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香港騒動、最大の受益者がシンガポールであるワケ 香港はどこへ行く、金の卵を産むニワトリの逃げ方 - 立花 聡 (エリス・コンサルティング代表・法学博士)

 香港のデモ・民主化運動が長期化の様相を呈している。特定の背景や様々な原因があり、中国は安易に武力鎮圧に乗り出せない。香港という「金の卵を産むニワトリ」を潰したくない、潰せない、潰してはならないからである(参照:『香港が「第2の天安門」になり得ない理由とは?』)。しかし、ニワトリは今、飛び立とうとしている。

シンガポール・マリーナベイサンズの屋上プール(bennymarty/gettyimages)

「狡兎三窟」と逃げ道の確保

 国際金融センター・香港からの資金流出がすでに始まっている。

 まず、金(ゴールド)の話から始めよう。地金をはじめとする貴金属の現物売買・保管・輸送専門業者J. Rotbart & Co社の報告によると、香港や中国本土の新規顧客から地金の保管場所を香港よりもシンガポールに指定するリクエストが増加し、直近2カ月半の間に従来シンガポール50対香港35の比率が同75対10に変化しているという(8月20日付けマレーシア英字メディア、ザ・スターOnline記事)。

 8月18日付けウォール・ストリート・ジャーナルの記事「Worried Hong Kong Residents Are Moving Money Out as Protests Escalate(香港市民は海外送金に走る、抗議活動激化を憂慮)」は、複数のアナリストを取材し、「7月以降の香港ドル安はある意味で資金の海外流出を示唆するものだ」との見方を示した。

 香港を代表する経営者といえば、あの大富豪の李嘉誠氏。李氏は2013年10月から相次いで中国や香港の資産を売却し、その総額が2000億香港ドル規模に上る。一連の大型売却で得た巨額の資金を中華圏から引き揚げ、欧州や北米、豪州などにシフトさせ、ポートフォリオの組み替えを着々と進めた。さらに、2015年1月、李嘉誠氏は長江グループと和記黄埔有限公司を合併させ、会社の登記地をケイマン諸島に移した(参照:『香港大富豪の「中国撤退」がついに終盤戦へ、経営の王者・李嘉誠氏の脱出録』)。

 香港人の嗅覚が鋭敏である。特に李嘉誠氏のような戦略家となると、5年先や10年先を見据えた経営判断を的確に下してきた。1つの大きな流れをしっかり捉えて戦略を立てるという意味で、並の人間ではなかなか敵わない。ただ、戦術的なところで、香港という場所柄もあって、リスク管理が常に重要視されてきた。

 「コンティンジェンシープラン(Contingency plan)」とは、災害や事故など想定外の事態が起きた時のために、事前に定めておく対応策や行動手順のこと。私が90年代後半香港駐在中に、多くの企業の経営幹部と対話したときによく出てくるのは、この「コンティンジェンシープラン」の話であった。

 私が当時在職していた外資系企業においても、「コンティンジェンシープラン」が設定されていた。たとえば、海外への社員旅行や会議なら、同一支店や部門の参加者が仲良く同じ飛行機に乗れず、別々のフライトに振り分けられる。それは飛行機事故という潜在的な災害の影響を緩和するための措置である。

 日本人のなかに「言霊」というものがあって、こういう「縁起でもない話」は常に忌避される傾向があるが、香港人(中華圏)も実は同じである。ただタブー視されるのは「話」だけであって、行動に至ってはしっかりリスクを想定したものになっている。「狡兎三窟」という熟語もまさにその表れである。素早しっこい兎は身の安全の担保に、常に3つの窟(あなぐら)を確保しているという意味で、まさに「コンティンジェンシープラン」である。

 ここまでくると、香港人はいよいよ動き出す。資金を海外に移動させることだ。同じ金融センターのなかでも遠隔地のロンドンやニューヨークよりも、アジアにあるシンガポールの人気は高い。

香港マネーはシンガポールに向かっている

 7月16日付けシンガポール紙ストレーツ・タイムズの掲載記事「香港の動乱、富裕層投資家は資産運用センターをシンガポールへ」を一部抜粋抄訳する――。

 「アジア地域の某メジャー・プライベートバンカーの報告によると、彼担当の顧客が過去数週間に香港からシンガポールに巨額の資金を移動させていた。さらに、香港ベースのプライベートバンカーも一般の富裕層顧客から1000万~2000万米ドル規模の資金転出に関する問い合わせが増加中と現状を述べている」

 「『香港デモが始まってから、資金移動についての顧客問い合わせは通常時の4倍に達している。数百もの伝票を見れば分かる』。某銀行の香港駐在CEOがこう語る。他行と同じように、顧客は現時点ではまだ多額の資金を動かしていないものの、資金移動経路の確立を急いでいる。情況が悪化すれば、香港から海外へと一気に資金を送り出すだろう」

 「『香港デモはいずれ沈静化するだろう。しかし、変化はもうそこまで差し迫っている。何をするべきかを考えるときがやってきたのだ』。富裕層顧客に国際金融取引・投資コンサルティング・サービスを提供する香港中倫法律事務所のパートナー弁護士、クリフォード・ウング氏がこう述べた」

 「直近の香港デモは長期的に見れば、最後の引き金となる。チャイナ・マネーはシンガポールやロンドン、ニューヨークなど他の金融センターへ移動するだろう。北京の手が届かないところにだ。シンガポールの総額2.4兆米ドル規模の資産管理業は間違いなく、主な受益者になるだろう。シンガポールは政治が安定しており、英語と中国語という言語の優位性を有し、また中国本土との空路アクセスも便利だ」

 情況を総じてみると、一部の資金流出がすでに始まっているが、大方の投資家は資金の受け皿となる香港以外のオフショア口座の開設など流出経路の構築、あるいはその準備に動き出している。オフショア口座の開設は昨今マネーロンダリング関係の審査が大変厳しくなったため、数週間から、特に複雑な企業取引経路をもつ顧客ならその精査に数カ月を要している。

 余談だが、金融系情報筋によると、一部日本の金融機関のプライベートバンク部門もすでに、日本人富裕層顧客にシンガポール証券取引所の銘柄を推奨し始め、ポートフォリオの調整に乗り出しているという。

シンガポールの時代へ、受難する香港から漁夫の利を得る

 「香港の経済的損失はすなわちシンガポールのキャピタル・ゲイン」

 ――8月6日付けアジア・タイムズ・オンラインの掲載記事。ストレート過ぎるくらい過激な見出しだが、現状を如実に表わしている。国際金融センターである香港の様子がいよいよ怪しくなってくると、商人も投資家もシンガポールへの資金移転を「出口戦略」として検討し始めている。

 香港金融市場の退潮によって、漁夫の利を得るのはライバルのシンガポールである。投資家が香港からシンガポールへと関心を移す中、シンガポールは世間の目線を気にし、紳士的な姿勢を保たなければならない。シンガポール現地メディアの情報によると、シンガポール金融管理局は同国の金融機関に騒動中の香港のことを公にネガティブに捉えないよう要請したという。受難する香港から漁夫の利を得るほど不道徳なことはない。シンガポールは何としてでもそれだけは避けたいし、また中国本土との関係も配慮しなければならない。

 対外的なアピールも怠ることはない。シンガポール内務大臣のシャンムガム氏がサウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙の取材に応じ、「いかなる不安定からも利益が生まれない。シンガポールはアジア太平洋地域の全体的安定に依存している。中国と香港の間に問題が発生すれば、それがすなわちわれわれも含めて当事者全員の問題なのだ」と連帯を強調し、「投資家はデモだけで香港から離れないだろう。中国を悲観的に捉えさえしなければ、すぐには投資家は動かないだろう。中国は香港をサポートしている。それはシンガポールが持ち得ない優位性だ」と、中国を配慮した発言に終始した(8月11日 付けブルームバーグ)。

 発言の後半に注目したい。投資家のコンフィデンスへの言及である。裏を返せば、「投資家はデモだけで動かないだろうが、しかし中国を悲観的に捉えた場合、この限りではない」とも読み取れるわけであって、そこが本音であろう。

 中国やアジアの富裕層に人気の高い資産管理方式は、ファミリーオフィスである。ファミリーオフィスは、富裕層の投資から税務、資産移管、事業継承などを包括的に網羅する資産管理システムで、バンカーやファンドマネジャー、弁護士、税理士といった専門家を起用し、チームを組んで富裕層に世代を超える長期サービスを提供する。業界の専門家によれば、香港よりもシンガポールがはるかにファミリーオフィスの運営に適しているという。何よりもシンガポールには香港のような政治的不安要素がないからだ。

 「混迷の時代にこそチャンス」。――8月6日付シンガポール紙ストレーツ・タイムズの社説は、金融業の革新にとどまらず、全面的な経済改革を断行し、千載一遇のチャンスを確実に手中にしようと呼びかけた。新たな繁栄を迎えようと躍起するシンガポールの野心が見え隠れする。

 繰り返しているように、香港問題や米中貿易戦争によって経済的に漁夫の利を得るのは、ハイエンド・金融業のシンガポールと労働集約型産業のベトナムだ。そして、政治的には台湾が受益者になるだろう。

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