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東大総長も出身「名門・武蔵」の自由すぎる校風

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開成、麻布と並ぶ「進学校の御三家」として名高い武蔵(東京・練馬区)。ジャーナリストの永井隆氏は「OBたちの進む道のバラエティの豊富さでは他に抜きんでている」という。卒業生への取材から、その秘密に迫る――。

※本稿は、永井隆著『名門高校はここが違う』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/noipornpan ※写真はイメージです

■宿題をやるかは生徒の自由

「重厚感ある大講堂や校舎と、全国トップクラスの広さを誇るグラウンド、制服も校則すらもなく、自由でのんびりしていた。とても青春を謳歌させてもらいましたね」

こう語るのは現在、早稲田大学総長を務める田中愛治氏だ。田中氏は中高一貫校の武蔵中学に1964年に入学し、武蔵高校を70年に卒業している。その後に早稲田大学に入学し、オハイオ州立大学で政治学の博士号を取得。その後、いくつかの大学で教鞭を執った。

「武蔵高校は生徒だけでなく教員も個性的で、倫理学者の和辻哲郎の息子さんが道徳を教えていたり、哲学者・西田幾多郎のお孫さんも教員としていらっしゃった。結構な量の宿題が出されるのですが、それをやるか否かは各自に委ねられ、しかし授業は淡々と進むので、ちゃんと予習していないと、数学などは置いてきぼりにされてしまうのです(笑)」

■生徒の9割が何かしらのクラブに所属している

自由放任でハイレベルな授業が展開される様は、さながら大学のようである。そして武蔵の特徴として、部活が盛んであることを挙げる。「高校は1学年160人ですが、生徒の9割が何かしらのクラブに所属していて、私は陸上部でした。バスケットボール部は強豪で、インターハイで3連覇したこともあります」。

主に短距離走で活躍した田中氏は、高校2年時には主将も務めた。

「中高一貫なので、中1から高2までが一緒に練習します。先輩からのきつい練習を引き継ぎ、私も厳しいメニューを作成し、仲間たちとこなしました。200メートルのトラックを何周もダッシュしたり。苦しさのあまり吐くこともありました。練習後は、学校の前のパン屋でピーナッツバターを塗ったコッペパンを食べるのがならいで、コーラは高校生になれば飲めるけれど、中学生はダメという暗黙のルールがあった。なんとも牧歌的です(笑)」

毎年4月、名門私立の武蔵・麻布・開成高校の“御三家”で、各運動部の対抗戦が開催される。陸上部は麻布との2校対決だったが(その後、8校の対抗戦に拡大)、田中氏もこの対抗戦に向けて励んだそうだ。

■学生運動を理由にした退学や停学はなし

70年安保を目前にしていた当時、日本は政治の季節を迎えていた。大学はもちろん、都内の進歩的な高校にも学生運動の風が吹き込み、デモや政治活動に参加する生徒は珍しくなかった。武蔵高校でも学生運動に参加する生徒は多く、田中氏もその一人だったという。学生運動をテーマにした小説『されどわれらが日々─』(64年に芥川賞受賞)がベストセラーになり、当時は愛読する高校生が多かった。本作を執筆した柴田翔氏(後に東京大学名誉教授)も武蔵高OBである。

高校3年のある日、田中氏がデモに参加していると、合法デモだったにもかかわらず、東銀座で機動隊員に囲まれてしまう。逮捕されることも覚悟したとたんに腹が据わって冷静になった。次の瞬間、隊列が崩れて小さな退路ができる。日頃、陸上部で鍛えていた田中氏はガードレールを跳び越えて逃走した。

ただし、途中でズボンが破れてしまい、これを見つけた母、そして父・清玄氏に叱られてしまう。父は「命をかけて国を変える気概があるならやってもいいが、それほどの覚悟もないのであれば学生運動など止(や)めてしまえ。俺は命がけでやった」と一喝した。

武蔵高校の教員たちは学生運動についても鷹揚(おうよう)だった。校内には学生運動の各派に属する生徒がいたが、「先生はデモに向かう生徒を一度は諫(いさ)めますが、それ以上は言わなかった。生徒の自主性を尊重してくれたのですね。最後は『気をつけろよ』と声をかけ、学生運動を理由に退学や停学になることもありませんでした」。生徒と教員のお互いの信頼関係が垣間見られるエピソードである。

■設立当時は規律の厳しいスパルタ校だった

ここで学校の歴史を振り返りたい。武蔵高等学校中学校は1922年(大正10年)に、根津財閥(東武鉄道、東武百貨店などを創設・経営)の初代総帥・根津嘉一郎によって7年制の旧制中高一貫校として設立された。当時の学制では本来、中学5年・高校3年であったが、1918年の第二次高等学校令によってイギリスのパブリックスクールを模した中高一貫の7年制の設立が許されることとなり、官立の東京高校(後に東京大学)のほか、私立では武蔵、甲南、成蹊、成城の4校が創設された。当時の経済人の教育熱も強く、彼らはエリート養成校としてこれら7年制を支援し、子息を入学させた。武蔵も設立当初は、根津総帥や初代校長の一木(いちき)喜徳郎(文部大臣など歴任)の方針により、エリートを養成すべく、スパルタ教育を施し、生徒には野球を禁止し、成績が悪ければ落第・退学させることも辞さなかった。

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