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曹操は悪者でも破天荒でもない?イメージを覆される「リアル三国志」の世界とは

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BLOGOS編集部

日本人は“三国志好き”が多いと言われるが、小説・マンガからゲームまで、「三国志」の世界は日常の隅々に広がっている。

東京国立博物館 平成館では、最新の出土資料を用いてリアルな三国志時代の実像に迫る、日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」(9月16日まで、10月1日から2020年1月5日は九州国立博物館)が開催中だ。

2009年には河南省安陽市で、三国志の中でもとりわけ著名な人物・曹操の墓(曹操高陵)が発見された。同展では、研究者を驚かせた曹操高陵の墓室を実寸で再現し、そこから読み解ける歴史像を提示している。

実物資料を使って読み解く「三国志」は、物語の世界とは何が違うのか、東アジア古代史を専門とする東京国立博物館・主任研究員の市元塁氏に聞いた。

実物資料で構築する「リアル三国志」

——「三国志展」を開催することに決めたきっかけはどのようなものでしたか?

「三国志の展覧会をやってほしい」という声は、以前から根強くありました。展覧会や講演会でアンケートを行うと、中国関係だと必ずほぼ1位に「三国志展が見たい」という声が上がります。ただ、実現に至らなかった理由として、後漢から三国時代は展示品になるような物が非常に少ないということがあります。

この時代は厳しい気候で人口が少なく、物質文化的にも豊かとは言えません。そのため展示室を埋める作品を揃えるのは難しいと思っていたので、これまでは距離を置いてきました。それが、2009年に曹操高陵が発見されたことで事態が変化しました。ただ、依然として資料が“展示映え”しないという状況は変わっていませんが、ある時から「これがこの時代の真実なんだ」「ありのままを紹介することが大事なんだ」と考えるようになったんです。そういった経緯で三国志展の開催を決め、2017年の3月くらいから準備に入りました。

——展示のコンセプトとしては、どのようなものを考えていたのでしょうか。

準備の早い段階から「リアル三国志」という今回のキーワードに近いコンセプトは持っていました。曹操高陵の発見と前後して、様々な三国志時代の考古遺物、遺跡がどんどん見つかっていたという状況がありました。そのため、これまで不可能だと思われていた「当時の出土資料を元に三国志を再構築すること」が現実的にできるかもしれないという感触を得て、やるなら「リアル三国志」の方向だろうと。

共同通信社

——準備期間中から、様々な期待の声が寄せられたそうですね。

三国志のファンの方からは「楽しみです」という声を多くいただきましたが、何を期待しているのかがわからなかったんです。人気のある「若冲展」(※)であれば、皆さんが期待している絵がいくつか想像できますが、三国志については思い描くものがバラバラなんですよね。

※伊藤若冲:江戸時代中期にて活躍した絵師

ある人は武将、ある人は戦いの舞台…と人によって出てくる言葉が違って、「今準備しているものが皆さんの期待に応えるものになっているのだろうか」という不安はずっと感じていました。「定軍山(ていぐんさん)の戦い」(※)と聞いても、持っているイメージが違うんです。だからといって、誰かのイメージを採用することはできない。だから、実物資料の説得力をもって“三国志観”を再構築していこう、と。

※定軍山の戦い:魏と蜀の中間にある益州の要衝・漢中を巡って曹操と劉備が争った戦い。現地では当時のまきびしが多数出土し、特別展「三国志」でも展示されている

現地に眠っている貴重な資料の数々

——準備期間で苦労したことはありますか?

三国志は天下騒乱の物語ですよね。そのため、中国各地のどこに行っても必ず何かしらの三国志に関する文物があるんです。その時代に人類が足を踏み込んだ場所には必ず何がしかの痕跡がある、というのが考古学の考え方です。ただ、限られた準備期間に中国全土をくまなく回れるかと言えば、それは不可能です。

また、五丈原(現・陝西省宝鶏市)や街亭(現・甘粛省天水市)といった三国志でよく知られた地域に行けば、展示できるものが必ず見つかるかと言えば、そういうわけでもない。関ヶ原に行っても「関ヶ原の戦い」に関するものが見つかるとは限りませんよね。1年間の限られた調査期間では、まずどこを調査すべきかをピックアップして、その上で現地に行くという作業をしましたが、時間的な制約で本当は行きかったのにそれが難しかった地域もありました。

BLOGOS編集部

——具体的には、もっとどの地域に行きたかったんでしょうか?

例えば、今回の展覧会では呂布(奉先/りょふほうせん)を扱えていません。しかし、呂布を展示の中で扱うのであれば、彼が生まれ育ったとされる内モンゴル自治区の包頭一帯や、ゆかりの深い下邳城(現・江蘇省徐州市)などを重点的に調査したかったんですけど、そうした地域を訪れることはできませんでした。

——資料集めから大変そうです。

そうですね。今回の特徴的な点ですが、展示品の相当数は博物館で展示されていなかったものなんです。あるいは、展示されていても三国志のストーリーに乗せられていなかった。

「晋平呉天下大平」磚(「しんごをたいらげてんかたいへい」せん)/南京市博物総館蔵

例えばこれは呉(ご)の中心地、現在の南京のお墓から出土したレンガなんですけど、ここには「晋が呉を平らげて天下太平になった」と書かれています。正史『三国志』の歴史観だと、西晋は魏の後継となる政権とされていますが、政権の攻防で最後まで長生きしたのは呉なんです。魏は蜀を滅ぼしましたが、内乱で司馬氏(しばし)に滅ぼされます。その司馬氏が呉を滅ぼして、西晋になるという。

最後まで呉が抵抗勢力だったという事実がわかるこんな貴重な資料も、南京では展示されていなかったんです。

なぜ三国は戦わなければならなかったのか

『三国志演義』を読むと全編にわたって戦いの話ばかりで、いつでも戦っているような感じがしますよね。ただ現地を回って感じたことは「彼らはなぜ戦わなければならなかったのか」ということです。敵と会うために、広大な領土をどれだけ移動したんだろうか、と。

当時は魏(ぎ)、蜀(しょく)、呉と三国が争っていたわけですが、どの国も面積が広く、行けども行けども自分の国から出られないわけです。魏と呉は日本列島がすっぽり入るほど広いですからね。つまり敵と戦うためには、何日も何日も歩いて行く必要がある。現代こそ交通網が発達して、高速道路も高速鉄道も整備されていますが、それでも一つの都市から別の都市に行くのにはとても時間がかかるわけです。

——確かに、中国に行くと圧倒的な広さを感じますね。

当時の戦いは土地や食料、相手の武器庫を奪いにいく陣取り合戦なので、守るためには自分たちから行くしかなかった部分もあったと思います。しかし、どうやって敵に出会ったんだろう、と。待ち合わせでもしたのか。

今はこれだけ情報があふれており、地図を見ることができるからこそ不思議なのかもしれないとも思います。僕が中学生くらいの頃は「どこそこに行くと隣町の悪い奴らがいる」「どこらへんまで来ている」とか極めて確度の高い情報が風の噂のように届いたものですが、そういった感じで文字に残らない情報戦が行われていたのかもしれません。

赤壁古戦場:共同通信社

地理的な要因のほかに、当時は「天下三分の計」という国土を三分割して支配するべきだとする論者もいた。それにもかかわらず彼らが戦わなければならなかった理由は「天下は統一されるべきだ」という理念に尽きるのかなと思います。

魏・蜀・呉の三国鼎立(ていりつ)と言っても、魏からすると蜀と呉は国として認めていません。彼らはまつろわぬ者ども、地方勢力なわけです。一方で蜀も呉も「国は一つ」だという考え方を持っている。天下は一つの国の元に一つだという認識があって、それを目指して戦っていたんだろう。最終的に生き残った呉を晋が平らげて天下泰平になったということを表しているのが先ほどのレンガですね。

「曹操高陵」発見の衝撃と謎

——今回の展示のハイライトにもなっていますが、曹操高陵の発見というのは当時驚きをもって受け止められたのでしょうか。

著名な人物なので非常に驚きましたね。曹操の墓は唐の時代くらいまでは場所がわかっていたようなんですが、その後わからなくなっていった。明代に『三国志演義』が成立し、登場人物にクローズアップされるようになるんですけど、この時代には「曹操は墓を暴かれないために72の偽の墓を作った」といった伝説がいくつも生まれました。

2009年の発見は、中国で水利事業の大きなプロジェクトがあって、南から北に水を運ぶための水路を作る工事が進められる中で、曹操の墓の近くを通ったときに「近隣で盗掘にあった墓がある」という情報があって調査に入ったといいます。それが曹操の墓ということを知っていたかどうかはわかりませんが、大きくて立派な人物の墓があることは知られていたようです。

曹操高陵:共同通信社

——結果的に、それが曹操の墓だったと。いろいろとヒントになりそうな記録もあったそうですが、2009年まで発見されなかったというのは不思議ですね。

唐の時代の文献記録とも、近くにあった五胡十六国時代の人物の墓誌の記述(※)とも合致していました。

※五胡十六国時代の後趙の官僚・魯潜の墓誌。「故魏武帝陵西北角西行卌三歩北迴至墓明堂二百五十歩(魏の武帝陵の西北角から西に43歩、さらに北に250歩行くと曹操の墓に至る)」と記してあった

ただ、合致すると言ってもピンポイントではないんです。ここからの何歩という距離は今のような精度で測っているわけではなく、方角も正確なものではありません。現在の感覚でいうと「台東区上野」くらいの範囲を指す、あくまで一つの傍証だったのだと思います。

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