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『どうか生きてください』樹木希林が亡くなる直前、娘につぶやいた9月1日への思い

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写真左から本紙編集長・石井志昂、内田也哉子さん

 樹木希林さんが亡くなる直前まで心を痛めていた9月1日の子ども自殺。その思いを突然、聞かされた娘・内田也哉子さんは「何かできることは」と思い立ち、識者や当事者との対談を行ない、樹木希林さんへの本紙インタビューなどとともに一冊の本にまとめられた(『9月1日 母からのバトン』(8月1日発行/ポプラ社))。今号はその対談のひとつ、本紙編集長・石井志昂との対談を再編集し掲載する。

* * *

内田也哉子(以下・内田) 私が初めて「9月1日」について聞いたのが、母が亡くなる2週間前、2018年9月1日でした。

 入院中だった母が病室で窓の外を眺めながら「死なないで、ね……どうか、生きてください」と絞り出すようにつぶやいていたんです。

 あまりに突然の出来事に驚きましたが、母は「今日、死ぬ子がたくさんいるのよ」って説明してくれたんです。

石井志昂(以下・石井) そこまで樹木さんが心を砕かれていたのは、なぜなのでしょうか。

内田 あそこまで打ちひしがれていたのは、やっぱり今まさに自分が「死」に向かっていたからなのかな……と。もう長くないことは、お医者様からも伝えられ、1カ月の入院期間中には何度も危篤状態になっていました。

 死が現実的に迫ってきたときに、子どもたちが命を絶っていること、そして、たぶん自分の孫や子どもを持って、命の尊さみたいなものが身をもってわかったからこそ、こんなに理不尽な、もったいないことはない、と。

石井 そういうことだったんですね。

樹木希林の最期

内田 じつは、母は亡くなる直前、急に「家に帰る」と言い出したんです。私は「いやいやムリでしょ」と思ったんですが、主治医の先生からは「本当に帰りたいなら、今を逃したらもう帰れないです」と。

 そこで病院にも協力をいただき、2日後には家に帰りました。そして母は、家に戻ったその12時間後に息を引き取ったんです。

石井 ええ……!!

内田 「日常のなかで死にたい」とずーっと言っていた願いが叶えられたんですよね。本当に見事な最期でした。

 ただ、あのタイミングで「家に帰りたい」と言ったのは、母が理屈ではなく「今だ」と感じることへの感度がすごく高かったからかな、と。

 もしかしたら私を育てているときも、いろんな壁にぶつかったんだけど、そのたびに「これは大丈夫」「ここまでは大丈夫」というのを感じ取っていたんじゃないかとさえ思います。

 ふだん生きていると、いろんな情報に押しつぶされちゃって、感覚だけでは、なかなか選びきれないじゃないですか。でも母はそれをすごく上手に、75年の生涯だったけれども、やってきたんだろうなあと思います。

石井 この対談の直前に也哉子さんはフリースクールを初めてご覧になられて「ショッキングですね」とも話されていました。印象的だったのは、どんなところだったのでしょうか?

内田 それは私が育ってきた環境もあるんだと思います。というのも、私は母からとても自由にさせてもらっていました。何に対しても「あなたが決めてよ」と。

 私が出した結論については、その結果がどうであれ、母から責められることはありませんでした。でも、私にとっては「自分が決めた」という責任はつねに重く感じていました。

 だから、私にとって自由は重く感じられるもので、フリースクールでは「授業も子どもたちが自由に選べる」と聞いて、これはシビアだな、と。

石井 なるほど。樹木さんの方針が影響していたんですね。


内田 私がインターナショナルスクールから、「日本の学校に行ってみたい」と公立の小学校に移ったときもそうでした。

 小学校6年生の終わりごろに公立に入ってみましたが、すごく合わなかったんです。私という「異物」が突然入ってきたことで、クラスのコミュニティがざわざわしてしまった。

 今思えば「いじめ」だったと思いますが、お友だちができないまま数カ月間をすごして、私は毎日泣いて家に帰っていました。

 ある日、そのようすを見た母が「何をガマンしているの、やめればいいじゃない」って。たしかに学校はつらかったんですが、私が相談する前から選択肢をバーンと与えられてしまい、とまどったんです。

石井 それだけつらい気持ちのときには、その子の気持ちを受けとめてあげるのが必要だったでしょうね。

内田 そう! 私、全然、受けとめられてない(笑)。母は一貫して「好きなほうを」と言う人でしたので、私としては「世の中的に良いのか悪いのか」を考えて学校へ通い続けようと決めました。

石井 今、「世の中的には」とおっしゃいましたが、その“世の中”を伝える人がどこにいたのか、ということですよね。だって、ご両親は……。

内田 破天荒(笑)。父とはいっしょに暮らしていなかったので、母が大人のロールモデルになっていたと思います。

 母は精神の拠りどころを強く持っている人だったので、いつもまっすぐ立っていました。

 一方で、小さいころから私は「うちの親はヘンだぞ、あれを基準に考えてはいけない」という危機感もつねにあったんです。

石井 その後、結局、学校には通われたのでしょうか。

内田 卒業式まで通いました。悲しい思いもしましたが、最後まで通って卒業式を迎えたとき、なんとも言えない達成感があったんです。

 そこで気持ちが吹っ切れたからか、中学校からは友だちもできて、いじめもなくなり、楽しい中学校生活を送れました。

 話は変わりますが、今日、お聞きしたいことのひとつが、いまだに「学校へ行かなければ一人前にはなれない」という感覚は定着しているのか、ということです。

 石井さんが不登校をされていた20年前と比べるとどうでしょうか。

石井 私が不登校したときと比べれば不登校の認知度は上がり、「死ぬぐらいなら学校へ行かなくても」という認識も広がりました。

 しかし「学校を出なければ一人前ではない」という感覚も強く残っています。

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