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3.11以後の世界とSF第一世代の可能性(2) 新城カズマ×稲葉振一郎×田中秀臣

戦後SF第一世代の群像

田中 今日は日本のSF第一世代の話なんですけど、率直に言って小松左京だけがいまだにまとめて読む価値があって、筒井康隆は最近ちょっと読み返したんですけど…。

新城 筒井さんはご本人がいまどこまで自分をSF作家と捉えているのかという問題も含めて、世間的にももっと安部公房的な立場になってしまったのかなと言う気もしないでもないです。

稲葉 筒井さんに関しては、ぼくは自分であまり公平な見方ができないことをお断りしたうえであえて申しますが、作家としては彼はどちらかというと早熟型ですよね。実は彼の魅力の根底には清新なリリシズムがあって、特に初期のスラップスティックはそうしたものに支えられていたからこそ説得力を持ったのだと思います。しかしそうすると彼の一番いい時代は60年代だった、ということになってしまう。筒井さんが私淑する大江健三郎にもそういうところがあって、彼の場合にも「作家として最良の時代はお子さん、光さんが生まれる前の学生作家だった時代ではないか」という評価がありえます。『芽むしり仔撃ち』が最高で『個人的な体験』以降は……と。ある時期以降、筒井は直観とか体力に任せて書くのではなく、考えて、意図的に構築して書こうとしていくわけです。ラテン・アメリカ小説の影響もあると思うんですが、「小説にはやはり物語がなければならず、そのためには確固たる世界観が必要なので、それを構築していく」と、中年を過ぎると意識的になっていく。にもかかわらず、そういう成熟以降の作品より、深く考えずに力任せに書いていた時代のものの方が面白い、というタイプの作家に見えてしまうんです。そういう構造は大江だと露骨なのは『同時代ゲーム』以降だし、筒井だと『虚航船団』や『虚人たち』が分かりやすいと思います。

そうしてみると、小松左京は筒井などとはちょっと違う、晩熟型、老成型の作家だったのではないか。ただ、本当の意味での「老成」には失敗したと思います。

新城 作品数の分布がまずそうですよね。

稲葉 いろいろな意味で「若書き」ですね。でも正体が掴みきれない。戦後第一世代のSF作家で他に「文化現象」としての存在感を放っているのが平井和正でしょう。中島梓が『道化師と神』の中で、「平井和正は日本のSF史上とても重要である」と強く主張しています。確かに彼は、大藪春彦などと並んで、80年代以降隆盛する「エロスとヴァイオレンス」の原型を作った人であり、それと同時に、SFを超えてオカルトへ、さらに「新新宗教」「精神世界」といった「あっち側」に行ってしまった人ですね。平井は論じるのがすごく難しい対象です。行き詰ってはっちゃけちゃった人ではあるけど、文学的コンプレックスとか自意識が高い人でもあります。

戦後SF第一世代の中で、一番一貫してブレずにいるのは、実は眉村卓ではないかと思います。あたかも全く何にも影響されていないかのごとく、狭い意味でのSFを倦まずたゆまず書き続けて、しかも「文化人」化もしていない。もちろんお歳を召されてからは大学に職を得てらっしゃいますけど、「(純)文学者」になった筒井さんや、「文化人」になった小松左京とは対照的に、関西に根をはりながら、一貫して『SFマガジン』で誰も読まない ――というと失礼ですが、敷居の高い大長編を書き続ける。あのブレなさは第一世代の他の皆さんには見られないことだと思います。

眉村さんは「インサイダー文学論」という問題提起を60年代にしておられて、SF仲間のほとんどから「お前の言っていることは理解できない」と言われていました。しかしいま読んでみますと、「インサイダー文学論」はしごくまっとうな文学論、SF論として読むことができます。「文学者は往々にしてアウトサイダーを気取るが、近代社会においては実は誰もが「インサイダー」であり、誰もが「官僚」なのであって、そのこと自体は別によくも悪くもないんだ」と論じた彼は、まさにその論を実践して、『EXPO’87』そして一連の『司政官』シリーズと、官僚SFを何十年も書き続けている。

田中 平井は『道化師と神』でいうと神の方を目指してしまってますね。前半の冒頭で言ったように、生存の2つのあり方でクラーク的な選択肢の方ですよね。それを想像の世界だけじゃなくて実践でもやって、自分が神になろうとしている。眉村の方は、今の話を聞くと、道化師ですよね。官僚だとかの情けない話をずっと書いていて、管理しようとしているんだけど、細かい問題が出てきてうまくいかないということを書いているんでしょうね。眉村の方は、現実にはタッチせず、想像の世界だけにとどまっていますけど。

『日本沈没』とふたりの女性

新城 去年夏のSF大会で1コマ持って小松先生の話をしたんですが、いつ何が発表されたかを並べただけでも新しい発見がありました。

田中 経済制度だけでも固定為替制度から変動に移っていますし。

稲葉 あれは石油ショック以前の小説ですよね。

田中 ニクソン・ショック以降の高度成長が終わった時代の小説として読まれたじゃないですか。堺屋太一の『油断!』もそうですが。

新城 あれはあれで興味深い作品ですね。下手をすると『日本沈没』より起承転結がしっかりあって、内面の描写があって、小説として妙にちゃんと体裁を整えている。『日本沈没』は投げっぱなしのエピソードとかありますから。作品の完成度と価値は必ずしも比例しないという好例、と言いますか。

田中 銀座の女の子の話とか、どうなったのかなと思ったら最後は死んでいたという。使い捨てですよ。

稲葉 銀座の女の子の話は、東浩紀の小松左京論「小松左京と未来の問題」(http://www.webmysteries.jp/sf/azuma1001-1.html)でクローズアップされています。ただ彼は、『日本沈没』の第二部をオミットして、第一部の範囲において、2人のヒロインの対比をしているんですね。第二部は谷甲州さんの筆になるんですが、基本プロットは小松さんが提供して相談しているはずですね。小松さんの第二部構想の中ですでに、主人公小野寺と、ヒロインの一人阿部玲子が再会する予定は決まっていたはずなのに、東さんは論じていない。

第一部では、資産家令嬢の玲子とバーの女の摩耶子がいて、最後の方で資産家令嬢が死んで、記憶が混乱した状態でバーの女と日本を脱出する、となっているんですが、第二部では、死んだと思われていた令嬢は国際公務員として難民関連の仕事をしていて、30年を経て主人公と再会するんですね。

新城 一色登希彦の漫画版では、バーの女の子が死ぬvs令嬢と再会するという構造が活用されていますね。

稲葉 第一部末尾で、バーの女の子は「生き延びて子どもを生み、未来へとつないでいく」と宣言しているのに第二部ではそれがなかったことにされていて、それが非常に納得がいかない。「子どもみたいな女だった」と回想されて、あの女の子の存在そのものがファンタジーにされちゃっているんですね。

田中 エロゲーでいうとあるルートだと国際公務員とハッピーになりそうなんだけど、実はどこかで重要なヒロインが見殺しになって、そのトラウマをゲームのプレイヤーがずっと感じているという、そういったテーマを扱っていた東さんがねぐっているところが許せませんね(笑)。

稲葉 ひょっとしたらこの後書く予定なのかもしれませんが、webに乗っている範囲だと第一部までですね。あれはまとまった小松左京論としては秀逸なものなので、それだけにちゃんとやってほしいなと思います。

田中 第二部は女性があまり生きていないと思います。

稲葉 第一部は東も指摘しているように、小松的ないかにも古い女性観で通されているので、批判はありうるんですけど、谷甲州が担当する第二部になると、その辺のポリティカル・コレクトネスはクリアされてるんですけど、なんにもなくなっちゃう。彼は女性を書きたくないという人ではないと思うんだけど、『日本沈没』第二部には女性があんまり出てこないですね。谷さんは『エリコ』がトランスジェンダーの話ですよね。『パンドラ』を見ても重要な副主人公に女性科学者がいますし。それが『日本沈没』第二部では、国土沈没がきっかけで日本女性の社会進出が進む様を書いてはいるんだけど、話として上手く転がっていない。

田中 『日本沈没』を中学生の時に読んだんですが、真っ先に反応したのが伊豆の海岸でのベッドシーンですね。意外とSF小説はエロいのが多いじゃないですか。ジャーナリズム云々とか格好つけましたが、当時の僕にとっての小松はあのシーンに集約されていました。

稲葉 誰かが言っていましたが、小松は無重力セックスへのオブセッションがあると。

SFの大衆化

稲葉 改めて新城さんにお伺いしたいのは、蓬莱学園のTRPGからコンピューターゲームを含めての架空世界遊びが日本に定着したプロセスについてです。SFの大衆化といった時、いくつかの契機があると思うんです。『マップスシェアードワールド』で書かれた小説は、「スター・ウォーズ」小説ですよね。

『スター・ウォーズ』前後では確かに何かが変わったわけです。例えば、小林信彦も『唐獅子シリーズ』で取り上げている。『スター・ウォーズ』は世界文化史的に重要だけど、日本特殊的にも重要でした。あの頃は外国映画が日本で公開されるまでに、1年ほど時差があって、そのタメ自体に意味があった。これが1つ大きな契機です。

もう1つがコンピューターゲーム。特に日本にとってはファミコンの大衆化があります。たしかに日本では、TRPGは大衆化していない。けれど、一定のコアなファン層は存在していました。それ以上にSFプロパーにとってすごく重要だったのは、「安田均をゲームにとられた」ということです。日本SFは、文学的素養の深い先鋭な批評家であり実作家であった山野浩一と石川喬司を競馬にとられて、その上に、海外SFの精力的な紹介者であった安田均をゲーム――TRPGにとられたんです。

その安田均の薫陶を受けた水野良がライトノベル・ジュブナイルの牽引者になって、やはり安田の弟子筋にあたる山本弘がライトノベル作家からプロパーのSF作家になって、ようやく元が取れた、と言いますか。新城さんも傍目にはそういう、「ゲームからSFへ」という存在に見えるのではないでしょうか。大塚英志さんも「安田均が重要だ」と言い続けています。

あと、安田さんがSFから離れていくのとほぼ同時代に、荒俣宏さんが批評家、紹介者から実作者に転じていきました。批評家、書誌学者時代には、SF、ファンタジーをより広い文学史、文化史の中に位置づけて、『理科系の文学誌』などで一部に熱狂的なファンを持っていた荒俣さんはしかし、そうしたかつてのファンを『帝都物語』などの実作でいたく失望させたわけです。

安田や荒俣がSFプロパーから離れたこの時代は「SF冬の時代」と言われていたけれど、SF的な意匠それ自体は、むしろ大衆的に浸透したわけです。まさに70年代に言われていた「SFの浸透と拡散」がほぼ完了した。そこで一般的に目立つのがファミコンであり『ドラクエ』なんだけど、その底流にはTRPGを下敷きにできたコンピュータRPGの原点である『ウィザードリィ』や『ウルティマ』があります。

考えてみれば戦後SF翻訳の草分け矢野徹は、『ウィザードリィ』紹介者と言ってもよいほどだし、日本産のTRPGを作っていった安田均とその弟子たちの活動があって初めて、日本でこれほどライトノベルにおけるSFの層が厚くなったわけです。81年に書かれた中島梓の『道化師と神』での重要なテーマのひとつが、「日本SFには頂点ばかりで裾野がない」ということでした。

ところが、それ以降、裾野が、ゴミのような作品と、それを書くゴミのような作家たちが一気に広がって、文化として本来あるべき姿に移行したと言えます。彼女が『グイン・サーガ』を延々とか書き続けるのもそれ以降ですから。その中で、ゴミの山になっていったわけですが。

新城 栗本さんをきちんと評価するのは、ほとんど不可能なんですけど重要ですよね。私自身も彼女のやおい小説とか結構読んでいるつもりなんですけど、舞台は観ていませんし。そこまで観ないと彼女の全体像把握はできないのではと思います。

稲葉 彼女は変な人ですけど、評論家としてはおそらく一流で、小説家としては一流ではないかもしれないけど、それでも常人離れした力のあった人です。『ベストセラーの構造』はすごく重要な本で、社会学者の佐藤健二さんが非常に高く評価しておられました。あれは簡単に言えば「ゴミがこれほどたくさん読まれているけれど、ゴミは重要なんだ」という本ですね。(その当時ですと引き合いに出されていたのは『窓際のトットちゃん』でしたが、そういった)ゴミのような本があんなに読まれるということはどういうことなのか、をまじめに考えて、そのこと自体は決して否定されるべきことではない、とはっきり言っている。実作者として、それを実践した方だと思います。ただ、公平な評価がしにくいです。

田中 さっきの小松左京のジャーナリズム論にひきつけると、80年後半からネット社会が始まって90年半ばになるとネットを探るとゴミの知識がいっぱい出てくるじゃないですか。それまでは海外情報であるとか最先端の専門知識はごく一部の人間が得るもので、情報の独占性が強かったわけです。そうした独占性がネットにより弱まり、それと同時に間違った解釈などのゴミ情報の裾野が広がって、小松的なジャーナリズムのあり方も確実に変化していったんでしょうね。ゴミの中で小松左京を再評価するという。

新城 戦後情報化社会が成立するまでと、してからの大変化があるわけですね。昔は海外情報を持ってくる人が偉くて、その人が選んできてくれた。SF界で言うならば野田昌宏大元帥とかが全部読んだ上で『キャプテン・フューチャー』を翻訳しましょうと。

稲葉 野田さんで印象的なのが『奇想天外』のベスト10でバラードの『ヴァーミリオン・サンズ』が好きだと言っていて。

新城 小松先生も『日本沈没』や阪神淡路ルポを書くときに、ゴミのような膨大な情報を飲み込んで、これは言わなくていいやということをやっていてくれたと思うんです。ただ、情報化社会がものすごく進歩して、我々自身が日々ゴミに触れる時代になって情報とのつき合い方が決定的に変わってしまった。小松先生の悩みもそこにあったのではないかと。

稲葉 作家になる前の荒俣宏さんとか、澁澤龍彦とか、英文学で言えば高山宏さんですね。そういった人達と共振しますね。そういう構造が今では成り立ちにくくなっているのかもしれません。

新城 戦後には人間フィルターみたいな人たちがたくさんいて、同時に彼らは先ほどの梶山さんのように多作だった。または逆にものすごく絞り込んで、ものすごく素晴らしいものをあたかも海外にはそれしかないように紹介してくれた。栗本さんが、その系譜の最後の人だったのかもしれません。あのレベルで多彩かつ多作な人は最近はいないんじゃないでしょうかね。ライトノベルの人たちが多作なのは同じジャンル内の同じシリーズが長期に続いた結果にすぎない。

田中 サブカルチャーでいうとJJおじさん植草甚一とかが典型ですけど、かれのアメコミ論とかは自分の読んだものしか書いていないんですね。非常にバイアスがかかっているけれど、これがまさにいまのアメコミであると書かれると、そうなんだと思っちゃうんですね。

新城 海外から情報源が絞られているんだけれど、国内で雑誌なり何なりを印刷したらそれだけ売れるという状態が仮にあったとすると、それが80年代から90年代に変わってしまった。今では海外からの情報源はいくらでもあるけれど、刷ってもあんまり売れないという状況で、この対称性は何か関連があるのかも。

エンターテイメントの重厚長大化

稲葉 小説のあり方としても、やたら分厚いエンターテイメントが出てくるという時代に80年代あたりからなりましたね。スティーヴン・キングなんかもそういう時代に乗っかって出てきた人だと思います。日本でいうと、高村薫さんにはそれに近いものを感じなくもないです。純文学でも、トマス・ピンチョンやジョン・バースが原型を提示していて、日本では村上春樹なんかはそんな感じですね。物量作戦も京極夏彦さんにあたりになると、突き抜けたセルフパロディといった感じになるんですが。

昔は商業上の要請もあって、ことにエンターテインメントは長編でも1冊200頁位に話をまとめるのが普通で、SFの場合でも、大ネタになればなるほどネタを振っただけで終わって、ストーリーやキャラクターの方はないも同然 ――というのが基本形だったんですが、80年代、90年代でそういうあり方ははっきりと変わったと思います。

SFプロパーだと原型を提示したのは60年代のハーバートの『デューン』だと思います。あと、70年代にラリー・ニーヴンがジェリー・パーネルと共同作業を始めて以降の展開が興味深い。最初の『神の目の小さな塵』はプロパーSFだったんですが、彗星の地球への衝突を描く『悪魔のハンマー』は普通のパニック小説ですよね。それ以降、彼らはどんどん普通のパニック・ノベルとしても読めるものを出していきます。あと、キング以降の、モダン・ホラーのジャンルとしての確立。キング以外には、瀬名秀明が師と仰ぐディーン・R・クーンツがいます。

このような、出版、小説におけるいわゆるブロックバスター的展開と、『スター・ウォーズ』以降の、映画における特殊効果の発達、虚構世界を言葉を通してではなく、視覚や聴覚を通じて「体感」させる技術の発達や、娯楽としてのゲームの浸透は、連動していると思います。読者を架空世界にどっぷり浸らせるための小説の重厚長大化と、それに浸れるように映画やゲームなどで訓練された読者の登場が80年代以降の展開ではないでしょうか。

純文学もミステリーも映画も、この時期、少し体質が変わっている。『日本沈没』はあの長さ ――というか短さで、70年代には十分みんな満足したわけですが、今あれをやったら小説でも10巻くらいを要請されると思うんですよ。漫画もある時期以降、重厚長大化しましたが、これは大きく見れば世界的かつジャンル越境的傾向だなと思います。

田中 漫画の『日本沈没』も長いですよね。

稲葉 村上春樹も以前「小説における技術革新というのがあるんだ」と言っていましたが、まず非常に皮相なレベルでは、重厚長大化傾向を簡単に確認できると思います。冲方丁さんが『マルドゥック・スクランブル』でやっているのもそうで、あれは昔だったら文庫1冊で済んだ話を延々と書き続けていますね。

田中 栗本薫から始まっているんですが、SF第一世代とそれ以降とでは、読書環境でも違いがありますね。

稲葉 そういう意味では平井和正は端境期にいるんですよ。

新城 とにかく長い話を書き続ける人と、色々書く人と何パターンかありますよね。

稲葉 そういう意味では眉村卓さんは異例なんだと思います。『消滅の光輪』を書いた後で『引き潮のとき』を書いて、もうちょっとライトな『不定期エスパー 』を書いて。重厚長大化といった時に、第一世代でほぼ唯一彼だけがそれをやっている。

新城 未完で終ってますが半村良さんの『太陽の世界』があります。あれが最初かもしれません。どちらにせよ、角川戦略の流れなんですが。たしか栗本さんが『グイン・サーガ』を書くときに『太陽の世界』が80巻だよという話を聞いて、じゃあ100巻にするか、といった話を聞いたことがあります。でも最初に80巻とぶちあげて書くのは異様な戦略ですよね。

角川戦略と第一世代2.0

新城 第一世代ということも含めて、小松先生と同じくらい私が影響を受けているのが半村先生です。これは最近ようやく気がついたんですが。『産霊山秘録』とか今読み返しても発見があります。

稲葉 半村良は風俗小説の書き手として卓越していた、という評価がよくなされますが、それだけではないですね。結果的には失敗作だとは思いますが、『妖星伝』という異様な作品を書いて、大変な試みをしていますね。「隆慶一郎はSFだ」とぼくは前に主張しましたが、似たような意味で「半村良はSFであり時代小説である」と思います。あのリアリティは現実の歴史的な江戸らしきものを基盤にしているわけだし。

新城 この辺はちゃんと調べているわけではないんですが、SF第一世代は角川戦略と親和性が高いという気がします。。確か光瀬龍さんもやってますよね。ノベルズ戦略と結びついて第一世代2.0というかルネッサンスがあったなと、今になって気づいたんですが。

稲葉 角川商法の総括もされていないですね。SFを離れて大藪春彦や西村寿行さんといった人たちの評価とも絡んでいますね。

新城 ミステリーだと金田一シリーズを無理やり…

田中 角川商法の最初はエリック・シーガルの『ある愛の詩』で、アメリカのベストセラーを日本で当てることはできるのかということですよね。あれと並行して『野性時代』が出てきて、あの当時のライバルは『プレイボーイ』だったと思うんです。プレイボーイのエロを小説では西村寿行とかが補ってくれてたわけです。

新城 私的には、永井豪先生が強烈に。

田中 角川商法で本屋の平台が変わってしまいましたからね。

稲葉 あの時、版権がでかいというのがありましたよね。吉本隆明の『記号の森の伝説歌』は確か『野性時代』だったんじゃないかな(*1975年から1984年まで連載)。

田中 吉本の初期三部作を文庫化したのもあの時期ですよね。角川文庫の新しさは、表紙にイラストや写真を持ってきたというのがありますね。当時、文庫は棚に入っているんですけど、角川は他の単行本と同じく平積みにされるビジュアルを持っていたんですよ。同時にやったのがマルチメディア戦略ですね。結局、角川商法の限界は映画から来てしまったんですね。当時、配給会社は系列映画館で上映するという方式がとられていたのを角川は打ち破ろうとしたわけなんですが、それに失敗した。それができるようになったのが、90年代後半でシネコン方式がとられるようになってからですね。あと個人的に麻薬に手を出したっていう…

稲葉 角川は春樹もそうだし、弟歴彦も、どちらも異様なビジョンを持った人ですよね。

新城 『野性時代』と角川商法から色々派生しているんですね。歴史的には『野性時代』の成功からライトノベルが発生してきたわけだし、昭和的なものすごい人が映画を作ったり…『日本沈没』もそうですよね。あれは東宝ですが。当時はそういう情熱と、やってもいいよという凄いプロデューサーがいた。それがどうして受けたか、というとスターウォーズの影響もあったりでなかなか複雑ですが。

稲葉 ガンダムのせいでヤマトの影響感が一気になくなってしまったんですけど、ある時期まではすごい存在感でしたよね。

田中 しかもヤマトは再評価ですよね。初回放送時は、裏番組は「猿の軍団」がやっていて、それに小松左京は関与していましたよね。当時みんな男の子は「猿の軍団」、女の子は「アルプスの少女ハイジ」を観ていて、ごく少数派だけが「ヤマト」を観ていたんです。

稲葉 オリジナルのドラマの「猿の惑星」も似たような感じですよね。あれだけのものを作ったのに変なふうに蘇って。

新城 『猿の惑星』の世界観で人間が言葉を喋っちゃダメだろ!と私なんかは思うんです。

田中 「さよならジュピター」もいろいろな問題をはらんでますね。当時これと「だいじょうぶマイフレンド」が僕の中ではごちゃごちゃ。

稲葉 あれで借金を村上さんは背負ったわけですよね。

田中 あと手塚治虫の24時間テレビに書いたインチキSFが今では美談になってしまっていて、当時あまりの酷さに驚いたのに。

新城 美談というか怪談というか。放送が始まった時に後半パートをまだ作ってたという伝説も。

田中 このまま行くと「さよならジュピター」も美談になりかねないので、当時を覚えている人間がドライに言うべきですよ。

稲葉 あれは直後から糾弾の嵐でしたよね。企画会議からいきなり高千穂遙が先導してプロレスの話をして分けわからなくなったという都市伝説がありますよね。議事録が欲しいと思うんですけど。

田中 「さよならジュピター」はうかうかすると美談になってしまうからもう一度見なおそうということですね。

新城 当時映画を作るということが、今とは違った意味を持っていたんだなということは感じます。

稲葉 個人ではできない巨大プロジェクトですからね。その意味で言うと、SFファンタジーが日本映画を牽引することになったのが宮崎アニメなんだけど、宮崎駿という人が規格外の天才であったんですね。映画の意味が前後で変わることと関係していますが、宮崎駿はそうした意味だと異様な存在ですね。

切通理作さんが指摘されましたが、あの人は時間さえ許せば一人で長編アニメを作るポテンシャルを持っているんです。だけど現実的には商売にならないからプロダクションになっているんです。あのプロダクションは宮崎の下働きに過ぎないわけです。僕は『ナウシカ解読』を書いているときはそれを認識していなくて、一人で漫画を書いているときの宮崎とプロジェクト・リーダーの宮崎、少なくとも二人の宮崎がいるんだろうと思っていたの。だけどそうではなく、宮崎は一人しかいなかった。

しかしそういう体制のものとでは、後継者が普通の意味では育たないし、おそらくは宮崎の手綱をいかに取るかというのがジブリの大問題なんですね。鈴木敏夫の大きな功績は宮崎を上手く飼い慣らしたというところにあるんでしょう。あと岡田斗司夫さんが言っていますが、宮崎吾朗がなぜ重要かというと、宮崎駿に叩かれても萎まない「息子」であるということ。他人だと喧嘩して出ていってしまうんですね。プロジェクトとしての映画と個人技としての映画の端境期に彼もいるんだと思います。他に彼レベルで突出した技量を持った映画作家はいないのかな。

田中
 そろそろ締めましょう。今回の鼎談では、主に小松左京のSFに代表される作品群が、一種のジャーナリズムとして、想像的でかつ科学的でもある情報を日本人に伝える機能をもっていたこと、それが日本の「物語」として、SF領域を超えて、文化的な土壌に浸透していったことが確認できましたね。

またSF第一世代の活躍がどのようなものかを、後半は80年代の終わりぐらいまでを実際にたどり、その多様な発展や他メディアとの交流をも語っていきました。SFがその本来の狭いジャンルを超えて、ほかの領域との接近遭遇を繰り返し、そこから新しい「物語」の方向を見出していくということが、これからも求められるのではないか、という思いを強く持ちました。今回はその最初の第一歩として、これからもさらに続けていくべき試みではないかと思いました。

新城カズマ (しんじょう・かずま)
小説家/架空言語設計家。著作『サマー/タイム/トラベラー 』(ハヤカワ文庫JA)、『星の、バベル 』 (ハルキ文庫―ヌーヴェルSFシリーズ)など多数 。近刊に『物語工学論 キャラクターのつくり方』 (角川ソフィア文庫) 。小説新潮で『島津戦記』連載中。
https://twitter.com/SinjowKazma
http://sinjow.tumblr.com/

稲葉振一郎 (いなば・しんいちろう)
明治学院大学社会学部社会学科教授。著作『オタクの遺伝子』(太田出版)、『社会学入門』(NHK出版)など多数 。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/
https://twitter.com/shinichiroinaba

田中秀臣 (たなか・ひでとみ)
上武大学ビジネス情報学部教授。著作『AKB48の経済学』(朝日新聞出版)、『日本建替論』(共著、藤原書店)など多数。
https://twitter.com/hidetomitanaka
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/

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