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元オウム死刑囚の妻たちが手記につづった死刑執行からこの1年

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死をもって償うとの夫の固い決意

 私はオウム真理教とは全く関わりがありませんでした。オウム事件についても、基本的に夫が自ら語ることはほとんどなく、私の印象としては、事件そのものに至るまでの経緯(入信や盲信、幼少時代や後の人間関係など)について漠然と考えているような様子でした。

 明確な殺意があったわけではなく、教団は宗教弾圧を受けている、攻め込まれたら自衛手段を取らざるを得ない、現に毒ガス攻撃を受けている証拠があると、自作自演の捏造された証拠を提示され、すっかり騙されてしまったようです。サリンについても、最終手段として念のため作っておく必要があるという程度に考えていたそうです。

 地下鉄サリン事件が起こった時も、まさかあの事件を起こすために、自分がサリンを作らされたとは全く考えが及ばず、教団側が本人にした稚拙な説明を信じ続けていたのです。

 逮捕後初めて知らされた事実があまりに多く、困惑、驚愕、疑心暗鬼の日々だったと聞きました。それでもまだ麻原をどこか信じており、疑問に思いながらも麻原がいつか本当のことを話すだろう、この状況を納得できる説明をするだろう、時期を見極めているのだろうと無理矢理思い込み、二審判決まではその仮説にしがみつくように帰依を貫いていたそうです。二審判決後も何かの作戦に違いないとまだ現実を受け入れられないようでした。

 ある日初めて本人から「麻原をどう思いますか?」「私は騙されていたのでしょうか?」と尋ねられました。私は本人に現実を突き付けるためにも、「残念ながらあなたは騙されていた」「麻原はペテン師だ」とはっきり言いました。次の日から夫は文字通り今までと180度違い、一夜にして帰依心が消えたと言いました。

 この日はやっと長い洗脳が最終日を迎えた日でもあり、これから始まる現実の受け入れをせざるを得ない初日でもありました。夫なりに苦悩はあったと思いますが、私は夫から話を振ってきた時以外、私から事件や教団について話を向けるのは止めようと思いました。

 何故ならば、夫の辿ってきた今までの状況を聞くと、想像できないほど社会から全く遮断された環境で、洗脳によって正常な判断力もなくし、集団心理も相まって、感覚や感情さえ欠落してしまったような人間に成り下がっていたからです。

 夫は極端な性格のため、その日を境に脱会、教団関係者との連絡や関係を断ちました。間接的とはいえ自身が大量殺人に加担したという事実を受け入れるようになり、結果、死をもって償うしかないとの結論に至ったようです。

 私自身は何度も再審を勧めましたが、夫の意思は固く、たくさんの人を殺してしまったことは事実、遺族の方々は自分の執行を望んでいるはず、見苦しいマネはしたくない、と。ついに私も夫の気持ちを尊重し再審請求はしないという結論に同意しました。

夫の遺骨と共に帰宅した時の感情

 刑の執行後、夫の遺骨と共に帰宅した時は、とにかく疲れており、妙な安堵感と喪失感が入り交じったような、生まれて初めて抱く感情に、自分自身どう解釈すればいいのか、困惑し落ち着きませんでした。

 とりあえずお世話になった方々にお礼のメールを送り、遺骨は寝室に安置して遺品は落ち着くまで目につかないようクローゼットの中にしまいました。

 2日間は全く眠れず、これからどうしようかと悩んだり、何も考えたくなくなったり、ひたすら掃除やジョギングをしたりと、チグハグで整合性のない毎日が続きました。

 そんな中で唯一気持ちが和むのは、ユリさんと連絡を取りあっている時間でした。お互いの夫の遺言を教えあったり、遺骨をどうするか、遺品にはまだ手を付けられないなど他愛ない話ではありましたが、彼女とのやり取りが大きな支えとなりました。

 思い返すと長かったようなあっという間だったような1年間です。夫のいない生活に慣れてはきましたが、ふとした瞬間に彼の言葉や笑い声が甦り、涙が出ることもあります。

 夫は私の良き相談相手でもありましたので、困ったことや悩んだ時には夫がいてくれたらなぁと寂しく思うこともあります。命日、誕生日、結婚記念日と要所要所で特別な意味を持つ日があり、それはこれからも変わらず毎年やってきます。

 しかし、それは被害者ご遺族の方々にも同じように訪れます。在りし日を思い出し、悲しみ、怒り、私の夫に憎しみを抱かれるでしょう。私が麻原に対してこの男さえいなければ、と思う気持ちとまったく同じお気持ちを私の夫に向けられるでしょう。

 夫は執行をもって臨んだとしても、決して許されることはなく、未来永劫続くはずであった尊い命を、健康で幸せであったはずの生活を壊し奪いました。判断力をなくした夫の所業でたくさんの方々の将来が消えました。この場をお借りし、妻として夫に代わり心からお詫び申し上げます。

 申し訳ございません。

新實智光元死刑囚の妻の手記

 何故か執行の朝のことは、家を出る前から再び家に戻ってくるまで、鮮明に覚えています。普段ならすぐに忘れるような、電車の中でどの動画をスマートフォンで見ていたか、コンビニに寄って買った飲み物の種類、レジのおばさんの顔、そういったことを今日まで忘れていません。

 執行からは毎日、友人たちがメールやラインで励ましてくれています。執行の翌週、「退職します」と告げて、仕事を辞めました。

 それから7月8月と過ぎていき、2カ月経つのに立ち直れない自分に腹が立ち、「動き出さないと」と心を決め、9月に就職をしました。

 そして、執行から半年近くたった年末年始に夫の遺品整理をようやく始めました。

夫の遺品だった日記を読んで…

 1996年と書かれた大学ノート、移送を機に書き始めた大学ノート、23年間分の大学ノート。台帳にびっしり書きつづった思いの数々が残されていました。

 今年のゴールデンウイークの10連休に改めて日記をじっくりと読んでみて、私はびっくりしました。世間で言われていたのと全く違う、夫の考え方が随所に書かれているのに気がついたからです。

「誰かを崇めるような生き方ではなく、自分を信じる原点に戻るということ……」

「同じような思いを今いる法友達にはしてほしくない」

「教祖をいろんな角度から見て判断してほしい。僕はもう教祖から背を向けている。ついていかない」

「松本家を信仰することがいかに馬鹿げているかを知ってほしい。何の功徳にもならない」

 最後まで元教祖への帰依は変わらなかったと言われていた夫ですが、日記にはそれと全く異なる思いが書かれていました。夫の最後の日記を読み、ああそうだったんだ、そうだよね、と、全てがストンと自分の中に入ってきました。

 夫は一貫して元教祖のそばにいると言われていましたが、日記を読む限り、そうではありません。夫は、オウムの教えを極めた上で、教えや元教祖、松本家と決別したのです。

大量死刑執行でオウム事件は本当に終わったのか

 手記の紹介は以上だ。新實元死刑囚の妻の手記については、ここで紹介したのはごく一部だ。彼女が夫の日記や手紙をどう読み解き、どう理解していったかについては、ぜひ原文を読んでほしい。それをどう評価するかは、オウム事件を理解するうえで大きな問題だと思うし、その評価についてはいろいろな意見があるかもしれない。

 また新實元死刑囚と土谷元死刑囚の妻がどういう経緯でこんなふうに親しくなったかといった経緯も、『創』に掲載した手記全文を読めばわかる。

 いずれにせよ執行から1年を経て、オウム元死刑囚たちの身内がこんなふうに重たい心情を公表してくれることになったのは、大きな意味があると思う。

 今後、他の死刑囚についても、関係者が新たな情報を公開してくれることを望みたい。あの平成に起きたオウム事件を私たちは決して忘れたり風化させてはいけないと思うからだ。

※月刊『創』9月号、詳しい内容は下記を参照してほしい。


※Yahoo!ニュースからの転載

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