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【読書感想】国家を食べる

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 フセイン政権が倒れて3年がたった2006年12月、英BBC放送のインタビューに、コフィ・アナン国連事務総長(当時)がイラクの現状についてこう答えた。

「残忍な独裁者がいても、今よりはましだったと国民が考えるのは理解できる」

 自由、平等、人権……。国家が目標とする理念はさまざまある。しかし国家の最低限の義務は、住民が安全に暮らせるようにすることだ。その「安全」の上に立って、人々は高度な理念を実現する努力をしていく。

 英国の作家フレデリック・フォーサイス氏と会ったとき、氏は私にこう語った。

「飛行機に乗るのにベルトを外し、靴を脱がなければならない。通りでは監視カメラに見張られている。そんな社会は誰だっていやだ。しかし、自分や家族の安全のためだとなれば我慢せざるをえない」

 つまり、自由や人権といった崇高な理念でも、生活の安全という問題の前には二義的でしかないということなのだ。米国はその認識を欠いたまま、イラクの独裁を取り除いてしまったのである。

 米国はその後、シリアに対しても反政府勢力を支援して介入し、ISという鬼っ子を生み出した。そしてトランプ政権は今、混乱を放置したままシリアから撤退しようとしている。人々の安全な生活など、視野の外だ。

 イラクのサダム・フセイン大統領の恐怖政治は、けっして「善政」とはいえないでしょう。

 その一方で、シーア派とスンニ派、民族間の対立という問題を慢性的に抱えているイラクは、そういう政治だからこそ、国としての秩序を維持していた、という面もあるのです。

 アメリカは民主主義や自由を輸出しようとしたけれど、身の安全や日々の生活の安定のほうが、多くの市民にとっては大事であり、優先順位が高かったのです。

 それでは、独裁政治、恐怖政治が「正しい」のか?と問われると、悩んでしまうところではあるのですけど。

   この本のなかでは、「カラシニコフ銃」の開発者のカラシニコフさんのロシアの自宅に招かれて会食をした話や、シリアの前国王にインタビューした際に、一記者に対して丁重な扱いをされたときのこと、やたらと口が悪いガーナの国家元首などのエピソードも出てきます。

 あれだけの大ベストセラー銃を開発したカラシニコフさんが質素な生活をしていて、今でもソ連時代にもらった勲章を大事にしていたのは、すごく印象に残りました。西側で同じような発明をした人は、大邸宅に住み、自家用クルーザーを乗り回しているのに。

 この「職人」が生み出した銃が、使いやすさと故障しにくさで大量生産され、多くの人の命を奪っているのか……

 1984年のエチオピア北部での話。

 飢餓のエチオピアといわれながら、首都のアディスアババには十分な量の食糧があった。インジェラ料理店で、客が食べ残したインジェラはどうするのか、ボーイさんにそれとなく尋ねたことがある。彼はいぶかしげな顔で「もちろん捨てますけど……」と答えた。

 メンギスツ政権は社会主義のもと、地方で獲れた穀物を安い公定価格で強制的に買い上げ、首都に運んでいた。その結果、首都には余るほどの食糧があるのに地方は飢えているという状態が生まれた。首都の市場では、たっぷりの穀物が売られていた。

 アフリカのクーデターや反政府暴動は、たいてい首都で起こる。首都の住民と兵士にたっぷり食べさせておけば政権は安定だ。地方など、どうなろうと知ったことではない――それがエチオピアの飢餓の実態だった。

 アディスアババに戻りつくはるか手前で日が暮れた。街道筋のコボという町に着いたときは暗くなっており、ここで1泊することにした。

 コボの町にも、近くの農村から多く難民が流入し、よろよろと歩き回っていた。幾日も洗濯していないシャンマは汚れ、煮しめたような灰色をしている。力尽き、街道筋に坐り込んている彼らはやせていて、夜の闇の中でまるで幽霊のように見えた。

 宿に入って、なにか夕食はできるか尋ねた。主人は「羊肉のインジェラしかない」という。インジェラとはありがたい、それで十分だ。

 夜9時すぎ、サロモン君と2人で誰もいない食堂に座り、遅い夕食を始めた。味のしみたインジェラにのどが鳴る。

 食べている途中、ふと、誰かに見られているような気がした。顔を上げると、食堂の窓に子どもが大勢しがみつき、窓ガラスに顔をはりつけ、あえぐように口を開けてこちらを見ている。汚れたシャンマ。難民の子どもたちだった。

 ワットのにおいにひかれ、宿屋の塀を乗り越えて入ってきたのだろう。主人が気が付き、竹ぼうきを振り回して追い出した。しかし私はもう、食事を続ける気にはなれなかった。

fujipon.hatenadiary.com

 この『ファクトフルネス』を読むと、著者が中近東やアフリカで取材していた時代よりも、ずっと世界の貧困は改善されているのではないかと思われます。

 だからといって、失われた命は戻ってはこないし、何かのきっかけで逆戻りしてしまう可能性もあるのです。

 生命の不安なしに、今日は何を食べようかな、と悩める環境というのは、それなりに幸福ではあるのですよね。

fujipon.hatenablog.com

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