の範囲内のものなんです。

瑪瑙円盤/河南省文物考古研究院蔵

考古学でよく分からないものがあった時にどう調べるかというと、まずはよく観察する。使用痕はあるか、劣化の痕跡はあるか。この瑪瑙円盤は裏表がしっかりと磨かれていて、周りが面取りされている。こんなことしかわからなかったんです(笑)。

ただ、一つ言えることとしては、この瑪瑙円盤が漢代の美意識と相反するということです。瑪瑙製品は漢の時代にもありましたが、赤や濃い茶色など澄んだ単色のものが好まれた。しかし、曹操の墓から発見されたものは、縞模様に美意識を見出しているような感じを受けます。これは同時代の感覚とは相反するんです。

出土品から見える魏、邪馬台国、朝鮮半島の関係

——今回の三国志展は、三国以外も意識的に視野に入れているように感じました。

三国志は本当に“三国”志かというのは、この展覧会を始める時に設定した課題でした。「日本」とひとくくりにするのが難しいのと一緒で、なるべく既成概念にとらわれずゼロから組み立てていきたいと考えていました。

三国志の時代と邪馬台国の時代は同時代で、それぞれに根強いファンがいますが、両者のコミュニティは相混じらないようです。三国志は三国志、邪馬台国は邪馬台国。でも、当時の文化や社会を考える時に、現在の国や地域で割って考えていたら見えてこないものがあるわけです。積極的にこういった考えを提示することによって、研究者はもとより関心のあるすべての人に視野を広げてほしいという思いがあります。

——曹操高陵から見つかった鼎から興味深いことがわかったそうですね。

鼎(てい)というのは時代、地域によって形が違います。そんな中でも「くの字」でバンザイしているような“そろばん玉”型の鼎は非常に珍しい。似ているものがないか一生懸命探したんですけど同時代では別の地域にもなかった。

鼎(てい)/河南省文物考古研究院蔵

この時代は王クラスの墓があまり見つかっていないということもありますが、限られた有力な墓にも近い形の鼎はない。と、思ってたら唯一よく似ているものが見つかったんですが、その場所が朝鮮半島南東部の蔚山でした。

※鼎:金属製の器。礼器として用いられ、王位の象徴とされる。三つ足であることから3という数字を表す

——蔚山で見つかった鼎が曹操の墓の鼎と似ていた、と。

時代も同じで、これは魏と蔚山の勢力との間でなんらかの交流があったと考えたほうがいいと思います。それが直接的な関係なのか、間接的なのかは今後調べていく必要があります。

ただ、朝鮮半島南東部の蔚山は日本列島と魏をつなぐ位置にあります。弥生系の土器も出土しているので、九州と人の往来があるような土地柄です。そのため卑弥呼が魏に使いを送るような時に朝鮮半島を経由したとすれば、蔚山一帯の人たちが何がしかの重要な働きをしたのではないかと考えられます。それも勝手にやっていたのではなく、魏と繋がっていたことが鼎によってわかるわけです。

——なるほど。すごく面白いですね。

鼎というのは元々徳の象徴で、選ばれた人だけが持ちうるものです。何らかの社会的地位を認められないともたらされない。そういうことを考えると、当時の東アジア情勢のキャスティングボードを握っていた地域集団が蔚山にいたことが伺えるんです。これも今後の研究を待ちたいですね。

ファンタジーではない三国志の見方

——東京国立博物館の次は九州国立博物館でも三国志展が開催されますが、来場した方にはどんなことを感じてほしいですか?

三国志の時代は本当にあったんだ、というシンプルなリアルを体感してほしいですね。そこに尽きると思います。三国志ってファンタジーになりがちなんですけど、実際にそういう時代があったんだ、そういう戦いがあったんだ、ということが体感してもらえると思います。

展示の章立てには戦いや人物の名前を入れるようにしていますが、それをご自身のイメージにつなげてもらってもいいし、展示をきっかけに新しい視野を獲得してもらってもいいかなと思います。

——確かに、自分が持っている三国志観が新しくなりそうですね。

展覧会を見た後、「三國無双」などのゲームでも横山三国志でもこれまでとは世界が変わって見えると思うんです。それが展覧会の一つの意義でもあるのかなと。

——個人的に三国志への思い入れはあったんですか?

それが、実はまったくないんです。子どもの頃、歯医者さんの待合室で見たくらいですね。三国志好きな方って武将・人物が好きじゃないですか。僕はあまりそういうところには関心が向かなかったんですよね。研究対象として三国志の時代に入っていったんだけど、あくまで研究対象ですね。出土資料ベースの研究なのであまり物語には興味がなかったんです。

——日本には三国志ファンが多いですが、多くは物語にハマったという人なのかもしれませんね。

そういう方が多い、ということを示していますよね。こんなにたくさんの方が来てくれているというのは。だから「なんで僕は興味を持たなかったんだろう」と思っています(笑)

プロフィール

市元 塁(東京国立博物館東洋室主任研究員)
1978年兵庫県生まれ。草津市教育委員会、九州国立博物館を経て、2016年より東京国立博物館勤務。専門は東アジア考古学。好きな中国料理は西紅柿炒鶏蛋と地三鮮。

展覧会概要

日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」
https://sangokushi2019.exhibit.jp/会場:東京国立博物館平成館(上野公園)(〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9)
会期:開催中~ 9月16日(月・祝)
休館日:月曜日[ただし、9月16日(月・祝)は開館]
開館時間:午前9時30分~午後5時 ※金・土曜は午後9時まで (入館は閉館の30分前まで)

巡回 九州国立博物館にて2019年10月1日(火)~2020年1月5日(日)開催予定

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