- 2019年08月23日 19:03
帰国子女から不登校になった私 周囲は気づかなかった心のダメージ
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NPOの中間支援組織「NPOサポートセンター」で働く不登校経験者・佐藤祥子(しょうこ)さんにお話をうかがった。
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――不登校当初のことを教えてください。
不登校になったのは中学2年生の5月ごろです。そもそも親の仕事の都合でタイに住んでいたので、幼稚園から小6までは日本人学校に在籍していました。帰国してからは中高一貫の女子校に入学しました。
不登校の理由はいろいろありますが、そもそも日本の環境になじめなかったんだと思います。
満員電車に乗ったことがないとか、タイは1年中、夏なので日本の寒さがつらいとか、そういう環境変化に体がついていかず、よく体調を崩していました。
とくにひどかったのはノロウィルスです。ほかのウィルス症状が混ざっていたのかもしれませんが、月に1度ぐらいは、ノロを患ったかのような症状に苦しみました。
――同級生たちとの関係はどうだったのでしょうか。
合わなかったですね。タイの文化と日本の文化がちがうこともよくわからず、それに気がついたのは中学校の登校初日でした。
みんなに「いぇーい、よろしく」って、タイでの雰囲気のままガンガンあいさつしちゃったんです。伝統的な学校だったので、悪目立ちしちゃったんでしょうね。
そこからは「いじり」の対象になっていきました。明確ないじめではなかったと思いますが、ジワジワと自分の居場所がなくなっていく感じというか、異物として扱われていく感じに傷つきましたね。
体調面といじり、そしてもうひとつ私が苦しかったのが勉強でした。体調不良で勉強ができないうえに、日本の勉強のレベルにもついていけなかったんです。
それまでは親の期待に添う「よい子」だったのに、成績が下がって怒られることはとてもつらかったです。

ノロウィルスから摂食障害へ
――なるほど、いくつもの理由が重なっての不登校だったんですね。
中学2年生になってすぐ、ひどいノロウィルスにかかりました。ノロウィルスが治ってからも、そのときの苦しさが忘れられず、食べることさえ怖くなって摂食障害になりました。
体重も40㎏台から30㎏があるかないかまで減り、自然と体力も落ちて外に出るだけで具合が悪くなっていました。もう悪循環にハマって学校どころじゃない、と。
――周囲はどんな反応だったのでしょうか。
私も周囲も体調不良が原因だと思っていたので、「学校へ行きなさい」という人はいませんでした。
ところが、学校へ行けない日が長くなってくると、病院へ行かされたり、親が不登校情報を集めたりするようになってきました。
このころは苦しい時期でした。親の期待に応えられない自分自身がすごく悔しかったですし、摂食障害も続いていたので、入院が必要かどうかの話し合いもしていました。
頭のなかでいろんな不安と焦りがあふれてきて、夜通し自分の心配をふせんに1個ずつ書くこともありました。
そんななか、親は「親の会」をしているNPOを知り、さらにはカウンセリングを受け始めます。
そのなかで、学校へ行けないのは体調が悪いだけではなく、心が無理していたこと、親がこうあってほしいという子ども像に私が苦しんでいたことに、気づいていったそうです。
一方、私も月に一度の地域の料理教室や塾通いを始めるなど、少しずつ行動できる範囲を広げていく時期でした。



