- 2019年09月02日 09:15
ユニクロはなぜ「ユニバレ」を死語にできたのか
1/2かつては「ユニバレ」という言葉があったほど、ユニクロを堂々と着ることは恥ずかしいとされてきた。だが今やファッション誌でも高く評価されている。甲南女子大学の米澤泉教授は「ユニクロを買うことは、『ていねいなくらし』の実践となった」と指摘する――。
※本稿は、米澤泉『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』の一部を再編集したものです。
再オープン前に報道陣に公開されたユニクロ・ソーホー店。東京で流行しているスタイルを紹介している=2016年9月1日、ニューヨーク - 写真=時事通信フォト
「ユニバレ」「ユニ被り」もはるか昔
ファッション誌がこぞって「ユニクロでよくない?」といい始める前のユニクロはポピュラーな「みんなの服」ではあったが、決して誌面で特集される服ではなかった。なぜならユニクロはどちらかと言えば着ていることを知られたくない服であったからだ。誰もが着ているユニクロを自分も着ているのは恥ずかしい。
そんな「ユニバレ」が「ユニクロでよくない?」になり、今では「ユニクロがよくない?」とまで言われるようになった理由を整理してみよう。
一つ目の理由は、ユニクロが服ではなく、実は「くらし」を売っているからだ。服を通して、「ていねいなくらし」を売っているからこそ、あらゆる人がユニクロを着るようになったのだ。着る人の価値観に寄り添う、究極の服を目指してつくられた「ライフウェア」は服のかたちをしているが、服であることを超えた服である。
「ライフウェア」が提唱する生活をよくする服とは、新たな価値観をつくり、ライフスタイルを示す道具でもある。それは、言うなれば、服のかたちをした「ていねいなくらし」という理念なのだ。だからこそ、私たちは積極的にユニクロに手を伸ばすようになったのである。松浦弥太郎的な「ていねいなくらし」を実践するために、日々の生活をすこやかに回していくためにユニクロは欠かせない。
今や、節約したいものの筆頭に挙げられるファッションだが、ユニクロの服を買うことは単なるファッション消費ではない。なぜなら私たちは、ユニクロの服を買うことで、「ていねいなくらし」というライフスタイルを手に入れているからだ。それは、非難されがちな浪費では決してなく、むしろ推奨されるべき正しい消費である。
「ていねいなくらし」が浸透した背景
だが、ユニクロを選ぶことが「正解」になるためには、「ていねいなくらし」そのものが人々に支持されなければならない。着ることよりも、食べることや暮らすことへの関心が高まっていなければならない。「ユニクロがよくない?」と言われるようになった二つ目の理由は、「くらし」の時代が到来したからであった。みんながおしゃれよりも、「くらし」が好きだと言い始めたからである。
1980年代はもちろん、90年代、2000年代に入っても、人々はおしゃれに精を出し、服を買い続けてきた。風向きが変わったのは、ファストファッションが浸透してからである。ファッションを民主化したと言われるファストファッションだが、いつでも、どこでも、誰でも買える流行服の蔓延(まんえん)は、同時に服への関心も低下させることになった。もう、おしゃれで差異化する時代ではない。誰もがそこそこおしゃれになったのだから。時間もお金もエネルギーもそれほど注がなくてもよいのではないか。
さらに2011年に起こった震災が追い打ちをかけた。ファッションよりも、もっと大切なものがある。日々の「くらし」をていねいに生きることこそ重要なのではないか。こうして、ファッションへのこだわりが、食や雑貨といったライフスタイルへ向けられるようになり、おしゃれをして街へ出かけるよりも、家の中での生活=「くらし」が注目されるようになった。
断捨離されたシンプルな部屋で時間をかけて朝ごはんを食べる「ていねいなくらし」こそ、最もファッショナブルだと思われるようになったのだ。
空前の“健康ブーム”がぴったりはまった
そのようななかで、80年代や90年代には考えられなかった服を買わないという選択も推奨されるようになった。なるべく少ない服を着回すことが求められ、「毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代」とまで言われるようになった。そんな時代だからこそ、ユニクロの「ライフウェア」がいっそう支持される。
ベーシックで、シンプルで、組み合わせやすい服装の部品。仕事にも「ユニクロ通勤」すればいいし、毎日のコーディネートもユニクロを中心に着回せばいい。よく考えてみれば、みんな、もともとおしゃれがそんなに好きではなかったのかもしれない。でも、今までは毎日とっかえひっかえ着替えなければならないと思わされていたのだ。おしゃれをしなければならないと思わされていたのである。
だが、おしゃれよりも「くらし」が好きと声を大にして言える時代がやってきた。おしゃれはほどほどにして、「ていねいなくらし」をしたい。余った時間は、ユニクロムーブを着て走ったり、ヨガをしたり、グランピングに行きたい。健康であることが何よりも価値を持ち、おしゃれよりも「くらし」の時代だからこそ、ユニクロが正解となったのである。
ユニクロが“見た目勝負”を終わらせた
そして三つ目、最後の理由は、ユニクロのおかげでおしゃれで勝負しなくてよくなったことである。おしゃれが自己表現だった時代は、みな、おしゃれで勝ち負けを競わなければならなかった。DCブランドが好きか、コンサバ・ブランドが好きかの差はあれ、女子大生もOLも主婦もみんなおしゃれで競い合っていたのだ。海外ブランド全盛期も、シャネルかグッチか、ヴィトンかエルメスか、あるいはそのブランドバッグをいくつ持っているかでお互い勝負していたのである。
だが、現在はおしゃれで競い合わなくてもいい。頑張らなくてもいい。そのせいで、「ユニクロがよくない?」とみんなが言い始めてから、ファッション誌はやることがなくなってしまった。今や、どの雑誌にもユニクロがデイリーブランドとして登場し、みんなが毎日ユニクロをコーディネートに取り入れるようになったからである。機能的で、着心地もよく、デザイン的にも配慮されたユニクロがあれば、服はこれで十分である。結果として、ユニクロがおしゃれで勝負する時代を終わらせたと言うことができる。
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